旅行・地域

2009年10月19日 (月)

「風」の話

50_4  10月も半ば過ぎて、朝晩はめっきり寒くなってきました。今日は「風」のお話。
 先日の台風上陸のときは、夜中に窓の外の木々が、最初はまるで風と激しいダンスをしているように見えたのですが、しばらく見ていると木々は嫌がっているのがわかりました。台風の猛風が「さあ、その幹も枝もへし折ってやるぞー!」と、木々を強引になぎ倒そうとするのを、「いやだあ!負けないよー!」と叫びながら体をくねらせ、何度も何度も立ち直ろうとする光景に見えました。

 台風もそうですが、風にはさまざな種類があって、私の好きな風、嫌いな風があります。嫌いな風は春先にほこりを舞い上げる風、また冬の高層ビルの側面に吹く、3秒で体が凍ってしまうような強く冷たい無機質な風。かといって、体を吹き抜ける風がイヤなのではありません。台風の風は被害のことを考えると不謹慎ですが、雪の中で遊ぶ子犬のように、危険さえなければ外に出て嵐と一緒に遊びたい気分にもなります。

 30代はじめの頃、博多の中州で酔っ払い、歩いて海近くのホテルに向かうときの、玄界灘から吹いてくる風の冷たかったこと、酔い覚めの気分と相まって忘れられません。かといって、真冬の八戸港で味わった津軽海峡の「刺すような冷たい風」は、しばしの間はガマン比べのようで何ともいえない爽快感と緊張感がありました。人間は、覚悟なく不意に食らった風には、どうも弱いのかもしれません。

 私の住む神奈川県にもさまざまな風が吹きます。秋になると必ず目に浮かぶのが、箱根芦ノ湖の湖面を吹く風と仙石原の群生したススキに吹く風です。どちらも、「秋だなあ!」と実感するひんやりした、それでいて気持ちの良い風です。一方、春は、観音崎の灯台に吹く風でしょうか。陽だまりが暖かく、それでいて海からの風は、「これからたくさんの花を咲かせますよー!」という風です。

 冬の風で素晴らしいのは、七里ガ浜の夜の海の風。誰もいない防波堤の階段に座っていると、手元の方しか見えない暗い海に、約50メートルくらいか白い小波が横一列になってラインダンスのようにやってくるのです。あたりが暗い分、このラインダンスが美しく寒い風の中でしばし見とれてしまいます。
 そして、もうひとつ、それは葉山のある海岸の冬の風。

 その風の場所は、むかし岩場に小船が着けなかった大正か昭和の時代か、沖の岩を削って船着場にして、そこからトロッコの線路を20メートルくらい飛び石の上に敷いた場所です。おそらく獲れた魚の入った木箱を、男も女も総出でそのトロッコで運んだことでしょう。それは昔のこと、いまは防波堤の外側に錆びた線路が曲がったまま、誰にも相手にされず残っています。そこは、まるで私のアタマに描くシベリアのようで、春でも夏でも秋でもダメで、ただただ冬の荒い波と鉛色の空と、そして髪の毛をぐしゃぐしゃにする風が似合う場所なのです。今年もあと2ヶ月もすると、その風に会える季節がやってきます。

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2009年7月21日 (火)

言葉を超えた下町の「かっこよさ!」

43  築地はいまや観光名所で、ショッピングカートを持った伯母さん連中がバスでごっそりやってきます。最近では中国人観光客が、日本人観光客に負けないくらいあふれています。ご存知の方も多いでしょうが、観光客は築地の場内・場外と2つのエリアで買い物や飲食をしています。そんな築地に、私が時々、親しい仕事仲間と行く食事処があります。

 観光客の多いエリアから離れた場所にあるので、まず一見の客は皆無、お昼時はほとんどが中堅ビジネスマンといったところ。築地の小さな古いおうちがそのままお店になっていて、カウンターが5名ほど、その向こうで刺身を切って皿に盛っているご主人。その後ろがたたきの部屋になっていて、そこに10名ほど。そのさらに奥のスペースに5名ほど。その2つの部屋で食事するには、右横の路地からすこし行って曇りガラスの玄関をガラリと開けて入るという具合。

 昼時でも一番奥の部屋ではたいてい、仕事を終えた河岸仲間の酒盛りが男女交えて楽しげにされています。かたや、カウンターやご主人の後ろの部屋の大テーブルには、ビジネスマンがランチの「刺身定食」か「OOちらし」か「寿司定食」か「マグロのステーキ丼」を仲間と食べています。それが何と、どれをとっても活きの良い上物ばかりの刺身で美味しく、刺身の盛りなども、この値段でこれほどの見事なお店を見たことがありません。

