文化・芸術

2012年12月14日 (金)

足し算の人・中村勘三郎

65  子どもの頃、父によく歌舞伎、新派、新国劇、文楽に連れて行ってもらいました。新派の花柳や八重子、新国劇の島田や辰巳、文楽は豊竹山城少掾の引退記念講演も鮮明に記憶に残っています。もちろん、歌舞伎は風格ある先代の幸四郎、その弟で声のいい松禄、軽妙洒脱な勘三郎、美しかった扇雀(現・坂田藤十郎)など数えたらキリがありません。

 当時、私の家は麹町の化粧品屋で、近くに住んでいた染五郎(現・松本幸四郎)や弟の中村吉衛門などが好青年の頃、よくお手伝いさんと一緒に買い物に来ました。また私の中学が先代の勘三郎(本名・波野)の家のそばだったせいもあり、中学の友達などは波野家の長女・久里子と小学校の同級で、波野家に行っては久里子やその弟と遊んでいたようです。いま新派の大女優が、その波野久里子で、その弟こそ、先日亡くなった中村勘三郎です。

 連日、TVなどでは誰にでも慕われた勘三郎のエピソードを流しましたが、若くして惜しまれて、という次元で語る人物だけではないと思っています。中村勘三郎を語る人々も言葉もいろいろでしょうが、私は、彼の死によって歌舞伎が21世紀と融合する大きなチャンスを失ったと思っています。彼は、亡き筑紫哲也が「現代の天才」として2名挙げた桑田圭佑ともう一人の人物・野田秀樹などと一緒に創作歌舞伎を演じたり、まさに歌舞伎界の革命児だったのです。

 しかし、いわゆる改革者や革命家と、明らかな違いが勘三郎にはありました。それは、「平成中村座」に象徴される、歌舞伎の「原点への回帰者」という姿です。ご存知のように、歌舞伎の発祥は安土桃山期の出雲阿国。そのかぶく者としての芝居小屋の見世物の流れを見事に引き継ぎ、隅田川沿いに「平成中村座」を起し、しかもニューヨーク講演はじめ、歌舞伎が現代に生きる道のあることを、見事に証明してきたのです。ライバルは「嵐」とも自ら言ったといわれる勘三郎には、芝居小屋の歌舞伎が決して古いものでなく、当時、時代の最先端であった阿国歌舞伎や中村座創始者の江戸期の中村勘三郎の姿が、「“いま”に生きるかぶく者の姿」として明確に脳裏にあったのではないでしょうか。生きていたら、中村勘三郎は、あくまでも歌舞伎として、AKB48とも競演していたかもしれません。

 新しい歌舞伎座がもうすぐ完成します。この新歌舞伎座も、そうなるのでしょうが、丸の内界隈の高層ビルのいくつかは、明治の優れた建築をそのまま生かしながら21世紀の高層ビルと融合させたものです。古き建築を壊すのでなく、そのすばらしさを温存し、高層ビルと一緒に新しく現代に生まれ変わる、まさに「足し算の美学」といえましょう。
 いわゆる改革は、破壊の上に成り立つ、いわば「引き算」が根底にありますが、勘三郎は、歌舞伎が「足し算」で新しく生まれ変われる方法があることを、見事に証明してくれました。(もし、企業の経営改革も、「引き算」でなく「足し算」でできたら、どれほどすばらしいかわかりません。)

 ただ、芸は建物と違って残らず、時間とともに消えていきます。21世紀の申し子であり歌舞伎の天才・中村勘三郎の死は、悲観的に考えれば「現代と歌舞伎との融合」のチャンスを永遠に失った瞬間だったのかもしれません。つまり勘三郎は、改革者や革命児ではなく、「時代との融合者」であり、時が経つにつれて、ますます不世出の人物の感を強くしていくのではないでしょうか。

 でも、その一方で、何とか、という気持ちも捨て切れません。新・勘九郎の「父を忘れないで下さい」の口上が、歌舞伎界を担う若者たち全員の「中村勘三郎の魂をしっかりと受け継ぎます」に変わり、勘三郎から魂が引き継がれ、「現代と歌舞伎との融合」のチャンスがふたたび巡ってくることを、ひそかに願っている方々も多いのではないでしょうか。
(文中の登場人欝は全て敬省略)

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2010年3月 8日 (月)

