経済・政治・国際

2014年8月 6日 (水)

ホンモノの平和主義と、ウソの平和主義

66_3 フランスに旅行した若い女性が、よく買って帰るお土産に「モンサンミシェルのガレット」があります。モンサンミッシェルとは、フランスの西海岸に浮かぶ小島で、ユネスコの世界文化遺産にも登録されているカトリックの修道院であり巡礼地でもあります。

そのモンサンミッシェルの海では、その潮の激しい満ち引きを利用してカキの養殖が行われてきました。そのカキの養殖について、先日、BS放送では、日本とフランスの心温まるエピソードを紹介していました。

いまから50年ほど前のこと、濃厚で美味しいモンサンミッシェルの海のカキが、細菌によって全滅してしまいました。そこで、猟師さんたちはポルトガルからカキの種を輸入したのですが、またまた菌で全滅してしまったのです。
途方に暮れた猟師さんたちは世界中、細菌に強いカキの種を探し回わりました。するとカナダのカキが菌に強いことがわかり、そのルーツをたどると、菌に強いそのカキは日本の宮城県産のものだということがわかったのです。

モンサンミッシェルの海の猟師さんたちは、宮城県の桂島の猟師さんたちに交渉し、その菌に強いカキの種を譲り受けられないかを打診しました。すると桂島の漁民たちは、親切にも、快く応じてくれたのです。そのカキは再びモンサンミッシェルの海を、カキの名産地に蘇らせたのでした。それから50年、今ではフランス中から、このカキを食べに来る観光客でいっぱいです。

2012年、東日本大震災で東北のカキは全滅しました。美しい桂島のカキも全滅しました。その大震災を知ったモンサンミッシェルの海の猟師さんたちは、立ち上がったのです。桂島の猟師さんたちに、たくさんのカキの種を網ごとプレゼントしてくれたのです。50年前の絆、それが再び遙か遠い国、フランスと日本の人々の心を結びつけたのでした。そのおかげで、いま桂島ではカキの養殖が実を結び、再び見事なカキを出荷できるようになりました。

いま日本は、「積極的平和主義」の名のもと、戦争への一歩を踏み出しました。
太平洋戦争の末期、日本は劣勢を国民には知らせず、軍によるたび重なる「退却」を、マスコミにも「転進」と言わせ事実を隠しました。「きれいな言葉」で国民を欺く―――それが不都合をごまかす「時の悪しき政府」の姑息な常套手段です。

「国民の命と財産を守るために(?)同盟国と一緒に戦争をする、それが積極的な平和主義」「戦争のできない国から戦争のできる国へ、それが積極的平和主義」「同盟国に武器を輸出して、何の罪もない子供や女性の殺戮に加担する、それが積極的平和主義」――あなたは、この「きれいな言葉」を信じますか。
私は、モンサンミッシェルの海の猟師さんたちと宮城県桂島の猟師さんが、人間が本来持っている善意に基づいた交流により、50年の歳月を超えて助け合った事実こそ、ホンモノの「積極的な平和主義」であると思っています。

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2012年4月13日 (金)

東電社長の権利宣言と官僚プレデター

64_2    ブログの間隔がどうしても開いてしまうのは、忙しいこともあるのですが、実は楽しいお話を書きたいのに、なかなかそういう状況にないからです。そして、いくつかの企業の経営に係わっていると、どうしても怒りの矛先が愚かな政治に向かざるを得ません。そこで、きょうは、原発のもつ罪の深さを探ってみることにします。

 江戸から明治にかけて、貧しい農村や漁村から、多くの娘たちが借金のカタに吉原などの遊郭に売られてきました。昭和から平成に時代は変わって人身売買ができなくなってからは、貧しい農村や漁村では、それを見透かしたように中央官庁と結託した電力会社が、この30数年、人どころか村一帯、県一帯を札びらで頬っぺたをひっぱたい原発をOKさせてきました。原発は、表では電力需要を満たす夢のエネルギーとして、裏では将来の核保有への第一歩として、そのスタートを切り、今日に至りました。

 原発の誘致地域では、原発関連の雇用が生まれ、道路も舗装され、立派な公民館や体育館、中には温泉施設までできて、まるで村や町が豊かなパラダイスになったかのように見えました。が、福島の原発事故で、日本中が夢から覚めたのです。その結果、農村や漁村の命の証である自然の幸は全て廃棄!そして、孫子の代まで半永久的に土地には戻れない悲惨な現実を迎えました。つまり、我々は「安全」を謳い文句の、国家をあげての詐欺商法に出会い、とうとう不幸のどん底に落とされたのです。さらに、使用済みの核廃棄物は、何と10万年の先までその害は消えないといわれています。

 その悲惨な福島を生んだ、その原発の原因分析もなく、対策も何一つ講じられていないまま、いま、政府は原発を再稼動させるべく、「暫定安全基準」などといった忍者の目くらましのような手法を使い出しました。例えるならば、防災対策のできていない歌舞伎町のビルで、甚大な被害の火事を起きたのに対し、同じ老朽化している隣のビルは、「いま防災対策はできていないが、2,3年後はこうなる」という計画書、「暫定安全基準」とやらを所轄官庁に提出したら、なんと3日で営業許可が下りたという話。双方グルの八百長芝居であることは、子供でも理解できます。

