趣味

2009年1月19日 (月)

アラウンド団塊世代の“昭和の郷愁”を商品化する

28  このお正月にTVのCMで、対照的な2つの出版物の宣伝合戦がありました。
 ひとつは、パートワーク商品のお手本となったディアゴスティーニジャパン社の「東映時代劇シリーズ」で、創刊号がオールスター総出演の「赤穂浪士」。もうひとつは小学館の「落語 昭和の名人 決定版」で、創刊号が「3代目 古今亭志ん朝」。まあ、昭和を知らない若者には、「なに、それ?」といったところでしょうか。

 ディアゴスティーニジャパンの「東映時代劇シリーズ」は、ずばりアラウンド団塊世代の「映画少年」をターゲットに狙った企画といえましょう。もう少し正確に言えば、終戦をはさんで前後5年といったところでしょうか。ちなみに、この出版社は趣味の世界に絞り込み「冊子+マテリアル」で日本に上陸したイタリアの出版社で、マーケットを明確にしたパートワーク(分冊百科)というシリーズもので、コレクターの心理を上手につかんだ新出版戦略を成功させています。
 なお東映時代劇は、NHKラジオの連続放送劇「新諸国物語 笛吹童子」がヒットした翌年(昭和28年)に映画化され、このシリーズによって(私も含めて)日本の子どもたちは東映時代劇のとりこになっていったと記憶します。

 一方、小学館の「落語 昭和の名人 決定版」は、このディアゴスティーニ商法に倣ったもので、創刊号に「古今亭志ん朝」をもってきたところに苦心のあとが見られます。というのは、すでに昭和の名人クラスの、「志ん朝」のお父さんである「志ん生」、歯切れがよくって粋な「円生」、演目「薮入り」など右に出るのもがいない金馬、演目「たぬさい」などとぼけた味の「小さん」、話しにパアっと華がある「文楽」などなどの落語全集は今までに結構出ているのです。しかしながら、今回も創刊号のあとにはこれら名人がラインナップはされているものの、シリーズもののコレクションのトップに「志ん朝」をもってきたところに工夫があります。

 というのは、先の名人クラスはすべて明治大正生まれなのに対し、惜しくも逝ってしまいましたが「志ん朝」は昭和生まれの、いわば落語界のサラブレッドNO.1名人であることです。ここに小学館の、アラウンド団塊世代の落語好きを狙ったマーケット戦略を見ることができます。

 映画「三丁目の夕日」の重要な時代背景になった東京タワーの完成が昭和33年。東映の創立10周年を記念してつくられた超大作の「赤穂浪士」の封切りが昭和36年。古今亭志ん朝」が若干24歳で、先輩を36人抜きで真打に昇進したのが昭和37年。これら時代背景を見ても、アラウンド団塊世代が懐かしいと郷愁を掻き立てられる「昭和30年代」は、いわば現代のユートピアなのかもしれません。平成の現代が、どれほど棲み辛い世になっているのかの対極に、この「昭和30年代」が象徴的に扱われているように思えるのです。

 さて、ヒットした「三丁目の夕日」の「昭和30年代」は、現代の若者にはきっとSF的な、ものめずらしい世界に違いありません。さて、それでは、この「赤穂浪士」や「志ん朝」は、この若者たちの目にはどのように映るのでしょうか。団塊世代の親父と昭和の時代を知らない若者とが、「赤穂浪士」や「古今亭志ん朝」を肴に酒でも飲んだら、どんな会話になるのか興味深いところです。

| | コメント (0)

2008年10月20日 (月)

将棋と囲碁と経営と

17  先日、NHKテレビで、将棋の羽生義治名人の強さの秘密について特別番組がありました。
 その卓越した頭脳の中を、覗いてみたいですよね。さて、あなたは囲碁や将棋をやったことがありますか。
 私は、たぶん小学校低学年の時にはすでに将棋を覚えていたような気もするのですが、強くなったのは高学年になって父の手ほどきを受けてからです。父はいまのアマチュア二段くらいだったのではないでしょうか。中学1年くらいで同じくらいの力になり、2年生の時には父を超え、高校の頃には学校にも相手がいないので、新宿にあった二上達也将棋道場に通いアマチュアの四段くらいにはなっていたように思います。

 将棋の好きな方はご存知のように、当時、前人未到の記録を次々と打ち立てていた故大山康晴名人の絶頂期に、何度も挑戦したが名人になれなかった悲運?の棋士が二上達也八段です。その道場には弟弟子の勝浦修(現・九段)が手合係り(お客様同士の取り組みを決める仕事)をしていて、ほぼ同年齢の私と何度も眼が合ったのを覚えています。まあ、将棋に興味のない人には、まるでつまらない話です。

 さて、経営者やリーダ-をめざす人は、ぜひ、将棋や囲碁を覚えていただきたいのです。それも遊び程度でなく、真剣に強くなっていただきたいのです。ただし、まだ20代ならばの話しです。それ以上では、仕事が忙しく囲碁や将棋どころではありませんものね。

 では、囲碁や将棋が、どのような効用があるのかを、あらためて述べてみましょう。
 まず、将棋も囲碁も対局前から目的が明確なのです。将棋は、相手の王将を詰ます、いいかえれば敵の王将を逃げ場のない状況に追いやり捕獲するのが目的です。一方、囲碁は相手より、より多くの自陣のスペース(碁盤上の十字の目)を取ることが目的です。このことを経営に置き換えれば、「明確な目標を持って経営を行うべし」ということです。ですから「へぼ将棋、王より飛車を可愛がり」という川柳は、「稚拙な経営は目標がぶれる」という戒めと解釈できます。

 次に戦い方なのですが、囲碁では「損して得取れ」など学ぶべきところは多いのですが、きょうは将棋中心にお話しします。
 将棋では、序盤・中盤・終盤では、戦法が変ってきます。最初は、どのように戦うかを決めて、その作戦に則った陣形を整え(方針に合わせ組織を形づくる)ことが大切です。次に、敵の駒と戦闘が開始する中盤になると、駒損をしないで戦いを有利に進めること(収支バランス)が重要になります。この中盤では「ここぞ戦い時」と勝負の運気を見抜く眼も大切になってきます。そして、相手と一手争いになる終盤になると、駒の損得よりスピードを最優先して先に相手の王将を追い詰めていく(チャンスを逃さないスピード重視)ことになります。つまり、局面局面で臨機応変に作戦を変える(環境適応能力)ことが必要で、それでいてつねに目標への到達まっしぐらなのは、まさに「望ましい経営」そのものといえましょう。

 そして将棋でも囲碁でも、最も大切なのは「大局観」です。部分の損得にとらわれず、つねに全体を見渡し的確に状況を把握する能力です。この「大局観」に基づき、いま何をすべきかを考え着手する、まさに「着眼大局・着手小局」で、大きな目標に向かって今やるべきことを一歩一歩着実にやっていくわけです。これぞ、「あるべき経営の姿」そのものいえましょう。

 さて、この「大局観」ですが、実力のないうちは、まるで想像もできない世界です。盤を見ていても、まるで見えてこない世界でしょう。ビジネスで議論や話がまるでかみ合わないとき、この「大局観」の違いが原因であることも少なくありません。そう見てくると、経営者の条件として最も必要な資質は、何といっても、この囲碁や将棋と同じ「大局観」であるといえるのではないでしょうか。

| | コメント (0)