ビジネス

2010年11月 9日 (火)

若いビジネスマンに問う「なぜ、民主党は自己崩壊するか」

60  「他山の石」という言葉があります。他のつまらないことでも自分を磨く参考になるというたとえです。そこで、若いビジネスマンの方々にビジネス研究課題をひとつ。設問「民主党という組織は、そう遠くない将来に自己崩壊するが、それはなぜか」

1.組織の原理原則―― 設問に答えるには、まず、この党を「ひとつの組織として分析する」ことが重要です。「組織の原理原則」を教科書的に述べれば、組織には①共通の目標 ②協働の意欲 ③人間関係が必要となるのですが、そのすべてが民主党に欠けていることをさまざまな事象が証明しています。

2.組織の目標 ―― 企業では「組織の方向性」を「理念・ヴィジョン・経営方針・計画」に見ることができますが、党ではどうかというと、マニフェスト(「みんなの党」はアジェンダといっている)がそれに該当します。では、民主党のマニフェストはというと、国民は託児所が足りないと叫んでいるのに高額所得者にも「子ども手当ての支給」を、旧道路公団が無駄な道路を造りさんざ借金の山を残したのに「高速道路の無料化」を、国民が信頼して預けた大預金を勝手に政治家と官僚が利権がらみに転用しないようにと総選挙までやって国民投票したのに「郵政民営化を白紙」に、そして孫子の代でも返せないほどの国の借金があるのにさらに「過去最高の借金予算」を。以上の政策から、一貫した「民主党の目標」を述べてみてください。・・・・そうですよね、この国をどこに向かわそうとしているのか、かわかりませんよね。

3.組織の理念 ―― つまり、企業でも政治でも、組織目標の究極は「人や社会を幸せにする」ものでなければなりません。そうであれば、まず孫子の代への借金も、国民が払う税金も少なくする努力をするのが当然、しかし政策は借金をますます増やし正に逆行しているのです。ではなぜか。それは、民主党のマニフェストの骨子が、小沢一郎というポピュリスト(大衆迎合者)が中心となって作成した「どうしたら国民の票を集められるか」という選挙対策にあるからです。いわば「絵に描いた餅で1票を釣る」ことが目的ですから、この目的には理念がありません。だから政策に一貫性がないばかりか、いざ実行となると自己矛盾で自縄自縛に陥ってしまうのです。

4.組織の人材 ――では、この自己矛盾だらけの「絵に描いた餅」が、なぜ民主党のマニフェストになってしまったのか、それは「真に理念やヴィジョンを描ける人材」が党の幹部にいないことを表しています。「いまの民主党幹部は労働組合あがりと松下政経塾出身者ばかりで経営をしたものが一人もいない」と、くしくも田中真紀子氏がTV対談で喝破した通りなのです。

 国家も企業も「経営こそ要」で、いかに売り上げるか、いかにコストを抑えるか、そして利益を生み、将来の生産に投資し、社員や国民に還元するかは全く同じ土俵なのです。ところが、いま日本では企業幹部にあたる政治家も経営スタッフにあたる官僚も、ともに「お金を稼いだ経験者」がゼロに近いという恐るべき現実があります。ですから道楽息子と同じで、「浪費することにしか頭がない!」メンバーによる擬似政治という国家的欠陥が、そのまま莫大な借金として国民に覆いかぶさってきているわけです。

5.組織の責任 ――「三面等価の原則」というのがあり、人や組織の「権限・責任・義務」は正三角形のごとく等価です。外交において国家権力を行使する権限の対極面には、それだけ重い責任があるわけです。ところが、尖閣諸島の一件では、早々と総理も官房長官も責任から逃げて那覇地検のせいにしてしまいました。がんばった海上保安庁の職員にしてみれば、犯罪人を腰抜け2人が逃がしたと思っても不思議はありません。それが、尖閣DVDがひとたび国民に公開されてしまったら、今度は犯人探しに躍起となる姿は、「彼らの義憤を生んだのはオマエさんたちの大罪と責任だろうが!」と怒っている国民も多いのではないでしょうか。かって北朝鮮船の領海侵犯と銃撃戦を国民は情報公開によって知りましたが、中国船の領海侵犯と故意の衝突暴挙の映像が、どうして国家機密なのかと国の対応にも疑問が残ります。