 では、なぜ、こうまでしても政府は原発をやりたがるのか。その背景は、すべて東電社長の(どうも私には、あの慇懃無礼な態度と丸眉毛が「暴れん坊将軍」にでてくる“三河屋”に見えてしょうがありません)、例の「値上げは権利」といった発言に象徴される現実がある、と私は思っています。

 彼の発言の心理的背景はこうです。東電は霞ヶ関や虎ノ門にとどまらず、東京だけでもおびただしいほどの数の天下り官僚を、経済産業省はじめ各省庁から受け入れています。東電が原発を有し、動かしている限りは、彼ら天下り先の就職は永久に安泰!天下を動かしている豪商として、天下り官僚を食わしているのは我々東電だ!という自負心を持っても不思議はありません。その上、政治の世界では、政治家たちには政治献金で恩を売り、彼らに原発推進の音頭とりをさせ、我が意のごとく政治を動かしてきた現実があります。それだけではなく、学者の世界にも介入し、大学や研究所への支援・個人への寄付などで、原発の安全神話をせっせと構築した御用学者を育て操ってきたのです。ですから、東電の社長の心理は―――「彼らを食わしているのは我々東電だ!多くの人々を幸せにし、食わせるための権利遂行がなぜ悪い!国家を支えてきた我々を何だと思っているのだ!」と、当然のことのように「値上げは権利」と言うのも、彼の立場にたてば頷けることといえましょう。

 ですから、原発を動かさなければ、官僚の天下り先の安泰は保障されず、ご恩の返せない政治家は政治献金を頂戴できなくなってしまいます。そこで、彼ら官僚や政治家の心理は―――「さあ、大変!日本のお国のことよりも、自分たちの身の安泰が優先。別に原発のエリアに住むわけではないし、なんとか原発を動かして安寧の禄に預かりたい!そもそも原発をやめたら、将来の核保有だってできなくなる・・・」―――ただし、声高に「賛成!」は風向きが悪い。では、どうするか。

 そこで、官僚も東電も恩になった政治家も考えることはひとつ―――「総理大臣に言わせるのが一番!なぜなら、彼は、財務省のお先棒を担いで、未曾有の天変地異が起きたにもかかわらず、「税と年金の一体改革」という詐術的言語を入れ知恵したら、 “年貢(消費税)を上げることに命を懸ける”と口走った愚直な宰相。だったら今度は、経済産業省のお先棒を担いでもらって、何が何でも“原発、再稼動”に、ひと働きしてもらおう。そのためには、もっともらしい言い訳として「経済発展のために原発は欠かせない!」、なら経済界も味方するはず。安全でないのはわかりきっているが、最後は、“政治判断”といった伝家の宝刀も用意したので、いまは何が何でも再稼動が大事」といった具合。

 官僚も東電も、「原発が一基も動かない状況をつくったら、国民は、原発なくてもやっていけるじゃない!」と確信するはず。そういう状況は絶対につくってはならないと思っているのです。これから、しばらくは知事や市長はじめ地元の反対派の切り崩しを、官僚と電力会社が、あらゆる手を使って政府と政治家を操りながら暗躍するはずです。

 「官僚はプレデターである」という人がいます。消費税も、原発も、表面は政府や総理大臣が動いているように見えますが、実際は官僚が見えないところで暗躍しているということです。つまりプレデターは、人間には姿を見せないのです。血だって、一般大衆と違って赤い血は流さず、緑色です。本当の顔は醜く奇怪です。さて、このたとえが本当かどうか、この国はどこに行こうとしているのか、プレデターの本当の姿はどのようなものなのか。官僚のすべてがプレデターで、人間でないとは思いたくありません。しかし、少なくとも、何かにとり憑かれたように「原発再稼動」と声高に叫ぶ原発亡霊と、その裏で糸引くプレでターの言いなりになっては、日本の未来はないのです。

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2011年12月 6日 (火)

語るに落ちた原子力発電、だが彼らはゾンビとして生き永らえる

63_2  20代の後半、私が北鎌倉に住み始めた頃、横須賀線のホームの最後列にある金網に、奇妙な看板が立っているのを目にしました。「ここから降りてはいけません」。
そこで、「ははーん」と合点がいったのです。つまり、ここから降りる人が結構いる!