大輔クンの「道」と真央ちゃんの「鐘」

54_2  バンクーバーオリンピックが終わりました。皆さんは何が最も印象に残りましたか。
 それともオリンピックの感動と余韻はもう去りましたか。私には、銅メダルの高橋大輔クンが満面の笑顔で演技を終えたのと対照的に、銀メダルの真央ちゃんが涙にくれたフィギュアスケートが最も心に残りました。

 大輔クンの演じた曲「道」は、フェデリコ・フェリーニ監督の名作映画「道」に出てくる主題曲です。この映画を見たことのある人は、全編に流れる、あの物悲しいメロディが映画の結末と重なって、おそらく映像が脳裏に焼きついているのではないでしょうか。
 映画の主人公は、ザンパノーという男と、ちょっとアタマの弱いジェルソミーナというなんとも可愛く哀しい女旅芸人。大輔クンはそのザンパノーの心の推移を、冒頭のコミカルな演技から最後の後悔と苦悶まで、ものの見事に表現してくれました。大輔クンは「道」の世界を完全に体にしみこませ、ストーリーなど知らない人にもザンパノーになりきった演技で、多くの人々に氷上の演技者として感動を与えてくれました。

 かたや真央ちゃんは、ロシアの作曲家ラフマニノフの曲「鐘」。正式には(5つの幻想的小品集の第2曲・前奏曲嬰ハ短調「鐘」)だそうで、もう名前を聞いているうちに寝てしまいそうな曲目です。真央ちゃんのコーチの指導方針は、つねに「誰もやらないことをやる」にあるそうで、難解な演技にチャレンジさせることがポイントとのこと。しかしながら、「金を獲れる人しかコーチングしない」コーチの芸術性と選曲は、「私はそこらの人と違うのよ。私たちは芸術家とその弟子」とでもいいたげな感じで、私にはあまりよい感じがしませんでした。しかも、この「鐘」、4年前に同コーチが指導した選手が、故障でオリンピックに出られなくなり残念な思いをした曲。それを、真央ちゃんに使ったのです。

 実は、この曲を聴き、これらの話を知ったとき、このコーチで真央ちゃんが勝つのは相当厳しいなあと思いました。キム・ヨナの技量が優れているだけに、真央ちゃんの勝つチャンスは、真央ちゃんが最高の演技ができることが絶対条件で、その条件を満たすためには、いかに真央ちゃんがフリーの世界に没入できるかがカギとなると判断しました。

 しかし、この曲には正直、感情を乗せて舞えるドラマやストーリーがない。現に演技後の会見で、彼女自身が「演技の時間が長く感じられた」と涙ながらに語ったのが何よりもの証明です。また、TVで直前の練習を見ていたら、真央ちゃんは音楽のない時に飛べるトリプルアクセルを、音楽に合わせると飛べないことがあり、これはまずい、この曲は真央ちゃんの演技に合っていないと直感しました。というよりスケートの曲ではないと感じたのです。この選曲には、もっと以前に関係者からもさまざまな批判があったそうですが、真央ちゃんの偉いところは「途中で投げ出したくない」と最後までこの曲でいくことを望んだとのことです。

 いま、若いコーチたちの「オリンピックで勝つ」指導ポイントは、モロゾフコーチにもみられるように、まず採点方法を徹底分析し、どうすれば足し算で高得点をとることができるか、一つ一つの演技にディジタルな指導対応がされるようになっています。審査は人がするのですから、まずはマーケティングの世界でいう「顧客の購買分析」(ここでは審査員が顧客)から勝利へのアプローチをしているわけです。「お客様の心理をどのように分析・把握し、商品創りに反映させられるか」―――おそらく、このような視点から彼ら若いコーチは、審査員を感動させるエンターテイメント性に満ちた演技を細かく指導しているのではないでしょうか。また審査にも影響を与える観客をいかに味方に引き入れられるか、しかも、どうしたら選手が感情を表現し乗りやすいか、で選曲や振り付けを徹底しているように私には思えます。