 そして何よりも楽しいのは、50代?のご主人と奥さんの会話。まあ、いやでも聞こえる話に思わず笑いをこらえるのが精一杯。奥さんが2階からなかなか降りてこないと、だんなは「あのやろう、忙しいってえのに・・・」とブツブツ、降りてくると「ばかやろう、なにしてやがったんだ、この忙しいのに、仕事しろい!」奥さんも慣れたもので「あたしだって、OOOOしてたんだから」。言葉だけだとまるでけんかですが、これが日常会話。

 さらに先日は、こんな光景に出っくわしたのです。忙しいのに奥さんがいない。ご主人とやって来た河岸仲間との会話「おい、どうした?」「OO子が熱出しちゃって」。つまリ、きょうは奥さんがお孫さんの発熱で不在ということなのでしょう。もう、ご主人は刺身を切って盛り付けるだけで手一杯。なのに、お客様は満席で待っている。すると、いつの間にかさっきの友達?が奥さんに代わって、ガスコンロの鍋でお玉に味噌を溶かし、お客様の味噌汁を作っているのです。

 そこからが、傑作でした。その友達がご主人の背中に向かって、「おい、投げるなよ」と味噌汁の味見しながら声をかける。ふたたび「おい、投げるなよ」と、鍋を見ながら言っている。さて、どういうことなのかな?と思っていたら、なんと、その友達がガラス戸の中のおわんを出している時に、うまいタイミングでご主人が振り返り、直ぐ後ろのコンロの上の鍋に、いま切った魚のブツの塊をポーンと投げ込んだのです。そのあと、まるで何もなかったかのように、友達は鍋をかき回しつつ味噌汁をおわんに次々と移し、酒盛りをしていた連中に向かって「おい、OO」と名を呼ぶと、その彼が直ぐ来て、お客様に味噌汁を出していったのです。

 この一連の出来事は、もう理屈抜きで「かっこいい!」姿そのままで、(東京麹町で育った私にも)ああ、たしかに、子どもの頃はこんな大人たちの「かっこいい!」世界もあったなあ、とつくづく懐かしい思いがしました。人と人とには、言葉を超えた「もっと大切なもの」がある。言葉でいいわけをしたり、言葉でお礼を言ったり、言葉でわびたり、つまらない気遣いを言葉でする現代社会。でも、本当の人間の信頼関係と絆の前では、言葉なんてほどんど価値のないものに私には思えたのでした。

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2009年6月29日 (月)

梅雨時の雨の匂いに思うこと

43  私は東京のど真ん中、千代田区麹町の化粧品屋の倅として育ちました。そう、三丁目の夕日の時代がちょうど中学生、ヒットしたフランク永井の「有楽町で会いましょう」の銀座には家の前の都電で10分、子供心に何か有りそうな大人の街・新宿には10分というところです。もう、話について来られない読者がいっぱいいますか。

 交通の便は、これほど便利なところはありませんでしたが、まだまだ当時はチャンバラ遊びや探検ごっこなど、遊び場には事欠かない時代でした。いまのホテルニューオータニの場所は、旧秩父宮様の屋敷跡で草ぼうぼう、近所の大きいお兄さんたちと「雉」を空気銃で撃ちに行ったりしました。家の裏のほうの紀尾井坂を下りきったところには、歌舞伎役者・尾上松禄の屋敷があり、その門前にはきれいな小川が流れていたので「沢蟹」を採ったり、清水谷公園でザリガニや小ブナ獲りが日課でした。小学校の高学年にもなると徒党を組んでアメリカンスクールの生徒たちや四ツ谷にあった中華学校の生徒たちとけんかもしました。ここまでは話せる話で、今でも話せない悪さはいっぱいあります。

 そんな悪がきも高校生になるとサッカー部で毎日練習三昧、家に帰ると疲れ果て、晩ご飯にも起きられず制服を着たまま朝を迎えることも1回や2回ではありませんでした。でも、時々さんざ遊んだ子どもの頃が思い出され「魚釣り」がしたくなることがありました。さて、そんな時どうするか、近所の上海料理店の2歳年上の「孟ちゃん」と夜明かしで青春を語り合い、そして明け方「釣り」に出かけるのです。さて、ここで問題です。麹町からタクシーで朝なら5~10分、いったいどこに「釣り」に出かけるのでしょうか。

 実は、皇居・竹橋のお堀に行くのです。明け方、芋と小麦粉を練って耳たぶくらいの柔らかさの団子を作り、いまの竹橋と千代田区役所の中間あたりのお堀端で降ります。どういうわけか、「孟ちゃん」と行くときは雨の日が多く、記憶の中でも梅雨時の釣りしか思い出せません。現地に着くと、歩道からお堀に降りられる足場が1箇所あって、そこに降りて釣り糸を垂れるのです。今ほど車も多くなく、雨の音だけの、しばし静寂の空気が漂います。緊張の中でウキが静かに動き、小さな動きの後に一気に「ググッ」と引き、その瞬間に竿をしぼると、グンとした手応え、この瞬間のために眠い眼をガマンして徹夜してやって来たのです。