 たしかに、北鎌倉駅のホームは1直線で、地の果てまでも続きそうに長い。そして、何と!出口が最前列だけにしかないために、大船寄りに家のある人は、いったん円覚寺の門前近くまで歩いていって、そこから遠路?はるばる戻ってこなければならないのです。遅い時間に帰るような人には、冬の寒い日や雨の日などは、どう考えても辛く時間のムダと思うのが人情。まさに、この「出てはいけません」は、「語るに落ちる」言葉で、「ここから出られます」「ここから出ます」の裏返しなのです。

 同じように、「語るに落ちる」ショールームがあったのです。それは、銀座の松坂屋裏にあるTEPCO銀座館。いまは、(恐らく3・11以降でしょう)閉館になっていますが、東京電力の「プルサーマル計画」を紹介するショールームでした。「プルサーマル計画」とは、一言で言うならばプルトニウムとウランを活用した原子力発電で、これがどれほど私たちの将来にすばらしいことかを、特に子どもたちを対象にヴィジュアル化したショールームになっていたのです。

 ここを通りすがりに偶然に訪れ、初めて展示を見た時、「これはクサい!」と感じたのです。「原子力はすばらしい!」「プルサーマル計画はすばらしい!」と見せられれば見せられるほど、原子力発電への危険度を感じ危惧感を抱いたのは、おそらく私だけではないはず。ここまで「原子力は安全」だとか「原子力はすばらしい」と、「21世紀は原子力が当たり前」と子どものうちから洗脳しようとする意図が露骨であればあるほど、「これは絶対に安全でない」「恐ろしい裏がある」ことを、大いに語ることになっていたからです。

 つまり、この「プルサーマル計画」のキーワードであるプルトニウムとかウランとかいう物質は、もうおわかりのように北朝鮮の核開発でおなじみの単語で、つまり、日本が将来「原子力開発の先で何をしたいのか」、国策の暗黙の計画も間違いなく透けて見えたのです。だから、原子力開発は平和利用を旗印に今後もやめないし、裏の国策としてもやめられないのです。

 最近では、除染作業もままならない現状にありながら、いままた原子力発電の旗振り役だった経済産業省は、本来なら原子力発電推進者として被告席に座るべき御用識者を、またまた再生可能エネルギーの第3者委員会のメンバーとして選び、再生可能エネルギー潰しをしようとしています。第3者委員会という名の「八百長芝居」で、原子力発電以外の新エネルギーの算入を阻む「邪魔者潰し」を謀っているのが実情です。

 原子力発電と表裏の関係にある原子力開発は、つねに平和利用を表舞台に、そして裏の核開発を隠しながら進む、21世紀の地球上のモンスターなのです。日本の電力会社が事実隠しやヤラセを含め、何を言われても平然としているのは、彼らは自分たち自身が「時代のゾンビ」であることをひそかに知っているからでしょう。世間にいくら叩かれても踏まれても、巷が送電分離などと叫んでも、いまの政治家を政治資金で子飼いにし、官僚を天下らせて恩を売る電力会社は、絶対に死なない「核を握ったゾンビ」として、「本当は俺たちが日本を動かしているのだ」と、これからも日本の国を牛耳っていくに違いありません。この
ゾンビを、国民として今後どのように扱っていくのか、私たちの将来の選択が迫られているのです。

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2011年4月25日 (月)

ガキ大将の経験のない者は首相になるべからず

62_2  もう、何十年も経って時効でしょうからお話します。
 私が育ったのは、戦後間もない頃の東京千代田区麹町。家業は化粧品屋。私の遊びのテリトリーは、東は半蔵門、西は四谷3丁目、南は赤坂見附の弁慶橋、北は市谷あたりまで。そして、もっとも遊んだのが上智大学やイグナチオ教会の周辺。と言っても、当時の校内は、米軍が持ち込んだカマボコ型の住居がいくつかあり、まだまだ建築現場や空き地の多かった場所でした。

 そのような校内に、木々が生い茂り、ひときわ静かな小路をもつ庭があったのです。それが神父さんの住んでいる石造りの3階建ての前庭。その庭は、神父さんが腕を後ろに組んで思索したり、読書しながら散歩したりする、なんとも神聖な雰囲気の庭でした。(形は狭く変わりましたが、いまも庭はあるようです)

 実は、その庭には、実がいっぱいなる大きな甘柿の木や、果物屋でも高値で売れるような立派な実のなる大きな琵琶の木などがあって、私たち子どもにとっては最高に誘惑の庭だったのです。しかし、昼間は神父さんがいて、なかなか思うようにならなりません。そこで、悪ガキのリーダーだった私は、昼間、4、5人の仲間とY字の枝を竹竿に差込み準備OK、庭の草むらに隠し、夜8時、銭湯に行くことを口実に、その庭に集結したのでした。

 リアルタイムで実況すると、まずは、庭の入り口に見張りを立て、誰かが庭に来れば直ぐに伝令。我々は柿の木から見える神父さんの部屋の明かりを凝視、「そのとき」を待つ。音と気配を察知されれば作戦は失敗、その時がきたとばかり、主犯の私は息を殺しながら、スローで柿の実の枝に二股を差込む。そして静かにねじると、最小限度の柿の実と枝と葉が一緒になって落ちてくる。これを他のメンバーが下に落とさないようにキャッチし、八百屋からこっそり調達してきた浅い木箱に実だけをすばやく入れる。しかし、3階の日本人の神父さんに気づかれ(実は外人の神父さんは、皆優しかった・・・昼間、琵琶泥棒して口中クワンクワンにしながら食べているのを見つかったときも、ニコニコしていてくれた)、窓から「何しているんだ!」と大声で怒鳴られてしまう。しかし、ここで逃げては、ガキ大将の名が廃る。窓際で怒鳴っている限りは、絶対に捕まることはない。いよいよ、その神父さんの姿が見えなくなり、階段を駆け下りる気配を感じたときに、一斉に木箱をもって逃げる。

