自然・環境

2010年8月24日 (火)

今年もクマゼミは鳴くのだろうか

59  私が子どもの頃は、梅雨が明けたとたんに待ってましたとばかり、「ジージ―ジ― ジリジリジリジリ」とか「ミ―ンミンミンミー」と、いっせいにセミが鳴き出して夏が来ました。捕れるセミで圧倒的に多かったのは羽根が茶で体が黒と白のアブラゼミ、次に羽根が透明で体が緑っぽいミンミンゼミ、そして夏も盛りを過ぎた頃、「オーシンツクツク オーシンツクツク フイーオーフイーオー」と鳴くのがツクツクホウシ(オーシンツクツク)、「チッチッチーニージージィージィー」と鳴くのがニイニイゼミ、そして「カナカナカナカナ」と夕方時になると物悲しく鳴いて、「夏休みもそろそろ終わりだよ」と告げるのがヒグラシ、こんなところが東京の麹町で育った私の思い出です。

 あれから何十年も経って、いま鎌倉では全く違う夏を過ごしています。
 今年の梅雨明けに、まずセミが鳴かないのに驚きました。「ほんとうに梅雨が明けたのかな」「セミはみんな死んでしまったのだろうか」と真面目に思ったくらいでした。そして暑い日が続いたある夜から、チラホラとセミが鳴き始めました。それが、もうこの数年ずっと変なのですが、かって夏の終わりに鳴いたカナカナから、今年も鳴き始めました。
 そして夏の始まったばかりの7月の夜に、網戸にガサッと何かがぶつかる音がして見てみると、立派なカブトムシが黒光りをさせて網戸に掴まっていました。「おいおい、お前、ちょっと来るの早すぎない?」って言ったくらいです。

 いまは、オーシンツクツクとニイニイゼミが盛んに鳴いています。過ぎ行く夏を惜しむかのように、もうひっきりなしに鳴くセミの声。朝晩、クーラーをとめた網戸越しに、レースのカーテンを大きく揺らす風。やはり秋は確実に、もうすぐそこまでやって来ています。ところで、夏の終わり頃にほんの一時、「シャーンシャーンシャーン」となくセミの声をまだ聞きません。そう、クマゼミです。

 30年以上も前に九州に赴任していた時は、大きく響く立派なセミの声をよく耳にしました。いつの頃からか、箱根の山を越え関東にも入ってきたのでしょうが、今年はまだ耳にしていません。ごくごく当たり前の自然の姿が当たり前でなくなると、人間はどうも落ち着かなくなるものです。季節の風物が少しずつ変わっていく。多くの人々は、この微妙な変化に、何となく落ち着かない不安を肌で感じているのではないでしょうか。

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2010年6月 1日 (火)

隅田川から皇居に抜ける風

56_2  東京駅が改修復元中です。大正3年に当代の名声高き辰野金吾が建築した当時の建物に、より近づけた新東京駅に復元されるとのこと。いま丸の内側は、この工事のために、あちこちが高い塀で仕切られ、駅舎の屋根もネットをかぶって解体の最中です。

 私は以前、丸ビル側からレンガ造りの東京駅を眺めていたとき、不思議なことに気づきました。駅舎がどこまでも低く横に伸びているのに、その上にはひとつのビルの姿も見えないのです。駅舎の向こうには何十本もの電車が走るホームがあり、そしてその向こうには八重洲のビル街があるはずなのに、駅舎の上にはビルのかけらも見えないのです。何もない空を120度くらいの角度で左右を見てみると、ずっと左端のほうに新大丸とビル群、右端のほうに新ホテルとビル群が、まるで東京駅の従者のように両サイドに立っているのです。
 そして、この東京駅付近で、もうひとつ不思議なことを経験しました。ある雨上がりの夕方、丸の内OAZOから新丸ビルに抜ける道路を歩いていたら、なんと海の潮風の匂いがしたのです。

 この2つの不思議を忘れていたのですが、あるとき、この東京駅周辺の土地開発にあたった三菱地所の都市開発構想を知って、この不思議の謎が解けました。だいぶ前のことではありますが、要旨はこうです。
 「これからの都市開発構想では、都市機能と人間との共存を考えることが重要。ヒートアイランド現象や地球温暖化の問題などを、新しい都市開発でどのように解決していくのか。その一環として、東京駅周辺の都市開発構想では、隅田川から東京駅そして丸ビル・新丸ビルを抜けて皇居に至る一帯に、「風の通り道」をつくって都市の気温上昇を防ぐように構想したのだと」