 大きな真ブナがずっしりと手の中で暴れます。まあ、釣れること釣れること。梅雨時にはお腹に黄色い卵をいっぱい持っていて、手につくこともあるのです。お堀の真ブナは、銀色したヘラブナと違い金色で鯉のようです。そしてサウスポーの「孟ちゃん」の上手なこと、一度たりとも数で勝ったことはありません。家に持って帰り、大きな木のたらいに入れるのですが、今のように酸素ポンプの設備がない時代、一晩たつと酸欠でみんな白い腹を出して死んでしまっています。殺生なことをしたものです。そのまま置いてくるのが惜しいばかりに・・・・。

 この、お堀の釣りでは、さまざまなものが釣れました。フナはもちろん、鯉、うなぎ、なまず、かめ、雷魚など何でも釣れたのです。当たり前です。当時も皇居では釣ってはいけないのです。いまではパトカーで連行でしょう。
 毎年、梅雨時の雨の中に身をおくと、目の前50センチのところにあるあのお堀の水の匂い、木々の緑の匂いなどすべてが入り混じって、私には「皇居のお堀の真ブナ釣り」の匂いが体中にいっぱい満ち満ちてくるのです。

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2008年6月16日 (月)

中から見るのと、外から見るのとは

0616_2  今日は、住んでいる者の目から見た「観光地・鎌倉」のお話しを。
 私の住む鎌倉は、この梅雨時になると必ず混むお寺があります。ご存知の方も多いと思いますが、「アジサイ寺」で有名な北鎌倉の明月院です。鎌倉の社寺は、それぞれが名だたる寺宝を持ち観光客も多いのですが、聞くところによれば、この明月院には目立った寺宝がなかったため、それを嘆いた住職が寺を訪れる人々のためにアジサイを寺いっぱいに植えたとのこと、真偽のほどはわかりません。
 また、最近ではTVのニュースなどでも取り上げられる極楽寺に近い成就院も、アジサイでは有名です。しかしながら、このアジサイという花、縄の張られた石の階段を、傘がさせないほどの人々が行列して眺める花ではどうもないように思うのです。

 実は、鎌倉にはアジサイが至るところにあります。ちょっとした坂や小径で、小雨に煙るようなしっとりした空気の中で、アジサイの青や紫、ピンクや白の色が、葉の深い緑と一緒に何とも幻想的に輝いているのにハッとすることがあります。紫という色は、明るいところで見るよりも、ややほの暗いところで見たほうが、はるかに色の鮮やかさを増すということを、私はアジサイで知りました。ですから、本当のアジサイのすばらしさは、カラフルな傘などない、人気もない、ややほのぐらいひっそりとした鎌倉の小径で、ぜひ、皆さんには見ていただきたいなあと思うのです。

 どこの名所もそうでしょうがヨソから来られる方は、どうしても観光ブックに載っている場所だけに行きがちです。が、地元の人は観光名所にはあまり行きません。大仏は、初めて鎌倉に来られたお客様が希望するので連れて行く場所。八幡様は初詣の時だけ。長谷観音に行くよりも、その隣の光則寺。桜にやや遅れて咲く海棠(かいどう)の花は天然記念物でもあり見事です。瑞泉寺の梅に負けず劣らずステキなのが東慶寺の梅、などなど。
 鎌倉ブームということもあり、この10数年で「にわか鎌倉老舗」が一気に増えました。鎌倉駅前の小町通でも、一見、昔からありそうな老舗風の「へえ、こんな大きな店が!」という店が、実は昨日今日のにわか老舗だったりします。ですから、当然のこととして食べ物にしても、観光相手のお店と地元の人の行くお店は必ずしも同じではありません。

 ただ、修学旅行の生徒でも買う鎌倉名物で、近頃はトンとご無沙汰だった豊島家の「鳩サブレー」。こんなものをと内心バカにしていたら、センスもスタイルもバツグンのアーバンライフのA嬢から「鳩サブレーは牛乳と一緒に口に含むと絶品!」と反論され、ホントカイナと疑りつつ試してみたら、何と、これが絶品!改めて、「灯台元暗し」だったのに気づかされました。まあ、お芝居も舞台の正面からお客様として見るのと、楽屋裏から見るのとでは、同じ物事でも見え方が違ってくるものです。
 実は、私はもともと銀座に10分、新宿に10分の東京麹町の生まれで、今も仕事の中心は東京です。ですから30年暮らしても、住人とはいえど地元とはいえません。そんな住人から見た、ヨソの人が知らない鎌倉と、ヨソの人のほうが知っていた鎌倉についてのお話しでした。

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