 もちろん、その後皆で収穫を祝い、銭湯はアリバイづくり程度で帰ったのはもちろんです。ところが、その後がまずかった。後日、仲間の一人が親に口を滑らせ、それが、どういうわけか私の鬼の父親の耳に入り、大変なことになったのです。共犯の一軒一軒に、オヤジと一緒にお詫び行脚で、そのたびに「タカオが先導して、このような・・・」で、謝ることと抱き合わせでオヤジにぶん殴られ、鼻血は出るは、顔は腫れるはで大変でした。オヤジは面子がたったかもしれないが、私は学校でも「どうしたの?」と聞かれ、話すわけにもいかず困った数日を覚えています。

 話は長くなりましたが、小学生のガキ大将ですら、目的のためにはこのくらいの才覚と、失敗したときのリスクと責任をもちあわせているのです。はたして菅さんはどのような子ども時代をすごしたのでしょうか。もし、ガキ大将の経験があれば、「いま、なにをしたらよいか」「自分の役割は何か」「自分の責任とは何か」を瞬時に判断して行動できるはずです。3月11日から今日まで,菅さんが話せば話すほど言葉がむなしく響き、一切のアウトプットのない金のかかった行動を見ていると、この男には目的をもって役割を決め、人を動かし、成果を出す「柿泥棒」は、絶対にできないなあと思わざるを得ません。ましてやリスクも責任も、とることなど到底ムリです。

 同じことが東電のトップたちにも言えるでしょう。いま、福島では、何の罪もない住人の方々が、避難所で将来のわからない毎日を送っています。原発現場では、まともな食べ物もなく極限の劣悪環境で、必至の復旧作業をされている方々がいます。こういう人こそ、東電の宝であり、日本の宝なのです。住民や彼らが命を削っている現場に対し、東電のトップは、アウトプットのある行動を一切起していません。

 平時には、ダレがなっても変わらないトップリーダーの職が、いま非常時において、その鼎の軽重が問われています。一言で言うならば、ガキ大将の経験のない者は、基幹組織のトップになってはいけません。組織が滅び、国が滅びます。

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2010年11月 9日 (火)

若いビジネスマンに問う「なぜ、民主党は自己崩壊するか」

60  「他山の石」という言葉があります。他のつまらないことでも自分を磨く参考になるというたとえです。そこで、若いビジネスマンの方々にビジネス研究課題をひとつ。設問「民主党という組織は、そう遠くない将来に自己崩壊するが、それはなぜか」

1.組織の原理原則―― 設問に答えるには、まず、この党を「ひとつの組織として分析する」ことが重要です。「組織の原理原則」を教科書的に述べれば、組織には①共通の目標 ②協働の意欲 ③人間関係が必要となるのですが、そのすべてが民主党に欠けていることをさまざまな事象が証明しています。

2.組織の目標 ―― 企業では「組織の方向性」を「理念・ヴィジョン・経営方針・計画」に見ることができますが、党ではどうかというと、マニフェスト(「みんなの党」はアジェンダといっている)がそれに該当します。では、民主党のマニフェストはというと、国民は託児所が足りないと叫んでいるのに高額所得者にも「子ども手当ての支給」を、旧道路公団が無駄な道路を造りさんざ借金の山を残したのに「高速道路の無料化」を、国民が信頼して預けた大預金を勝手に政治家と官僚が利権がらみに転用しないようにと総選挙までやって国民投票したのに「郵政民営化を白紙」に、そして孫子の代でも返せないほどの国の借金があるのにさらに「過去最高の借金予算」を。以上の政策から、一貫した「民主党の目標」を述べてみてください。・・・・そうですよね、この国をどこに向かわそうとしているのか、かわかりませんよね。

3.組織の理念 ―― つまり、企業でも政治でも、組織目標の究極は「人や社会を幸せにする」ものでなければなりません。そうであれば、まず孫子の代への借金も、国民が払う税金も少なくする努力をするのが当然、しかし政策は借金をますます増やし正に逆行しているのです。ではなぜか。それは、民主党のマニフェストの骨子が、小沢一郎というポピュリスト(大衆迎合者)が中心となって作成した「どうしたら国民の票を集められるか」という選挙対策にあるからです。いわば「絵に描いた餅で1票を釣る」ことが目的ですから、この目的には理念がありません。だから政策に一貫性がないばかりか、いざ実行となると自己矛盾で自縄自縛に陥ってしまうのです。