 また、「200年に一度の災害のために400年かけて大堤防を造る」といった子どもでも「ええっ?」と笑うような馬鹿げたことに、国民の血税が湯水のごとく垂れ流されている現実を前にした「仕分け」。その仕分け人には、「仕分ける権限」があっても「ムダを実際に排除する権限」がありません。つまり、「仕分け」には実行の責任を取る者がどこにもいないというのも現実。つまり「権限と責任」が等価にないいびつな組織、つまり「組織の原則」で政治のシステムをつくれない組織が民主党なのです。誰も責任をとらない組織は、何も動かないので間違いなく瓦解します。「慎重に見守る」経済や「断固たる処置で」という言葉は、何も策がないことの裏返しです。小沢氏の国会招致の件も含めて何事も決断できないリーダーと組織が、若いビジネスマン諸君、いつまで続くと予測しますか。

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2010年9月 9日 (木)

「アリ地獄」に陥らないビジネス

59  車を運転する方、ガソリンの価格がなかなか下がらないので困っていますよね。セルフで給油している方も多のでしょうが、私は窓拭きやゴミ出し、中拭きタオルの提供などに頼り、車内にいて済む不精な選択をしています。

 当然のことながら、このようなサービスで顧客の獲得合戦をしているスタンドは、大して儲からない給油でも、これを入り口にタイヤ交換や車検、その他サービスで実際の経営を成り立たせているのが実情です。ですから、窓拭きも「窓を拭いてよろしいですか」とはいうものの、形式的にやっているところが結構ありますよね。

 そこで、私の車はというと、この形式的な窓拭きでは、困ったことがひとつあります。
 実は、私の車の駐車場は、もともと周囲を木々に囲まれた農地を、自社専用に5台分借り受けたもの。なので、車のフロントガラスやボンネットには、カラスやトビの大きな糞がボタっと落ちていたり、赤い小さな桜の実や紫色の桑の実など、さまざまな木から落ちた実が、車のあちこちで小さな塊として付着してしまいます。鳥の糞は放っておくと石灰化して、ボンネットの塗装まではがしてしまうので大変にヤッカイです。
 ですから、スタンドの店員さんが窓拭きをしてくれても、この糞や木の実のしつこい汚れ部分は「拭き残し」というケースが結構あるのです。

 ところが先日、時々お世話になっているスタンドで、こんなことがありました。
 窓拭きをしてくれた男性は、もう50台も後半でしょうか。汗だくになりながら一生懸命、車の窓を拭いてくれました。実は洗車をして間もないので、あまり汚れてもいなかったはず、給油も終わり、窓もきれいになって、お勘定かと思ったら、再度、違うスプレーを持ってきて、フロントガラスを眺め、ある一点を拭きだしたのです。直ぐに終わったのですが、終わった瞬間、車内で見ていた私と眼が合い、ニコッとして、「きれいになりましたよ」と笑顔で言ったように感じました。わたしもつられて、思わず「ありがとう!」と車内から笑顔で応えていました。一切言葉は交わさなくとも、その瞬間、2人には何ともいえないすがすがしい空気が流れました。

 話は変わって、大手電器店がひしめく首都近郊の、ある地元の電器店。顧客のほとんどがお年寄りなのですが、大手に負けず繁盛しています。デジタルやリモコンなど、いくら安く買っても使えないのがお年寄り。そこで価格は大手量販店より高いのですが、従業員がおうちに出向き、何時間でも親切に、できるまで優しく教えてあげることが繁盛のヒケツとなっています。さらに、買い物もしてあげる、独居のお年寄りには話し相手にもなってあげる。量販店より高い価格に付加価値がついて、他店との差別化を明確にしています。

 ネットビジネスが主流になりつつある現在、「顔の見えない」ビジネスであることから、商品価値としては「価格」だけに主眼がおかれがちです。しかし、本来、対面販売の「商い」には、売り手と顧客の間に、「ありがとう!」と「どういたしまして」といった心の交流から相互の信頼関係と顧客満足が培われてきました。「価格競争」の行き着くところは、共倒れのアリ地獄。デフレ時代のビジネス再生のヒントは、「あのお客様のために」「このお客様のために」といった、本来の「商いの心」をどこまで商品やサービスとして姿にできるかにあると考えています。ビジネスに携わるものは、普遍的な「商い」の価値観をもう一度見直し、「アリ地獄」に陥らないサービスや付加価値のあり方を、改めて追求することが大切です。

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2010年8月17日 (火)

牛丼戦争の先にあるもの

57_2  私の住む鎌倉では、セミがまるで夏が過ぎるのを惜しむように、朝から夜まで盛んに鳴いています。そして朝晩の気持ちいい風が、季節が確実に秋に向かっているのを感じさせます。