 このような傾向に対して、真央ちゃんのコーチ指導には、課題が多く目に付きました。もしあなたが女性で、他の女性に調達したがお蔵入りしたドレスを、4年も経って「これを着て舞台に立って」と言われたら、どんな気持ちがしますか。
 また、真央ちゃんのショートプログラムに、去年も演じた「仮面舞踏会」の曲を(編曲はあるにせよ)使用したのも疑問です。新しいキム・ヨナの魅力を見せてくれた「OO7」の妖艶な演技に比べたら、新しい真央ちゃんを期待した顧客心理を裏切り、「新商品」の提供には程遠い結果といえましょう。

 つまり、私にはコーチの芸術観の押し付けばかりが目に付き、審査員や観客の心理分析が疎かになっているように思えたのです。何よりも肝心なことは、選手が主人公なのに、曲も演技もすべてコーチ自身の価値観のほうが上位にあるように思える、このこと自体が作戦の大きな誤りと思えるのです。経営でいえば、「人材育成」の観点からも、また「商品開発」の観点からも、「売り手側」の論理が優先するロシアの商品みたいで前時代的な感じがしました。

 これからの真央ちゃんにとって、というより日本のスケート界にとって、大切なことは、いままで誰も想像できなかった「新しい真央ちゃん」を生み出す環境と指導をどのように準備できるかでしょう。彼女の笑顔には、「誰をも幸せな気持ちにする女神」が宿っています。これからの4年間に「新しい真央ちゃん」を創る強力なサポートを、ここはぜひ、「スケートの神様」にもお願いしたいものです。

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2009年7月21日 (火)

言葉を超えた下町の「かっこよさ!」

43  築地はいまや観光名所で、ショッピングカートを持った伯母さん連中がバスでごっそりやってきます。最近では中国人観光客が、日本人観光客に負けないくらいあふれています。ご存知の方も多いでしょうが、観光客は築地の場内・場外と2つのエリアで買い物や飲食をしています。そんな築地に、私が時々、親しい仕事仲間と行く食事処があります。

 観光客の多いエリアから離れた場所にあるので、まず一見の客は皆無、お昼時はほとんどが中堅ビジネスマンといったところ。築地の小さな古いおうちがそのままお店になっていて、カウンターが5名ほど、その向こうで刺身を切って皿に盛っているご主人。その後ろがたたきの部屋になっていて、そこに10名ほど。そのさらに奥のスペースに5名ほど。その2つの部屋で食事するには、右横の路地からすこし行って曇りガラスの玄関をガラリと開けて入るという具合。

 昼時でも一番奥の部屋ではたいてい、仕事を終えた河岸仲間の酒盛りが男女交えて楽しげにされています。かたや、カウンターやご主人の後ろの部屋の大テーブルには、ビジネスマンがランチの「刺身定食」か「OOちらし」か「寿司定食」か「マグロのステーキ丼」を仲間と食べています。それが何と、どれをとっても活きの良い上物ばかりの刺身で美味しく、刺身の盛りなども、この値段でこれほどの見事なお店を見たことがありません。

 そして何よりも楽しいのは、50代?のご主人と奥さんの会話。まあ、いやでも聞こえる話に思わず笑いをこらえるのが精一杯。奥さんが2階からなかなか降りてこないと、だんなは「あのやろう、忙しいってえのに・・・」とブツブツ、降りてくると「ばかやろう、なにしてやがったんだ、この忙しいのに、仕事しろい!」奥さんも慣れたもので「あたしだって、OOOOしてたんだから」。言葉だけだとまるでけんかですが、これが日常会話。

 さらに先日は、こんな光景に出っくわしたのです。忙しいのに奥さんがいない。ご主人とやって来た河岸仲間との会話「おい、どうした?」「OO子が熱出しちゃって」。つまリ、きょうは奥さんがお孫さんの発熱で不在ということなのでしょう。もう、ご主人は刺身を切って盛り付けるだけで手一杯。なのに、お客様は満席で待っている。すると、いつの間にかさっきの友達?が奥さんに代わって、ガスコンロの鍋でお玉に味噌を溶かし、お客様の味噌汁を作っているのです。

 そこからが、傑作でした。その友達がご主人の背中に向かって、「おい、投げるなよ」と味噌汁の味見しながら声をかける。ふたたび「おい、投げるなよ」と、鍋を見ながら言っている。さて、どういうことなのかな?と思っていたら、なんと、その友達がガラス戸の中のおわんを出している時に、うまいタイミングでご主人が振り返り、直ぐ後ろのコンロの上の鍋に、いま切った魚のブツの塊をポーンと投げ込んだのです。そのあと、まるで何もなかったかのように、友達は鍋をかき回しつつ味噌汁をおわんに次々と移し、酒盛りをしていた連中に向かって「おい、OO」と名を呼ぶと、その彼が直ぐ来て、お客様に味噌汁を出していったのです。