4.組織の人材 ――では、この自己矛盾だらけの「絵に描いた餅」が、なぜ民主党のマニフェストになってしまったのか、それは「真に理念やヴィジョンを描ける人材」が党の幹部にいないことを表しています。「いまの民主党幹部は労働組合あがりと松下政経塾出身者ばかりで経営をしたものが一人もいない」と、くしくも田中真紀子氏がTV対談で喝破した通りなのです。

 国家も企業も「経営こそ要」で、いかに売り上げるか、いかにコストを抑えるか、そして利益を生み、将来の生産に投資し、社員や国民に還元するかは全く同じ土俵なのです。ところが、いま日本では企業幹部にあたる政治家も経営スタッフにあたる官僚も、ともに「お金を稼いだ経験者」がゼロに近いという恐るべき現実があります。ですから道楽息子と同じで、「浪費することにしか頭がない!」メンバーによる擬似政治という国家的欠陥が、そのまま莫大な借金として国民に覆いかぶさってきているわけです。

5.組織の責任 ――「三面等価の原則」というのがあり、人や組織の「権限・責任・義務」は正三角形のごとく等価です。外交において国家権力を行使する権限の対極面には、それだけ重い責任があるわけです。ところが、尖閣諸島の一件では、早々と総理も官房長官も責任から逃げて那覇地検のせいにしてしまいました。がんばった海上保安庁の職員にしてみれば、犯罪人を腰抜け2人が逃がしたと思っても不思議はありません。それが、尖閣DVDがひとたび国民に公開されてしまったら、今度は犯人探しに躍起となる姿は、「彼らの義憤を生んだのはオマエさんたちの大罪と責任だろうが!」と怒っている国民も多いのではないでしょうか。かって北朝鮮船の領海侵犯と銃撃戦を国民は情報公開によって知りましたが、中国船の領海侵犯と故意の衝突暴挙の映像が、どうして国家機密なのかと国の対応にも疑問が残ります。

 また、「200年に一度の災害のために400年かけて大堤防を造る」といった子どもでも「ええっ?」と笑うような馬鹿げたことに、国民の血税が湯水のごとく垂れ流されている現実を前にした「仕分け」。その仕分け人には、「仕分ける権限」があっても「ムダを実際に排除する権限」がありません。つまり、「仕分け」には実行の責任を取る者がどこにもいないというのも現実。つまり「権限と責任」が等価にないいびつな組織、つまり「組織の原則」で政治のシステムをつくれない組織が民主党なのです。誰も責任をとらない組織は、何も動かないので間違いなく瓦解します。「慎重に見守る」経済や「断固たる処置で」という言葉は、何も策がないことの裏返しです。小沢氏の国会招致の件も含めて何事も決断できないリーダーと組織が、若いビジネスマン諸君、いつまで続くと予測しますか。

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2010年8月17日 (火)

牛丼戦争の先にあるもの

57_2  私の住む鎌倉では、セミがまるで夏が過ぎるのを惜しむように、朝から夜まで盛んに鳴いています。そして朝晩の気持ちいい風が、季節が確実に秋に向かっているのを感じさせます。

 さて世の中は、と見ると、政府の無策がじわじわと日本経済をダメにしていっています。
 やらなければならないことをやらないで、国民が頼みもしない高速道路の料金をいじったり、「子ども手当て」の名目で税金のバラマキをしたり、事業仕分けも大騒ぎした割には削減額も方法もスズメの涙みたいなもので、[景気浮揚策]には何一つ手のつけられない政府の無能ぶりはひどいものがあります。

 民主党政権が国民の期待に応えられないのは、その組織実態がまさに「政治の素人集団」であることを露呈した結果といえましょう。その原因のひとつに、「代議士や総理は軽くてパアが良いのだ。なぜなら、欲しいのは口ではなく数だから」という論理で、金とヨイショで無知な有名人狩りをして政権だけに執着してきた金権政治家・小澤一郎氏の大罪があります。そして、いままた9月には民主党の代表選びで、小澤氏が囲い込んだ素人集団を動かし傀儡総理を担ごうという動きは、日本の国が一体どこに進んでいってしまうのか危惧を感じざるを得ません。

 私はマーケティングが専門なので、政治と企業との関係をどうしても無視できない立場にいます。ですから、いま円高傾向に拍車がかかっているのに何もできない政府を見ていると、景気がプラスに向いていく材料に乏しいのが辛いところです。では企業にとって、このデフレの先はどこに行ってしまうのか。そこで、デフレ現象の象徴ともいうべき牛丼チェーン店の3店舗に行ってみました。

 いま、牛丼戦争は数字を省けば「松屋」が売り上げを伸ばし、それに「すき家」が続き、「吉野家」が苦戦しているのが簡単な図式です。その3店に行った比較で最も印象に残ったのは、あの老舗の「吉野家」のサービス力が落ちたことでした。