 つまり、海に近い隅田川の風が、日本橋・京橋・八重洲・東京駅の真上を通って、写真の通り丸ビル・新丸ビルの間から一気に皇居まで抜けていく、「風の通り道」をつくったのです。そのために、この「風の通り道」には一切のビルを建てず、東京湾の河口に近い涼しい川風が、熱帯の都市のど真ん中に大きく流れ込むのを可能にしたというわけです。丸の内で、なぜ潮風の匂いがしたのかも、これで合点がいきます。
 しっかりした理念をもってヴィジョンを描く。そして、そのヴィジョンに基づき、緻密な設計図を起こしていく、これが都市開発構想の進め方ということでしょう。

 実は、この手順は経営でも、また政治でもまったく同じです。理念なくしてヴィジョンなし。ヴィジョンなくして設計図なし。経営も政治も実存の世界です。大きな構想を実現するための緻密な設計図まで落とし込んでいく。昨今の政治がなぜダメなのか。その理由は、この東京駅に向かって立ち「風の通り道」を実感すると、誰の眼にもわかってくるはずです。

 「たまには楽しいこと嬉しいことをブログに」と思い続けて数ヶ月。もちろんネコの手も借りたいほどの忙しさもあったのですが、なかなか好材料がなく今日に至ってしまいました。ぜひ、次回は楽しいことを。

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2009年10月19日 (月)

「風」の話

50_4  10月も半ば過ぎて、朝晩はめっきり寒くなってきました。今日は「風」のお話。
 先日の台風上陸のときは、夜中に窓の外の木々が、最初はまるで風と激しいダンスをしているように見えたのですが、しばらく見ていると木々は嫌がっているのがわかりました。台風の猛風が「さあ、その幹も枝もへし折ってやるぞー!」と、木々を強引になぎ倒そうとするのを、「いやだあ!負けないよー!」と叫びながら体をくねらせ、何度も何度も立ち直ろうとする光景に見えました。

 台風もそうですが、風にはさまざな種類があって、私の好きな風、嫌いな風があります。嫌いな風は春先にほこりを舞い上げる風、また冬の高層ビルの側面に吹く、3秒で体が凍ってしまうような強く冷たい無機質な風。かといって、体を吹き抜ける風がイヤなのではありません。台風の風は被害のことを考えると不謹慎ですが、雪の中で遊ぶ子犬のように、危険さえなければ外に出て嵐と一緒に遊びたい気分にもなります。

 30代はじめの頃、博多の中州で酔っ払い、歩いて海近くのホテルに向かうときの、玄界灘から吹いてくる風の冷たかったこと、酔い覚めの気分と相まって忘れられません。かといって、真冬の八戸港で味わった津軽海峡の「刺すような冷たい風」は、しばしの間はガマン比べのようで何ともいえない爽快感と緊張感がありました。人間は、覚悟なく不意に食らった風には、どうも弱いのかもしれません。

 私の住む神奈川県にもさまざまな風が吹きます。秋になると必ず目に浮かぶのが、箱根芦ノ湖の湖面を吹く風と仙石原の群生したススキに吹く風です。どちらも、「秋だなあ!」と実感するひんやりした、それでいて気持ちの良い風です。一方、春は、観音崎の灯台に吹く風でしょうか。陽だまりが暖かく、それでいて海からの風は、「これからたくさんの花を咲かせますよー!」という風です。

 冬の風で素晴らしいのは、七里ガ浜の夜の海の風。誰もいない防波堤の階段に座っていると、手元の方しか見えない暗い海に、約50メートルくらいか白い小波が横一列になってラインダンスのようにやってくるのです。あたりが暗い分、このラインダンスが美しく寒い風の中でしばし見とれてしまいます。
 そして、もうひとつ、それは葉山のある海岸の冬の風。

 その風の場所は、むかし岩場に小船が着けなかった大正か昭和の時代か、沖の岩を削って船着場にして、そこからトロッコの線路を20メートルくらい飛び石の上に敷いた場所です。おそらく獲れた魚の入った木箱を、男も女も総出でそのトロッコで運んだことでしょう。それは昔のこと、いまは防波堤の外側に錆びた線路が曲がったまま、誰にも相手にされず残っています。そこは、まるで私のアタマに描くシベリアのようで、春でも夏でも秋でもダメで、ただただ冬の荒い波と鉛色の空と、そして髪の毛をぐしゃぐしゃにする風が似合う場所なのです。今年もあと2ヶ月もすると、その風に会える季節がやってきます。

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2009年9月14日 (月)