 この一連の出来事は、もう理屈抜きで「かっこいい!」姿そのままで、(東京麹町で育った私にも)ああ、たしかに、子どもの頃はこんな大人たちの「かっこいい!」世界もあったなあ、とつくづく懐かしい思いがしました。人と人とには、言葉を超えた「もっと大切なもの」がある。言葉でいいわけをしたり、言葉でお礼を言ったり、言葉でわびたり、つまらない気遣いを言葉でする現代社会。でも、本当の人間の信頼関係と絆の前では、言葉なんてほどんど価値のないものに私には思えたのでした。

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2009年6月15日 (月)

神から授かった音楽

42  久しぶりに気持ちのよいニュースです。20歳の全盲ピアニスト辻井伸行クンが、「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝しました。コンクール史上初の日本人優勝で、アジア勢としても初の快挙となりました。 
 この賞は、アメリカの国民的英雄であるヴァン・クライバーン(1934年生まれ)を記念して創設された国際ピアノ・コンクールで、基本的に4年おきに開催されるとのこと。ピアノの国際コンクールとしては、ショパン・コンクールと並んでピアニストの登竜門として知られているのだそうです。私は知らなかったもので・・・・

 部分的ではありますが、勝ち上がっていく時の演奏をTVで聴ききましたが、素人の私も「すごいなあ!」と驚嘆しました。受賞のときに、クライバーンがメダルを辻井クンの首にかけてあげ抱きしめると、辻井クンが大きな体の胸に自ら抱きつき顔をうずめた姿は、もう何とも言えずさわやかで感動的で、胸が熱くなったのは私だけではないでしょう。世界のおじいさんから世界の孫へ、神様が「音楽の才能」を譲り渡した儀式のようにも私には思えました。

 このような天才が、どのようにして世に出てきたか。もう、多くの方はTVや雑誌、新聞でご存知でしょう。お母さんの口ずさむジングルベルをまだ2歳にも満たない子がオモチャのピアノで弾きだした話。お母さんが果物の色を教えていたら、「では、風はどんな色?」と聞いた話などエピソードに事欠きません。彼の音楽的な才能に気づいたのは、ご両親だったのでしょうが、実は、祖父母の果たした役割も抜きには語れないようです。

 伸行クンが生まれた時、先天的に眼が見えないことを知ったおじいちゃまは、こう言ったそうです。「世の中には不幸にも目が見えないで生まれてくる子がいる。そのような子が、この家を選んで生まれてきてくれたことを喜ぼうじゃないか」と。そして、眼が見えないだけに、小鳥の声やさまざまな音に接する機会を伸行クンにもたらしてくれたそうです。

 お父さんと散歩する神田川の情景をイメージした彼の作品を私はTVで聴いていて、まちがいなく彼の耳には、「眼がある」と思わざるを得ませんでした。目の見えないことは不幸なことではあるのですが、私たちは、見たくないもの、見てはいけないものもずいぶんと目にして生きてきたように思います。汚れている自分の眼に比べて、辻井クンの目はどこまでも澄んでいて、これからも美しいものだけが見える眼であって欲しいものです。

 もうすでに世界的なプロの音楽家の道を歩いている辻井クン。ここに来るまでに、どのような艱難辛苦があったかは、おそらく私たちの想像を超えているに違いありません。経済的なことひとつとっても、遠征費をも含め音楽を学ぶためにかかった費用は、お母さんの話では新築の家が軽く一軒買えるくらいの額だそうです。だれにでも与えられた才能ではなく、また誰にでも叶えられる環境でもありません。

 「もし1日、目が見えることができたら、何を最初に見てみたいですか」という質問に、「まず見たいのは、両親の顔です」と答えた伸行クン。
 お父さんが厳しく躾はしたそうですが、これほどのさわやかな好青年を、マスコミはじめ皆で騒ぎ立て「贔屓の引き倒し」をしてはいけないのです。せっかくここまでたどり着いた「世界に誇る天才」が、さらに大きく羽ばたくことができるように、大切にしかし静かに、社会全体で見守っていってあげたいものです。