 さて世の中は、と見ると、政府の無策がじわじわと日本経済をダメにしていっています。
 やらなければならないことをやらないで、国民が頼みもしない高速道路の料金をいじったり、「子ども手当て」の名目で税金のバラマキをしたり、事業仕分けも大騒ぎした割には削減額も方法もスズメの涙みたいなもので、[景気浮揚策]には何一つ手のつけられない政府の無能ぶりはひどいものがあります。

 民主党政権が国民の期待に応えられないのは、その組織実態がまさに「政治の素人集団」であることを露呈した結果といえましょう。その原因のひとつに、「代議士や総理は軽くてパアが良いのだ。なぜなら、欲しいのは口ではなく数だから」という論理で、金とヨイショで無知な有名人狩りをして政権だけに執着してきた金権政治家・小澤一郎氏の大罪があります。そして、いままた9月には民主党の代表選びで、小澤氏が囲い込んだ素人集団を動かし傀儡総理を担ごうという動きは、日本の国が一体どこに進んでいってしまうのか危惧を感じざるを得ません。

 私はマーケティングが専門なので、政治と企業との関係をどうしても無視できない立場にいます。ですから、いま円高傾向に拍車がかかっているのに何もできない政府を見ていると、景気がプラスに向いていく材料に乏しいのが辛いところです。では企業にとって、このデフレの先はどこに行ってしまうのか。そこで、デフレ現象の象徴ともいうべき牛丼チェーン店の3店舗に行ってみました。

 いま、牛丼戦争は数字を省けば「松屋」が売り上げを伸ばし、それに「すき家」が続き、「吉野家」が苦戦しているのが簡単な図式です。その3店に行った比較で最も印象に残ったのは、あの老舗の「吉野家」のサービス力が落ちたことでした。

 立って待っているお客様に声も掛けない、サービス券でのお釣りがスムーズに出せない、お茶を頼んだお客様に再度水を出し隣の席の頼まない人にお茶を出す、4人いても店長が誰なのかわからない。かってのサービスはどこに行ってしまったのか。たとえ1店舗の現象であっても、まちがいなく組織の力が落ちている証拠なのです。「松屋」も「すき家」も、ボックス席を設けたり、商品ラインナップで女性や子どもを意識しているのがわかります。牛丼の味については、決定的にどこがよいという判定は難しいことからも、サービスの力は大きな集客要素になっていることでしょう。

 では、競争の原点である価格はどうか。マスコミでは盛んに『牛丼が250円の「松屋」「すき家」に対して270円の吉野家が苦戦』と喧伝していますが、実情は、どのチェーン店もセット販売が主流で、単品価格でお客様の数が違うと即断するのは危険です。いまや、従来の「早い、安い、うまい!」に、価格よりもむしろ商品ラインナップや顧客対象を重視したさらなるサービス力が、各社の売り上げの決め手となっていると判断します。

 さて、この牛丼戦争の先には何があるのか。おそらく牛丼そのものでは赤字、副商品のセットで収益を上げている現状から、これ以上の価格ダウンはアリ地獄ともいえます。
 100円マック、250円牛丼、顧客心理をしっかりつかんだテクニカルな組み合わせでビジネスを成り立たせる、しかし、この先には素材の質の低下しか見えてきません。この先の延長線上には、ビジネスの健全な発展が見えないことから、必ず「ゆり戻しのマーケティング戦略」が組まれると予測します。デフレの先には企業にも顧客にも繁栄はない、
 早く健全な経済社会に戻さなければならないことを実感した牛丼戦争の現場でした。

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2009年11月30日 (月)

「事業仕分け」の行方

52  民主党の「行政刷新会議」では27日までに「事業仕分け」が終わりました。これからが本番の会議で、それぞれの仕分け結果について、今後どうするかの具体的な決定がされていくわけです。
 さて、この事業仕分けにはさまざまな意見がありました。「国民の前に税金がどのように使われているか初めてオープンになったことは大いに評価」「大切なことをわずか1時間ばかりで結審するのは無謀」「公開処刑みたいで民主党のパフォーマンスに過ぎない」「はじめに削減ありきで事の重要度を無視している」などなど。

 まあ、何事も初めてのことには賛否両論あるでしょうが、はっきりしたことは、私たちの想像をはるかに超えた税金が、役人の使いたい放題に使われてきた恐るべき実態が浮き彫りになりました。それを追認または一緒になってムダ使いしてきた前政権の罪も見逃すことはできません。当分の間は自民党に弁明の余地なく、何を言っても「負け犬の遠吠え」になってしまうのではないでしょうか。