「地球に優しく」の欺瞞

48  1971年に世界で初めて、欧州アルプス3大北壁の登はんに成功した女性が、医師であり登山家である今井通子さんです。その今井通子さんが、毎日新聞夕刊の「生き方再発見・新幸福論」の中で、自然の中で生きてきた人らしい対談を記者としていました。

 彼女は現在67歳ですが何しろ生活スタイルは極力自然のままで、化粧も口紅程度でクリームなども使わず、自分の皮膚調節機能を生かし洗顔も水だけ。皮膚細胞のバランスを自己責任で保つことが、健康維持管理のために有効な方法なのだと言っています。

 朝起きた時も部屋の電気はつけないで暗視能力を鍛える、それが災害時の備えにもなり、人間が持つ動物的機能を文明の力で甘やかさない生活になるとのこと。食べ物も長野県の白馬村で米や野菜をつくり、自分の体に有害物質を入れない生活をしているそうです。かといって主義主張で固まった感じは少しもなく、あくまでも自然体なのです。

 そんな自然に生きる今井さんが、大嫌いな言葉があるとのこと。それは「地球に優しく」という言葉。そのわけを私は聞いて、あらためて彼女の慧眼に眼が覚める思いがしました。

 彼女は言います。「優しくしなくたって、地球自体は全く困らないんです。暑くても寒くても。それよりも温暖化して困るのは動植物であり、私たち自身なんです。紫外線が増えたら皮膚がんの危険性も増していく。だって防衛能力を持って作られていないんですから。
 ヒトが心地よく生かされる環境を保つためには、どうするか。もっと自然との付き合い方を学ぶべきだと思いますよ。」 

 私たちは、さもさも「地球を大切に」と思い、「地球に優しく」を合言葉のようにしてきました。しかし考えてみれば、もともと地球は氷河が来ようと灼熱地獄になろうと、それは地球の表面上の問題で、自己エネルギーで内的活動をしている地球には痛くもかゆくもないのです。むしろ、困るのは、この地球上で生かされている我々人間を含めた動物・植物たちだということ。ですから、さもさも地球のことを考えているような「地球に優しく」という言葉が、いかに欺瞞で、しかも高いところからモノを言う人間のおごりから生まれたものであることかを、私は今井さんに教えられました。

 私はマーケティングの仕事をしていますが、「お客様の満足」「お客様のために」ということが全ての考え方の基本です。しかしながら、今井さんの話の後にすぐ、「お客様のために」という言葉について考えさせられる、ある出来事がありました。

 いま大手スーパーやコンビニではプライベートブランドのラッシュで、消費者も従来のメーカー品よりも安いので大喜びです。しかしながら、このPB商品を作っているのは、実は他ならぬその従来メーカー各社なのです。そんな老舗中の老舗の納豆メーカーが先日倒産しました。3パック580円の廉価な納豆が、大手小売店の目玉商品にされてその挙句、儲けがないことから資金繰りに行き詰まり潰れてしまったのです。販売ネットを持っている大手には逆らえず、自社商品と同じ品質を安く叩かれPB商品を受注せざるを得ない状況に追い込まれていった結果でした。

 「消費者のために」が、いままでがんばってきた老舗企業を倒産させてしまう現実。スーパーやコンビニ大手が言う「消費者のために」が、本当に長い眼で見たとき、本当に「消費者のために」なのか、それが本当に世の中のためになのか、私はどうも今井さんの言葉から、「きれいごとの欺瞞」ということがアタマに引っかかって消えません。

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2009年4月27日 (月)

世の中からすべての塀を取り払うと

38  私の住んでいる100メートル四方には、コンビニもなければお店もありません。車を運転しない人にとっては、買い物ひとつ用の足せない不便なところです。そのかわり、自然がいっぱいで、春になると鶯がなき、花が咲き葉が茂り、リスがカタカタといつも声を出していて四季折々を肌で感じられるところではあります。10年前は犬の散歩で、夜の闇にふくろうの声も耳にしました。

 しかしながら、私自身は定住の意識が薄く、たぶん祖先が大陸の騎馬民族だったのでは、と思うくらいです。仕事の関係上、いまの場所に家を建てたのですが、やはり家だとか土地だとかにはあまり執着がありません。ですから、木を剪定したり庭造りをしたりするのも性に合わなく、できれば春は勝手に花が咲き乱れればいいし、秋は落ち葉を踏みしめて歩くのがいいのだと思っています。しかしながら大勢の人が出入りする都合上、ほったらかしてはいられないのも事実です。まあ、私は庭ひとつ履いていませんので、偉そうなことはいえません。