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2009年3月 2日 (月)

プロとしての地道な努力と魂

 映画はまだしも、TVドラマを見ていると「嘘っぽい演技」が気になることありませんか。
 ドラマ全体が安っぽく、薄っぺらになってしまい興ざめすることを、皆さんも経験していることと思います。
 例えばサスペンスドラマの前半によく出てくる場面ですが、不慮の事故で(実は殺人)で亡くなったご主人がいる霊安室に、奥さんが導かれ刑事が顔の白い布を取ると、間髪をいれず「うわあ!」と大声を出して泣き叫び遺体にすがる情景・・・・・
 よくあるでしょ。実は、私はいつも違和感を感じているのです。愛する人の信じられない死に直面した時、人はあんなにすぐに泣き叫ぶのかと。
 私が思うに、人は思いがけない人生のどん底におかれたとき、その現実が信じられない、それが現実と思いたくない自分が本能的に働いて、まずは声が出ず、これは夢ではないか、現実であるはずがないという気持ちと、目に飛び込んでいる現実との板ばさみで、狼狽や葛藤があるはずです。そして、現実を受け入れるまでの間とか時間とかが瞬時でもあり、それでも信じたくない無意識の行動、すなわち放心とか空ろとか取り乱しとか、尋常でない態度を取るのではないでしょうか。その後に、すべてが現実と悟った時に、一気に搾り出すような慟哭と嗚咽があるのだと思うのです。ですから、ある国の葬式に見られる「泣き女」みたいな振る舞いは、とても直ぐには想像できません。おそらく、「北の国から」の原作者・倉本聡氏の脚本はもちろん撮影スタッフなら、あのような安直な演出をしないはずです。映像は作り手も演者もプロならば、「人間の現実と心」をもっと勉強すべきと思うのです。

 そのような安直なドラマがある一方で、日本の映画作品が2つもアカデミー賞をとりました。そして、いま「おくりびと」の話で持ちきりです。この映画は、主役の本木雅弘君が持ち込んだ企画だというところも評判になっている背景です。しかも、それが15年前から彼が温めていた企画だということを知って、私も俳優としての本木雅弘君を見直しています。なぜ、「君」付けで読んでいるかといえば、彼への親愛の情と有望な青年への期待感からです。

 27歳の青年が15年経って、俳優として映画に何を期待し、俳優として何をしたいのかが結実したところに「おくりびと」があり、アカデミー賞が舞い降りたということでしょう。納棺師に師事してプロの所作と心を学び、「役になりきった」本木君が多くの感動をこれから「おくりびと」の映画を見る多くの観客にも与えてくれるに違いありません。

 さて、もうひとり、私が着目している俳優がいます。
 NHK大河ドラマ「新鮮組」の山南敬助役を好演してブレイクし、その後、「篤姫」の徳川家定、そして日航機墜落を扱った「クライマーズ・ハイ」で事件記者を演じた堺雅人君です。
 彼は、先の大河ドラマ「篤姫」でも、人気を盛り上げたひとりとして見逃すわけにはいきません。文芸春秋11月号で彼と原作者・宮尾登美子さんとの対談から、いかに「家定役づくり」のために並々ならぬ勉強をしたかを知りました。

 例えば、家定が出てくる文献として米国大使ハリスの公式記録、補佐役ヒュースケンの日誌などを調べ、歌舞伎の六法というしぐさを演じる時には市川団十郎の「助六」を観劇し、少しでも家定像をつかむために家定モデルといわれる歌川国芳の浮世絵を調べるなど、その「役づくり」への執着は並ではありません。
 また「クライマーズ・ハイ」では、日本アカデミー賞、キネマ旬報ベスト・テン、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールなど日本の権威ある映画賞で、助演男優賞を総なめにしています。この事件記者を演じるときも、「役づくり」のリアリティを得るために30人を越える実際の記者に取材をしたそうです。このような勉強から、彼はほんものの新聞記者の魂を体の中に取り込んでいったのでしょう。

 「プロとはなにか」を考えるとき、この2人の姿勢と魂に、私たちは学ぶべきことがたくさんあります。映画では「いい作品」にあたる、私たちにとっての「いい仕事」―――プロとして私たちも、「役づくり」への地道な努力をもっとしようではありませんか。

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2009年2月 2日 (月)