 ただ、経費を全部洗い出してコスト削減をするのは良いのですが、実は今回の事業仕分けは、手順が逆さまになっているのです。つまり、企業経営でいえば、赤字経営でコストを削減しなければならないとき、まずは企業が存続するアイデンティティを明確にするわけです。それをふまえて今後、自社はどのような戦略で生き残りをかけていくのか、その機軸をしっかりと定めます。まさにその上で戦略を立て、その戦略に基づき何を削減し、何に集中と選択で投資をするのかを決めていきます。

 ですから政治も企業経営と同じで、民主党の言う「戦略局」がまず日本のあるべき姿を明確にして基本戦略を定め、その戦略の上に立ってこの事業仕分けを行えば、ノーベル賞受賞者の批判と抗議も、また「コンピュータは2位ではダメなの?」という門外漢の素人判断が槍玉に上がることもなかったはずです。つまり何に国家が優先的にお金を使うかを決めないで、ただコスト削減では「財務省の手の上で躍らされている事業仕分け」と言われてもしょうがない部分もあります。

 ともあれ、このような矛盾や過ちもありましたが、「情報公開政治」の新しい一歩を踏み出せたことは、政権交代の大きな「功」といえましょう。
 さて、それでは「罪」は何か、それは現内閣が反動政治に走る危惧から充分に予測はできますが、いまはまだ論じる時期ではないと私は思っています。ただ、企業経営では「売り上げアップ」と「コスト削減」の両輪で「健全経営の利益の確保」を求めていくように、国家も同じく、どのように「歳入を増やしていくのか」あるいは「国民の幸せを提示していくのか」、過去の亜流に陥らず先見性のある青写真を具体的に示すことが政府の責務です。

 それでなくても国にお金がないときに、「高速道路の無料化」など国民が特に望んでもいない愚策を実施する必要はないのです。また「子ども手当て」などお金をばら撒いても、「子ども手当て」が必要な家庭ほど、苦しい生活で本来目的には使いません。賃金がジリ貧傾向にある現実では一般庶民はお金を使わず、不安な将来に向けて大口消費を控えています。

 もし政府が本気で景気を刺激したいのなら、「国民が安心できる将来ヴィジョン」と目先の票を追わない「真に思想のある政策」を打ち出すことです。企業でも「バラマキ政策」で発展した企業はありません。将来対策なくして発展なし、いまこそ企業も値下げだけで一時の利を追わず、政治もバラマキで一時の票を追わず、「明日のための今日の施策」を打つことが大切なのではないでしょうか。

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2009年11月17日 (火)

低価格社会の先に

51 690円のジーパン、180円のお弁当。価格のダウンは、とどまるところを知りません。ラーメン1杯食べても800円するお店はざらにあるのに、ラーメン代でジーパンを買ってお釣りがくる。駅弁だって1000円は当たり前なのに、なんとおかずとごはんがついて、500円玉に40円足せば3人分も買えてしまう・・・・。これら大手スーパーなどでは「大量に原材料を仕入れたので」とか「OOOOで加工の手間を省いたので」とか、たしかにもっともらしい理由を述べていますが、どう考えても並みの努力やルートでは到達し得ない価格に接すると、こっそり裏側を見せてもらいたい気になります。

 スーパーやコンビニでは、いままで店頭に並んでいた有名食品が姿を消し、そのスーパーやコンビニ店のマークの入ったプライベートブランドがあちらにもこちらにも売り場を席巻しています。では、かってのメーカーはどうしているかといえば、そのPB商品の生産会社として供給を担っているところが少なくないようです。つまるところ「泣く子と地頭には勝てぬ」ならぬ「泣く子とスーパー・コンビニには勝てぬ」といったところでしょうか。

 そんな中で先月、ある老舗の納豆メーカーがスーパーやコンビニのプライベートブランドを請負い、3パック58円の納豆を供給していたのですが、とうとう倒産してしまったのです。いくら売っても儲けがないことが原因でした。おそらく、この納豆メーカーに関連した零細企業や農家もさまざまあるはずで、倒産企業の方々のご家族はもちろん、その関連会社の方々やご家族も、この冬をどのように越されるのか、思わず顔が曇らざるを得ません。

 価格が下がることは、一見、消費者にとってありがたい話なのですが、もう信じられないくらいの価格というのは、それはどこかの適正利潤をも削っているわけで、そのしわ寄せを受けた企業では賃金カット、従業員の解雇など、さまざなひずみが生まれていることも想像に難くありません。高額商品が売れない、価格が下がる、賃金が下がる、さらに価格が下がる、まさに市場が「デフレスパイラル」に陥ってきているのが現状といえましょう。