 立って待っているお客様に声も掛けない、サービス券でのお釣りがスムーズに出せない、お茶を頼んだお客様に再度水を出し隣の席の頼まない人にお茶を出す、4人いても店長が誰なのかわからない。かってのサービスはどこに行ってしまったのか。たとえ1店舗の現象であっても、まちがいなく組織の力が落ちている証拠なのです。「松屋」も「すき家」も、ボックス席を設けたり、商品ラインナップで女性や子どもを意識しているのがわかります。牛丼の味については、決定的にどこがよいという判定は難しいことからも、サービスの力は大きな集客要素になっていることでしょう。

 では、競争の原点である価格はどうか。マスコミでは盛んに『牛丼が250円の「松屋」「すき家」に対して270円の吉野家が苦戦』と喧伝していますが、実情は、どのチェーン店もセット販売が主流で、単品価格でお客様の数が違うと即断するのは危険です。いまや、従来の「早い、安い、うまい!」に、価格よりもむしろ商品ラインナップや顧客対象を重視したさらなるサービス力が、各社の売り上げの決め手となっていると判断します。

 さて、この牛丼戦争の先には何があるのか。おそらく牛丼そのものでは赤字、副商品のセットで収益を上げている現状から、これ以上の価格ダウンはアリ地獄ともいえます。
 100円マック、250円牛丼、顧客心理をしっかりつかんだテクニカルな組み合わせでビジネスを成り立たせる、しかし、この先には素材の質の低下しか見えてきません。この先の延長線上には、ビジネスの健全な発展が見えないことから、必ず「ゆり戻しのマーケティング戦略」が組まれると予測します。デフレの先には企業にも顧客にも繁栄はない、
 早く健全な経済社会に戻さなければならないことを実感した牛丼戦争の現場でした。

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2009年12月22日 (火)

正義では動かない政治のカラクリ

53_2  鳩山政権になって誰もが気になっていたこと、それは首相がなかなか意思決定をしないことでした。連立内閣を組んでいる社民党には普天間基地の問題を先送りにされ、衆議院議員がわずか3名しかいない国民新党の代表・金融郵政大臣の亀井氏には「私が与党だ」と豪語される始末。しかも亀井氏は予算の水増しや、日本郵政のトップ人事を元財務次官斎藤氏に首を挿げ替え「官僚の天下り」を勝手にやってしまう傍若無人さ。なぜあそこまで弱小政党の亀井氏が強気でいられるのか、皆さん不思議ではありませんか。

 しかも実はこの斎藤氏、15年前に小沢一郎氏と画策し、細川政権の命取りになった「国民福祉税」を深夜に総理に発表させた張本人。そのとき、亀井氏は「あんな悪いやつはやめさせろ」と当時の官房長官・武村氏に言ったと武村証言があります。では、なぜ亀井氏が、その斎藤氏をベタ褒めで登用したのか、そこに亀井氏が大言壮語の吐ける背景が見えてきます。

 いま、地方から国への陳情は従来の省庁でなく、すべて民主党幹事長・小沢一郎氏に集約されるようになりました。地方においても県や市の民主党という窓口を通さないと国政の小沢氏には通らないしくみになったのです。この小沢陳情システムには、自民党を国権に対して一切の影響力の及ばない政党に落としてしまうねらいも見え隠れしています。県知事の中には、「このしくみはおかしい。私は県民からじかに選ばれたのであって民主党によって選ばれたのではない」と異議を唱える人もいます。

 さて、このようなしくみがどのような結果に結びついたのか。それが12月16日の小沢幹事長の鳩山内閣への申し入れです。結果的には「子ども手当ての所得制限なし」と「暫定税率の維持」で、小沢氏と鳩山氏の双方の顔を立てた形にはなりました。が、その申し入れ時に小沢氏は、何と己の申し入れを「国民全員の要望として」と言い放ったのです。少なくとも私も周囲の知人も小沢氏から意見を乞われたことはありません。つまり、利害の絡まった国会陳情や各省庁の裏での駆け引き、そういう見えない部分を全てブラックボックスに隠した上で、ある日突然「国民の総意」などと勝手に歪曲して公言はばからなかったのです。

 政治献金偽装事件も政治家・小沢氏の責任であるはずなのに、おそらく小沢氏は与党の最高権力者となった現在、秘書が人身御供となって話は曖昧にされることでしょう。彼は政策には一切の関心がありません。なぜなら彼が国家についてビジョンを語ったことを、少なくとも私は一度も聞いたことがないからです。かって田中角栄はロッキードで逮捕されてからは傀儡内閣を次々に打ちたて、「闇将軍」として権力を維持しました。みずから国政の矢面に立たず、あくまでも陰にて国政をつかさどる賢い手法、これが小沢氏の学んだ権力保持のノウハウです。

 いま小沢一郎氏の関心事は選挙に勝つこと、そして不動の権力を握ること。小沢氏が師と仰ぐ田中角栄の墓に詣でる姿をTVで見ましたが、まるで忠臣蔵の大石内蔵助気取りです。「天皇の政治利用」論議で宮内庁長官・羽毛田氏を罵倒し、「天皇のお体が心配だったら予定を変えればいい」と言い切って捨てる傲岸不遜さは、もう不愉快以外のなにものでもありません。かって、彼を支えた人たちが、次から次へと袂を分かって去っていったのも頷けようというものです。