テレビコマーシャルの制作側と受けて側の感性

30 毎日たくさんのTVコマーシャルが流れていますが、最近、あなたの見たTVのコマーシャルで心に残ったものはありますか。
 わずか数秒の間に「伝えたいこと」を盛り込むのは相当の工夫が必要ですが、その映像が楽しかったり面白かったりすると、皆さんも、また見てみたいと思うに違いありません。
 一方、何度見ても、一体このCMは何を伝えたいのだろうと思うものもあります。つまり、スポンサーの企業名や商品名がなんだかわからなかったり、映像目的すらわからないものもあり、これでよくスポンサーが何千万円もの制作&放映料を払うものだと首を傾げたくなる場合もあります。

 私もTVCMを発注する企業側の責任者として、シナリオ制作から撮影までに関わったことがあります。TV局の制作現場では、その責任者たちはプロ意識からか「独善」も強いので、「いい作品」をつくるには、お見合いと同じで発注側と制作側の感性部分の相性が大変に重要となります。つまり、CMの放映目的は、その企業に好感を持ってもらえる、その商品を購入してもらえる、など企業にとっては明確なので、この目的に対してどれだけ表現での折り合いをつけ達成度を満たせられるかに勝負どころがあるのです。言い換えれば、「いい作品」とは、「表現による制作目的の、到達度の高い作品」ということです。

 さて、その放映目的から見てみると、これは明らかに企業にとってマイナスでは、と思われる作品もあります。少し前になりますが、ある有名な銀行が、こともあろうに不朽の名作「ローマの休日」の数シーンを使い、世界の妖精・オードリーヘップバーンのせりふを入れ替え、彼女に銀行の宣伝をさせたのです。

 映画「ローマの休日」は、女性はもちろん世界中の多くの人々に「永遠の夢物語」として心に残る、いわば映画芸術の名作といえましょう。月刊誌「文芸春秋」の近刊でも「世界のNO.1美女」に選ばれたのがオードリーで、おそらく、この「ローマの休日」の清純なアン王女役を誰もが心に浮かべた結果と思います。しかし、その銀行のTVコマーシャルは、そのオードリーの人気を「とんでもない扱い間違え」をした最低の作品だったといえましょう。

 つまり、映像の著作権が50年で切れたのに目をつけたのでしょうが、故人となったオードリーもグレゴリーも名監督ウィリアム・ワイラーも、そして不朽の名作「ローマの休日」も、結論から言うと、もはや決して触れてはいけない「神聖な領域に入った世界」と見るべきでしょう。これを無視して、「永遠の情景」を商業ベースに使った制作者とスポンサーの無神経さは、ただ呆れるばかりといわれてもいたし方ありません。彼らがいかに、この映画「ローマの休日」のこともオードリーのことも愛していないことがよくわかります。少なくとも芸術や映画を大切にする受けて側の人々は、間違っても「このような銀行にお金を預けたくない」と思う方は多いのではないでしょうか。まさに、制作者とスポンサーの感性の鈍さの問題です。

 一方、反対に、ついホロリとしてしまうCMがあります。東京ガス(全国放映でないのは残念です)の「ご飯が炊けました編」と「山菜の味編」です。
 「ご飯が炊けました編」は、新婚まもない若い夫婦の、どこにでもある生活のワンシーンがモチーフとなっています。夫が会社で仕事をしている映像、同時進行で、あれこれ夕食の買い物をしている新妻の映像。その後、妻は、つくっていたシチューがほぼ完成したので夫に電話をする。妻が「ご飯は?」というと、残業中の夫は遠慮がちに、「外で食べる」と返事する。妻は鍋をゆっくりかき回しながら夫に気遣い「まだ、つくっていないから」と答える。が、その電話に、ガス炊飯器の自動音声「ごはんが炊けました」が流れる。その後、夜の街を走る電車の遠景が映り、「ただいま」と夫が帰宅する。それを彼女がソファの上で、ひざ小僧を抱えながら「おかえり」と迎える。画面はフェイドアウトして「ちょっと明るく、ちょっといい未来」とナレーションが流れる。