 そこで、もうすでに、こういう低価格競争には組しないという企業も現れてきています。
 現に経営者と従業員で話し合った結果、独自の路線を行こうと決めた会社もあります。結局、低価格競争の消耗戦に参加すれば、最後は企業も従業員も疲れきって倒産という図式が見えてきたからです。ではどうするか、彼らの出した答えは「差別化」です。販売店が大手企業がどんなに圧力をかけてきても、他社にはない独自性をもった優れた商品を持てば、自立していけるという考え方に立ったのです。

 消費者にとって企業の真のあり方とはどのようなものか、低価格のみ追い続ける愚から、そろそろ市場は卒業しなければならないのではないでしょうか。「タコの足食い」のような、自分で自分の体を蝕んでいくような消費行動を消費者にさせるのではなく、世の中の景気が本当によくなり、社会全体が発展していくような「次なる幸せのステージ」を模索しなければならない時が、もう、直ぐそこまで来ているように私には思えるのです。「次なる幸せのステージ」―――そんなモデルとなる企業がドンドン出てくることを、私たちは大いに期待したいものです。

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2009年9月14日 (月)

「地球に優しく」の欺瞞

48  1971年に世界で初めて、欧州アルプス3大北壁の登はんに成功した女性が、医師であり登山家である今井通子さんです。その今井通子さんが、毎日新聞夕刊の「生き方再発見・新幸福論」の中で、自然の中で生きてきた人らしい対談を記者としていました。

 彼女は現在67歳ですが何しろ生活スタイルは極力自然のままで、化粧も口紅程度でクリームなども使わず、自分の皮膚調節機能を生かし洗顔も水だけ。皮膚細胞のバランスを自己責任で保つことが、健康維持管理のために有効な方法なのだと言っています。

 朝起きた時も部屋の電気はつけないで暗視能力を鍛える、それが災害時の備えにもなり、人間が持つ動物的機能を文明の力で甘やかさない生活になるとのこと。食べ物も長野県の白馬村で米や野菜をつくり、自分の体に有害物質を入れない生活をしているそうです。かといって主義主張で固まった感じは少しもなく、あくまでも自然体なのです。

 そんな自然に生きる今井さんが、大嫌いな言葉があるとのこと。それは「地球に優しく」という言葉。そのわけを私は聞いて、あらためて彼女の慧眼に眼が覚める思いがしました。

 彼女は言います。「優しくしなくたって、地球自体は全く困らないんです。暑くても寒くても。それよりも温暖化して困るのは動植物であり、私たち自身なんです。紫外線が増えたら皮膚がんの危険性も増していく。だって防衛能力を持って作られていないんですから。
 ヒトが心地よく生かされる環境を保つためには、どうするか。もっと自然との付き合い方を学ぶべきだと思いますよ。」 

 私たちは、さもさも「地球を大切に」と思い、「地球に優しく」を合言葉のようにしてきました。しかし考えてみれば、もともと地球は氷河が来ようと灼熱地獄になろうと、それは地球の表面上の問題で、自己エネルギーで内的活動をしている地球には痛くもかゆくもないのです。むしろ、困るのは、この地球上で生かされている我々人間を含めた動物・植物たちだということ。ですから、さもさも地球のことを考えているような「地球に優しく」という言葉が、いかに欺瞞で、しかも高いところからモノを言う人間のおごりから生まれたものであることかを、私は今井さんに教えられました。

 私はマーケティングの仕事をしていますが、「お客様の満足」「お客様のために」ということが全ての考え方の基本です。しかしながら、今井さんの話の後にすぐ、「お客様のために」という言葉について考えさせられる、ある出来事がありました。

 いま大手スーパーやコンビニではプライベートブランドのラッシュで、消費者も従来のメーカー品よりも安いので大喜びです。しかしながら、このPB商品を作っているのは、実は他ならぬその従来メーカー各社なのです。そんな老舗中の老舗の納豆メーカーが先日倒産しました。3パック580円の廉価な納豆が、大手小売店の目玉商品にされてその挙句、儲けがないことから資金繰りに行き詰まり潰れてしまったのです。販売ネットを持っている大手には逆らえず、自社商品と同じ品質を安く叩かれPB商品を受注せざるを得ない状況に追い込まれていった結果でした。