 「事業仕分け」も来年度の借金予定44兆円の前では、最終的には茶番に終わる可能性があります。「政治は正義では動かず、力こそ全て」、日本の国はどこへ行こうとしているのでしょうか、国民の一人として自国の将来を心配せずにいられません。しかしながら、それでなお、2010年に少しでも明るい兆しが見えるように大いに期待している自分もいます。

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2009年11月30日 (月)

「事業仕分け」の行方

52  民主党の「行政刷新会議」では27日までに「事業仕分け」が終わりました。これからが本番の会議で、それぞれの仕分け結果について、今後どうするかの具体的な決定がされていくわけです。
 さて、この事業仕分けにはさまざまな意見がありました。「国民の前に税金がどのように使われているか初めてオープンになったことは大いに評価」「大切なことをわずか1時間ばかりで結審するのは無謀」「公開処刑みたいで民主党のパフォーマンスに過ぎない」「はじめに削減ありきで事の重要度を無視している」などなど。

 まあ、何事も初めてのことには賛否両論あるでしょうが、はっきりしたことは、私たちの想像をはるかに超えた税金が、役人の使いたい放題に使われてきた恐るべき実態が浮き彫りになりました。それを追認または一緒になってムダ使いしてきた前政権の罪も見逃すことはできません。当分の間は自民党に弁明の余地なく、何を言っても「負け犬の遠吠え」になってしまうのではないでしょうか。

 ただ、経費を全部洗い出してコスト削減をするのは良いのですが、実は今回の事業仕分けは、手順が逆さまになっているのです。つまり、企業経営でいえば、赤字経営でコストを削減しなければならないとき、まずは企業が存続するアイデンティティを明確にするわけです。それをふまえて今後、自社はどのような戦略で生き残りをかけていくのか、その機軸をしっかりと定めます。まさにその上で戦略を立て、その戦略に基づき何を削減し、何に集中と選択で投資をするのかを決めていきます。

 ですから政治も企業経営と同じで、民主党の言う「戦略局」がまず日本のあるべき姿を明確にして基本戦略を定め、その戦略の上に立ってこの事業仕分けを行えば、ノーベル賞受賞者の批判と抗議も、また「コンピュータは2位ではダメなの?」という門外漢の素人判断が槍玉に上がることもなかったはずです。つまり何に国家が優先的にお金を使うかを決めないで、ただコスト削減では「財務省の手の上で躍らされている事業仕分け」と言われてもしょうがない部分もあります。

 ともあれ、このような矛盾や過ちもありましたが、「情報公開政治」の新しい一歩を踏み出せたことは、政権交代の大きな「功」といえましょう。
 さて、それでは「罪」は何か、それは現内閣が反動政治に走る危惧から充分に予測はできますが、いまはまだ論じる時期ではないと私は思っています。ただ、企業経営では「売り上げアップ」と「コスト削減」の両輪で「健全経営の利益の確保」を求めていくように、国家も同じく、どのように「歳入を増やしていくのか」あるいは「国民の幸せを提示していくのか」、過去の亜流に陥らず先見性のある青写真を具体的に示すことが政府の責務です。

 それでなくても国にお金がないときに、「高速道路の無料化」など国民が特に望んでもいない愚策を実施する必要はないのです。また「子ども手当て」などお金をばら撒いても、「子ども手当て」が必要な家庭ほど、苦しい生活で本来目的には使いません。賃金がジリ貧傾向にある現実では一般庶民はお金を使わず、不安な将来に向けて大口消費を控えています。

 もし政府が本気で景気を刺激したいのなら、「国民が安心できる将来ヴィジョン」と目先の票を追わない「真に思想のある政策」を打ち出すことです。企業でも「バラマキ政策」で発展した企業はありません。将来対策なくして発展なし、いまこそ企業も値下げだけで一時の利を追わず、政治もバラマキで一時の票を追わず、「明日のための今日の施策」を打つことが大切なのではないでしょうか。

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2009年11月17日 (火)

低価格社会の先に

51 690円のジーパン、180円のお弁当。価格のダウンは、とどまるところを知りません。ラーメン1杯食べても800円するお店はざらにあるのに、ラーメン代でジーパンを買ってお釣りがくる。駅弁だって1000円は当たり前なのに、なんとおかずとごはんがついて、500円玉に40円足せば3人分も買えてしまう・・・・。これら大手スーパーなどでは「大量に原材料を仕入れたので」とか「OOOOで加工の手間を省いたので」とか、たしかにもっともらしい理由を述べていますが、どう考えても並みの努力やルートでは到達し得ない価格に接すると、こっそり裏側を見せてもらいたい気になります。

 スーパーやコンビニでは、いままで店頭に並んでいた有名食品が姿を消し、そのスーパーやコンビニ店のマークの入ったプライベートブランドがあちらにもこちらにも売り場を席巻しています。では、かってのメーカーはどうしているかといえば、そのPB商品の生産会社として供給を担っているところが少なくないようです。つまるところ「泣く子と地頭には勝てぬ」ならぬ「泣く子とスーパー・コンビニには勝てぬ」といったところでしょうか。