 時間経過を上手に見せながら、若い夫婦の愛情や相手を思いやる気持ちを細かい描写で心憎いほど見事に表現しています。いまこのように書きながらもシーンを思い出してウルウルしてきてしまうほど、作品への思い入れが短い映像の中に閉じ込め込められています。プルサーマル計画で原子力発電所を推進しようとしているオール電化の東京電力と、「ガスッパッチョ」などのコミカルCMも持つオールガス化の東京ガスとは熾烈なセールス合戦をしていますが、はたして勝敗はどうなるのでしょうか。

 さて、同じく東京ガスの「山菜の味編」ですが、これも、どこにでもある誰にでもある普通の生活や人生のワンシーンです。その普通の中に感動がひっそりと隠れていることを、先の「ご飯が炊けました編」も、この「山菜の味編」も見事に映し出しています。どうも、こういう「ホロリ」に私は弱いようです。「山菜の味編」は映像の最後に、「家族をつなぐ料理のそばに 東京ガス」とナレーションが入ります。これは、いま放映中なので、ぜひご自分の目でご覧になってみてください。

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2009年1月19日 (月)

アラウンド団塊世代の“昭和の郷愁”を商品化する

28  このお正月にTVのCMで、対照的な2つの出版物の宣伝合戦がありました。
 ひとつは、パートワーク商品のお手本となったディアゴスティーニジャパン社の「東映時代劇シリーズ」で、創刊号がオールスター総出演の「赤穂浪士」。もうひとつは小学館の「落語 昭和の名人 決定版」で、創刊号が「3代目 古今亭志ん朝」。まあ、昭和を知らない若者には、「なに、それ?」といったところでしょうか。

 ディアゴスティーニジャパンの「東映時代劇シリーズ」は、ずばりアラウンド団塊世代の「映画少年」をターゲットに狙った企画といえましょう。もう少し正確に言えば、終戦をはさんで前後5年といったところでしょうか。ちなみに、この出版社は趣味の世界に絞り込み「冊子+マテリアル」で日本に上陸したイタリアの出版社で、マーケットを明確にしたパートワーク(分冊百科)というシリーズもので、コレクターの心理を上手につかんだ新出版戦略を成功させています。
 なお東映時代劇は、NHKラジオの連続放送劇「新諸国物語 笛吹童子」がヒットした翌年(昭和28年)に映画化され、このシリーズによって(私も含めて)日本の子どもたちは東映時代劇のとりこになっていったと記憶します。

 一方、小学館の「落語 昭和の名人 決定版」は、このディアゴスティーニ商法に倣ったもので、創刊号に「古今亭志ん朝」をもってきたところに苦心のあとが見られます。というのは、すでに昭和の名人クラスの、「志ん朝」のお父さんである「志ん生」、歯切れがよくって粋な「円生」、演目「薮入り」など右に出るのもがいない金馬、演目「たぬさい」などとぼけた味の「小さん」、話しにパアっと華がある「文楽」などなどの落語全集は今までに結構出ているのです。しかしながら、今回も創刊号のあとにはこれら名人がラインナップはされているものの、シリーズもののコレクションのトップに「志ん朝」をもってきたところに工夫があります。

 というのは、先の名人クラスはすべて明治大正生まれなのに対し、惜しくも逝ってしまいましたが「志ん朝」は昭和生まれの、いわば落語界のサラブレッドNO.1名人であることです。ここに小学館の、アラウンド団塊世代の落語好きを狙ったマーケット戦略を見ることができます。

 映画「三丁目の夕日」の重要な時代背景になった東京タワーの完成が昭和33年。東映の創立10周年を記念してつくられた超大作の「赤穂浪士」の封切りが昭和36年。古今亭志ん朝」が若干24歳で、先輩を36人抜きで真打に昇進したのが昭和37年。これら時代背景を見ても、アラウンド団塊世代が懐かしいと郷愁を掻き立てられる「昭和30年代」は、いわば現代のユートピアなのかもしれません。平成の現代が、どれほど棲み辛い世になっているのかの対極に、この「昭和30年代」が象徴的に扱われているように思えるのです。

 さて、ヒットした「三丁目の夕日」の「昭和30年代」は、現代の若者にはきっとSF的な、ものめずらしい世界に違いありません。さて、それでは、この「赤穂浪士」や「志ん朝」は、この若者たちの目にはどのように映るのでしょうか。団塊世代の親父と昭和の時代を知らない若者とが、「赤穂浪士」や「古今亭志ん朝」を肴に酒でも飲んだら、どんな会話になるのか興味深いところです。