 「消費者のために」が、いままでがんばってきた老舗企業を倒産させてしまう現実。スーパーやコンビニ大手が言う「消費者のために」が、本当に長い眼で見たとき、本当に「消費者のために」なのか、それが本当に世の中のためになのか、私はどうも今井さんの言葉から、「きれいごとの欺瞞」ということがアタマに引っかかって消えません。

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2009年4月 6日 (月)

準優勝・花巻東高校の強さの秘密

35_6  選抜高校野球の決勝戦は、大会前にはともに優勝候補からほど遠かった長崎・静峰高校と岩手・花巻東高校の行き詰る熱戦となり、1:0で静峰高校の優勝となりました。一時は、大会史上はじめて優勝旗が白河を越えるかと期待されましたが、初出場の花巻東高校の優勝はなりませんでした。しかしながら、その見事な健闘が母校のみならず岩手の人々の誉れとなったのは間違いありません。

 その花巻東高校ですが、県立高校でなく私立だそうです。甲子園で決勝戦まで行くチームですから、さぞ選手は全国から集まっているのかと思いきや、全員が岩手県内の高校の卒業生であることをカーラジオで聞いて驚きました。では、どうしてこんなに強いチームに育ったのか、この学校のエピソードも紹介していました。

 実はこの学校、創立は商業学校だったのですが、昭和57年に合併で花巻東高校になりました。しかしながら、最初は余り風紀のよい学校ではなかったのだそうです。それが、あることから変わっていったのだそうです。
 そのあることとは、毎朝、生徒の登校時に先生たちが校門にたち、必ず生徒に「おはよう」の声かけをし始めたことがきっかけでした。この「おはよう」の声かけから数十年、いまこの学校の周囲に住む人々は、生徒からさわやかで大きな「こんにちは」とか「お元気ですか」とかいう声をかけられているとのことです。

 先生たちの「おはよう」には、教育者の深いところの熱意と思いがヒシヒシと伝わってきます。そして、いまその「おはよう」が生徒の中に浸み込んで、今度は生徒の「おはよう」の声になって先輩から後輩へと受け継がれている姿が浮かびます。全国から選ばれた多くの高校が、勝利すると高らかに歌う校歌には、必ず「伝統」という歌詞が登場しますが、学校の中で先輩から後輩へ受け継いでいく大切なものは何かを、この花巻東高校は改めて私たちに教えてくれているように思えます。

 さて、企業の中で経営者もビジネスマンも、「思い」をどのように社員や仲間に伝えていくのか、どのように「いま」を変えていきたいのか、忍耐も我慢も必要で簡単なことではないでしょうが、私たちは、花巻東高校の先生と生徒から大きなヒントをもらいました。

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2009年3月 9日 (月)

宇宙飛行士の最終試験

33  3月8日のTV「NHKスペシャル・宇宙飛行士の最終試験」という番組で、日本で初めて飛行士2名が選ばれる過程が放映されました。
 その選考試験はまるで夏の甲子園のようで、全国から963名が応募、書類選考で「英語力」が審査され、その後1次選考,2次選考,3次選考と8ヶ月間をかけて最後の10名までに絞り込まれ、1週間の最終選考で3名以内が決定されます。その選考場所に初めてカメラが入り1週間、密着取材が行われました。

 銀行の金庫のような厚い扉が閉められ一切の外出禁止、宇宙船を想定したような環境で1週間、すべてをテレビモニターが映し出すプライベートのない生活をします。その間、グループ分けされたチームに課題が与えられ、その映像が別の場所にいる審査員たちにチェックされ評価の対象となります。

 まずチームに与えられた課題は、「人を癒すロボットをつくれ」。
 限られた時間の中で、どのようにロボット完成までこぎつけられるか、「宇宙飛行士の資質」である「リーダーシップ」が試されます。スタートしてまもなく、ひとりだけ胸と背に被るゼッケン「H」を、「I」につけまちがえたメンバーがいました。これも審査員からは、減点対象。宇宙では、小さなミスが命取りになることも少なくないからです。

 その間、「特技を生かしてどのように皆を楽しくさせられるか」で「人を和ませる力」を評価されます。折り紙を配って「時間内に折鶴をどれだけ折れるか」で、細かい同じ作業の繰り返しからの成果と合わせ「ストレス耐性」を評価されます。その後突然、出来上がったロボットに審査員から「もっとおもしろいものに」と注文がつけられて、ほとんどないような短い時間で「どれだけ要請に応えられるか」で「緊急対応能力」を評価されます。