 そうはいっても、いま家の周囲を見ると、ウッドデッキにはカロライナジャスミンが2階の屋根に向かってつる枝を伸ばし、見事な黄色の花を咲かせています。隣家との境を見ると、隣家で植えた羽衣ジャスミンが日当たりの関係でほとんど全部、私の家の低い塀を越えて枝を伸ばし、可憐な白い花が当たり一面に咲き乱れ、甘く上品な香りを漂わせています。かといって、どこまでがどっちでなどというケチな話はなく、さまざまな花や木があっちに出たり、こっちにでたり、低い塀すら見えなくなってしまったくらい、両家とも花や草木の好きに任せているようです。

 かといって、この山のすべての人がそうではなく、隣の家の木が境界線の道標から出たとか出ないとかで争ったり、私道の上に公道の桜並木の枝が伸びてきて、毛虫が落ちるからと、見事な花を咲かせる枝を市に頼んでバッサリ切ってしまうといったこともあるのです。私はいつも思うのですが、もともとこの地球は宇宙の天地変動からできたのであって、誰かが最初に所有していたものではありません。それが人と人が争い、土地を奪い合って、いまでは、本来は誰のものでもないはずの土地に線を敷き、OO国のものだとか、オレのものだとか、全く人間は浅ましいなあと思うのです。

 同じように墓だって、何百万円もかけてネコの額くらいの広さを確保し、ここが「子々孫々までの墓」などと、私には勝手な思い込みをしているように見えるのです。墓についていうと、いま人類の歴史が何十万年も営々と続いてきているのに、日本ではわずか2000年に満たない前の「卑弥呼の墓」さえ、どこにあるのかわかりません。この日本で500年前の祖先の墓に詣でている人が、いったい何家族あるのでしょうか。ちなみに鎌倉では、鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓も確実にはわかっていません。その妻の政子と息子の実朝の墓は、寿福寺というお寺の山の中腹に、小さな祠(ほこら)の前の粗末な墓石としてあるのみです。

 「人類が塀をつくったときから文明が始まった」といわれますが、いいかえれば「人類が塀をつくったときから醜い争いを始めた」のでしょう。所有を意味する物理的な塀が、心の塀になってしまったことはまちがいありません。
 ポーランドのワルシャワで、ヒトラーによって高い塀で隔離され殺されていったユダヤ人の子孫が、いまガザ地区のパレスチナ人を塀の中に閉じ込め自由を奪っています。イスラエルで行った村上春樹さんの講演は、暗にこの点をついていました。もし、この人間の世界から、すべての塀を取り払ったら、人類はどのような社会を新たに作り直していくのでしょうか。

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2009年1月 6日 (火)

トキの生息できる環境が意味するもの

26_3  新しい年の初めに赤と白の色で、さも縁起がよさそうなトキの話をしましょう。
 佐渡島で飼育され9月に放鳥された天然記念物のトキ10羽が、その後がどうなったのか、先日NHKテレビが追いました。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、残念ながら最近1羽が死んで発見され、あと1羽が行方不明だそうです。その他のトキはほとんどが飼育地だった佐渡に定着しているそうですが、1羽だけは200キロも離れた新潟県の山間地帯にまで飛来して生活しているそうです。

 トキの観察員の方は、夜明けとともに飛び回るトキといっしょに車で移動し、望遠鏡で後を追っかけています。その観察からわかったことは、1日5,6回の食事や、わずか3分間に5,6匹のドジョウを食べるとか、アカハライモリなど毒を持った生物は水で毒を洗い流しながら食べるとか、トキそれぞれに食べ物の好き嫌いがあるとか、結構人間のように賢くたくましく生きているのです。

 しかしながら、農薬の散布された水田ではトキは生きていけません。昔ながらのドジョウやカエルのいる田んぼや野原が、トキには絶対に必要な環境となります。また、冬になり水田に水がなくなるとエサとなる水辺の生物がいなくなってしまいます。それもトキにとっては死活問題。そこで村人も協力して、稲を刈り取った田んぼに長い波型の溝を何本も作り、水を絶やさないで小さな生物が生息しやすい環境づくりなど行っています。

 これから佐渡も新潟も豪雪の季節がやってきます。初めて野生の環境におかれたトキが、この寒く厳しい冬をどのようにがんばって生き抜いてくれるのか試される季節となりました。と同時に、人間がトキを育てて数を増やす試みは、人間が自然とどのように付き合っていったらよいのかを私たちが学ぶ機会なのかもしれません。言い換えれば、我々人間と自然との付き合い方について、「トキによる授業」を受けているようにも思えるのですが。

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