 そんな中で先月、ある老舗の納豆メーカーがスーパーやコンビニのプライベートブランドを請負い、3パック58円の納豆を供給していたのですが、とうとう倒産してしまったのです。いくら売っても儲けがないことが原因でした。おそらく、この納豆メーカーに関連した零細企業や農家もさまざまあるはずで、倒産企業の方々のご家族はもちろん、その関連会社の方々やご家族も、この冬をどのように越されるのか、思わず顔が曇らざるを得ません。

 価格が下がることは、一見、消費者にとってありがたい話なのですが、もう信じられないくらいの価格というのは、それはどこかの適正利潤をも削っているわけで、そのしわ寄せを受けた企業では賃金カット、従業員の解雇など、さまざなひずみが生まれていることも想像に難くありません。高額商品が売れない、価格が下がる、賃金が下がる、さらに価格が下がる、まさに市場が「デフレスパイラル」に陥ってきているのが現状といえましょう。

 そこで、もうすでに、こういう低価格競争には組しないという企業も現れてきています。
 現に経営者と従業員で話し合った結果、独自の路線を行こうと決めた会社もあります。結局、低価格競争の消耗戦に参加すれば、最後は企業も従業員も疲れきって倒産という図式が見えてきたからです。ではどうするか、彼らの出した答えは「差別化」です。販売店が大手企業がどんなに圧力をかけてきても、他社にはない独自性をもった優れた商品を持てば、自立していけるという考え方に立ったのです。

 消費者にとって企業の真のあり方とはどのようなものか、低価格のみ追い続ける愚から、そろそろ市場は卒業しなければならないのではないでしょうか。「タコの足食い」のような、自分で自分の体を蝕んでいくような消費行動を消費者にさせるのではなく、世の中の景気が本当によくなり、社会全体が発展していくような「次なる幸せのステージ」を模索しなければならない時が、もう、直ぐそこまで来ているように私には思えるのです。「次なる幸せのステージ」―――そんなモデルとなる企業がドンドン出てくることを、私たちは大いに期待したいものです。

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2009年9月21日 (月)

意志のあるところに道ができる

49  いよいよ鳩山内閣が発足しました。「政治主導」を掲げ、従来のような官僚のひも付き会見がないスタートは、TVで見ていても「脱官僚」の決意の程がわかりました。また矢継ぎ早に各大臣が政策について「実行,廃止」などを明言し、「検討する」などという不明瞭な発言をしなかったことは爽快感もありました。

 鳩山総理はじめ、どの大臣も原稿を見ずに「政治への思い」を自分の言葉で語っているのは、(政治家なら当たり前のはずなのですが)改めて力強さと主体性を感じました。
 このブログでも述べてきたことですが、いままで「やりたいことのない政治家」が総理大臣になり、「いま任命を受けたばかりですので、これから勉強して・・・・」などというとぼけた答弁しかできない「ご褒美」大臣が、いかに国民をバカにしていたことかを逆に浮き彫りにもしました。

 9月17日に行った毎日新聞の全国世論調査では、内閣支持率は77%、小泉内閣の85%に次ぐ歴代2位だそうです。77%の理由は、「政治のあり方が変わりそうだから」が77%と最多の一方で、「政策に期待できるから」はわずか15%でした。これらの数字からは、政治の転換には期待するが、政策については必ずしも全てがOKではないという国民の判断を読み取ることもできます。今回の選挙で国民が民主党を支持した最大の背景は、「脱官僚政治」による「無駄な税金使途の排除」でしょう。

 ところが国民新党との連携で「郵政民営化の見直し」がセットになっています。そもそも民主党は、今回の選挙で国民の多くが「郵政民営化の見直しを求めている」と思い込んでいるのでしょうか。もしそうであるなら私が不思議に思うのは、4年前に小泉総理の「郵政民営化」を支持した圧倒的多数の国民は一体どこに行ってしまったのか、という疑問です。

 また「高速道路の無料化」も、一時のレジャー対策にはわかるのですが、恒常的に無料化に問題がないかという疑問です。数多くのファミリー企業がいまもぶら下がっている高速道路が無料化すれば、借金の返済はさらに遠のき民営化の努力も方向を失う危険が大です。高速道路が無料化すれば道路補修費も、村から出たこともないおばあちゃんからの税金も投入しなければならなくなります。そもそも新幹線も飛行機も受益者負担が当たり前なのに、自動車の高速通行料が無料なら、いずれは新幹線も無料にするということなのでしょうか。

 このように、大きな政治変革に大いなる期待を寄せるとともに、政策各論については問題・課題も多いので、国民は是々非々で声をあげ皆で日本の国をよい方向へ導いていきたいものです。国民の1票が政治を変えるということを、今回ははっきりと証明しました。前途は多難が予想できますが「新しい日本の夜明け」に期待したいですね。

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