 実は、これらの能力はすべて、宇宙飛行士の資質として実際に必要とされるものなのです。つまり、今回の採用は、スペースシャトルのリーダーとなれる人物の採用であり「リーダーシップ」が、宇宙の中でストレスをためた人々を癒す必要性から「和ませられる」資質が、細かい作業を根気よくやり遂げる必要から「耐性」が、そして現実にあった教訓で、スペースシャトルが宇宙で故障し3名が地球に戻れない危機に直面した時、存在しない機器をすばらしいチームワークで冷静に作成し奇跡のように地球に生還した事実から「緊急対応能力」が求められているのです。

 そして最後の資質を今度はNASAに直接行って、宇宙に行った土井さんを含めた実際の宇宙飛行経験者7名によって面談テストをされます。その資質の最後は、「宇宙飛行士としての覚悟」です。その面談で、審査員たちは希望者の人物の本質を見抜くのです。つまり「あなたはダレなの?」。

 このようにして10名の最終候補者の中から、厳しい審査に合格して見事2名の新宇宙飛行士が選ばれました。ひとりは、全日空で副操縦士として国内線や国際線のパイロットをしている大西卓哉さん33歳。もうひとりは、航空自衛隊で戦闘機などのテストパイロットとして経験を積んできた油井 亀美也(ゆい・きみや)さん39歳です。2人は、早ければ4年後に国際宇宙ステーションに滞在することになるそうです。

 さて、「リーダーシップ」「人を和ませる力」「ストレス耐性」「緊急対応能力」「覚悟」――これらが今回の宇宙飛行士の最終選考基準でした。よくみるとおわかりのように、「経営者」や「経営幹部」にも必要な資質と能力であることがわかります。つまり、これらの能力は一言でいうならば「人間力」です。この「人間力」は宇宙に行かなくても、地球上においても、やはり「魅力と能力のある人物の資質」と言えるのではないでしょうか。

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2009年2月16日 (月)

お金を巻き上げる人と躍らされる人

31_2  私の住んでいるところは鎌倉です。この鎌倉から一駅のところに大船という街があります。大船は、東海道線、横須賀線、そして湘南モノレールの駅が集中し、結構な賑わいを見せています。とくに、「仲通商店街」は有名で、魚や野菜が湘南でも特に安く、よくTVでも取り上げられます。

 で、この街を見てきて30年以上になりますが、最近特に街が変貌してきているのが気になっています。といいますのは、大きな書店がなくなり、老舗のお店がなくなり、ただ増えてきたのは、大型のドラッグストアと携帯ショップと大型ゲームセンター、そして林立する大型パチンコ・スロットのお店です。新規開店時には会員登録制?に行列ができ、おじさんやおばさんが案内嬢に店内へ誘導されていく姿を見ていると、何とも切ない気持ちになってきます。

 もともとこの地には「大船松竹撮影所」があり、文化の発祥地でもありました。さらにさかのぼると江戸時代、実はこの周辺は湿地帯で「粟を積んだ舟」が行き来していたそうです。その「粟舟」が転じて、「あわふね」「おおふな」となったといわれています。そんな場所ですから、昔は田んぼや畑しかない農村地帯だったのでしょう。そして、この一帯を、いまも残る古い家名の数人の地主たちが所有していたようです。

 では、なぜ、これら広大な土地持ちが誕生したかといえば、ここらの農夫たちは、雨が降ると結局、悲しいかなバクチしかすることがなくて、その挙句、お金がなくなり金貸しに借りる、その借金の形に土地が取られ、金貸しはドンドンと所有する土地を増やしていったという話しがもっともらしく伝わっています。

 いまの大船は、昼間から主婦が買い物袋を提げながらパチンコ屋さんから出てきます。お金をスッて何ともいえない表情をしているのですが、はたしてご主人は知っているのでしょうか。いま大船に、ドンドンと広がるパチンコ屋やゲームセンター、そして携帯ショップを見ていると、言葉は悪いですが世の中の「ズル賢い人々」が、「思慮に欠ける人々」を「カモ」にして、さまざまな仕掛けを「エサ」に、お金を巻き上げているようにも見えてくるのです。

 電話やネットで低俗な性をウリモノにして荒稼ぎをする業者と、まんまと乗せられる愚かなお客。何度でも買い物ができて元金が減らないという「円天」マネーを考え出したずる賢い男たちと、その幻想の貨幣に群がった人々。いつの時代も、「小人閑居して不全を為す」(小人物は、暇ができるとロクなことをしない)の喩えどおり、愚かな者を相手に、ズル賢い人間が彼らを食い物して、「お金を巻き上げる構図」が消えてなくなりません。
ラクして遊びたい、儲けたいという一攫千金を求める人々が、世の中の「金喰いの罠」に飲み込まれ、逆にお金を失っていく、街全体がドンドンと非生産的な遊び場に変貌していくのを見ていると、どうしても私たちの社会に危機感を持たざるを得ません。

 実体経済が世界を動かすのでなく、実体のないマネーゲームである金融がモンスターとなって、世界のまともに働いている人々を不幸のどん底に陥れたのが2009年のいまです。サブプライムローンに始まったこの愚は、「お金を巻き上げる人々と、お金を掠め取られる人々の構図」として、規模こそ違っていても大船の街の変貌と本質が同じように思えるのです。

 よくTVなどで自給自足に近い山村のお年寄りを目にしますが、どの方も皆、穏やかなすばらしいお顔をしていらっしゃいます。それに比べて、都会の人々は、どこか血走っていてゆとりがありません。私たちにとって「幸せ」とは何か、もう一度、日々の生活の中で、「お金」に踊らされない人生とはどのようなものか、皆で考えてみたいものです。

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2009年1月19日 (月)

アラウンド団塊世代の“昭和の郷愁”を商品化する

28  このお正月にTVのCMで、対照的な2つの出版物の宣伝合戦がありました。
 ひとつは、パートワーク商品のお手本となったディアゴスティーニジャパン社の「東映時代劇シリーズ」で、創刊号がオールスター総出演の「赤穂浪士」。もうひとつは小学館の「落語 昭和の名人 決定版」で、創刊号が「3代目 古今亭志ん朝」。まあ、昭和を知らない若者には、「なに、それ?」といったところでしょうか。

 ディアゴスティーニジャパンの「東映時代劇シリーズ」は、ずばりアラウンド団塊世代の「映画少年」をターゲットに狙った企画といえましょう。もう少し正確に言えば、終戦をはさんで前後5年といったところでしょうか。ちなみに、この出版社は趣味の世界に絞り込み「冊子+マテリアル」で日本に上陸したイタリアの出版社で、マーケットを明確にしたパートワーク(分冊百科)というシリーズもので、コレクターの心理を上手につかんだ新出版戦略を成功させています。
 なお東映時代劇は、NHKラジオの連続放送劇「新諸国物語 笛吹童子」がヒットした翌年(昭和28年)に映画化され、このシリーズによって(私も含めて)日本の子どもたちは東映時代劇のとりこになっていったと記憶します。

 一方、小学館の「落語 昭和の名人 決定版」は、このディアゴスティーニ商法に倣ったもので、創刊号に「古今亭志ん朝」をもってきたところに苦心のあとが見られます。というのは、すでに昭和の名人クラスの、「志ん朝」のお父さんである「志ん生」、歯切れがよくって粋な「円生」、演目「薮入り」など右に出るのもがいない金馬、演目「たぬさい」などとぼけた味の「小さん」、話しにパアっと華がある「文楽」などなどの落語全集は今までに結構出ているのです。しかしながら、今回も創刊号のあとにはこれら名人がラインナップはされているものの、シリーズもののコレクションのトップに「志ん朝」をもってきたところに工夫があります。

 というのは、先の名人クラスはすべて明治大正生まれなのに対し、惜しくも逝ってしまいましたが「志ん朝」は昭和生まれの、いわば落語界のサラブレッドNO.1名人であることです。ここに小学館の、アラウンド団塊世代の落語好きを狙ったマーケット戦略を見ることができます。

 映画「三丁目の夕日」の重要な時代背景になった東京タワーの完成が昭和33年。東映の創立10周年を記念してつくられた超大作の「赤穂浪士」の封切りが昭和36年。古今亭志ん朝」が若干24歳で、先輩を36人抜きで真打に昇進したのが昭和37年。これら時代背景を見ても、アラウンド団塊世代が懐かしいと郷愁を掻き立てられる「昭和30年代」は、いわば現代のユートピアなのかもしれません。平成の現代が、どれほど棲み辛い世になっているのかの対極に、この「昭和30年代」が象徴的に扱われているように思えるのです。

 さて、ヒットした「三丁目の夕日」の「昭和30年代」は、現代の若者にはきっとSF的な、ものめずらしい世界に違いありません。さて、それでは、この「赤穂浪士」や「志ん朝」は、この若者たちの目にはどのように映るのでしょうか。団塊世代の親父と昭和の時代を知らない若者とが、「赤穂浪士」や「古今亭志ん朝」を肴に酒でも飲んだら、どんな会話になるのか興味深いところです。

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