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2008年10月27日 (月)

シルク・ド・ソレイユと東京ディズニーリゾート

18  東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、オフィシャルホテルを包括する東京ディズニーリゾートに、この10月1日に新しく「シルク・ド・ソレイユ・シアター東京」がオープンしました。総工費40億円をかけて東京ディズニーリゾートの運営母体である㈱オリエンタルランドが、10年間のロングラン公演をめざして誘致した世界最大のサーカス集団「シルク・ド・ソレイユ」の専用劇場です。

 「シルク・ド・ソレイユ」とはフランス語で「太陽のサーカス」という意味、カナダのモントリオールに本部を置き、世界のアスリートから優秀な選手を集め、所有するサーカス専門スクールで3年間みっちり仕込む育成システムを持っています。もうすでに世界210都市で公演し、観客動員数が実に7000万人以上。といってもご存じない方は、「サルティンバンコ」や「アレグリア」そして来年日本公演になる「コルテオ」などの演目名はTV宣伝などで耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 いまやカジノで有名なラスベガスでは、専用の劇場を持つ「シルク・ド・ソレイユ」は、ショービジネスの集客装置といわれるほど世界から多くの人を集めています。では、なぜそれほどまでにすごいのか―――それは従来のサーカスとは大きく異なり、観客の主流が家族でなく演劇やオペラを鑑賞しに行く層、といったらイメージが浮かぶでしょうか。

 舞台での特色は、まずノンバーバル(せりふなし)で、ショーのスターもいません。ですから世界のどこでも公演できて、しかも代役に困ることがありません。またパフォーマンスのスケールがとてつもなく大きく、劇場は常設と設営ともにありますが、TV映像で見ても劇場内部の豪華さとスケールには圧倒されます。そして何よりも優れた経営の特色は、全て前売りのチケット制でキャッシュフローが超健全、しかも普通の会社のように取締役会がありません。最高意思決定は創業者と社長に委ねられ、外部取締役4名の参加会議がグローバルな意見を聞く機会としてあるのみです。その背景には、「我々は誰からもショーに対するコントロールを受けない」という意志があり、「シルク・ド・ソレイユ」芸術の基本コンセプトに対する最高経営者のゆるぎない自負を感じます。

 どのように組織が大きくなっても、「大切なもの」を守るために絶対に譲らない確固たるポリシーがキラキラと輝いている「シルク・ド・ソレイユ」。そのために意思決定は2名のトップで、そして新しいショーは別の2名のクリエイターが2,3年かけて創り続けているそうです。

 さて、このパフォーマンス集団を誘致した㈱オリエンタルランドですが、この企業の戦略もまた注目に値します。かってウォルト・ディズニーは「ディズニーランドは永遠に完成しない」と言った話は有名ですが、従来のディズニーリゾートの顧客である子供・家族・恋人から、さらに観劇・ショービジネスの大人の顧客層を取り込もうとする、㈱オリエンタルランドのいわば発展の歩を緩めないチャレンジ精神に深く惹かれます。おそらく評判になるのはこれから、ぜひ、ごいっしょに注目していこうではありませんか。

※前回登場の二上達也氏(元・日本将棋連盟会長)を八段と記しましたが、最終段位が九段でしたので、お詫びして訂正いたします。

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2008年8月25日 (月)

ターシャ・テューダーの世界

10_8 新高輪プリンスホテルで開かれている、ターシャ・テューダーの展覧会を見てきました。
 彼女は、今年6月に92歳でなくなりましたが、「アメリカ人の心を表現する」といわれた絵本作家です。と同時に、バーモント州にある30万坪の広大な土地で開拓時代の暮らしをした、まさに「若草物語」の世界を生きたような女性でもあります。

 子供の頃から社交的ではなく、13歳の誕生日には念願の牛をプレゼントしてもらうほど農業に関心が高かったそうです。そんなわけで、15歳で学校を辞めて農業の道に進み、23歳で結婚し、絵本作家として4人の子供を育てました。生涯で80冊以上の本を出版し、権威ある絵本の賞も多く受けています。46歳で離婚し57歳の時から、広大な土地に家具職人の息子がたった一人で建てた18世紀工法による一軒家と庭で、ほとんど自給自足に近い生活をするようになります。すでに日本では展覧会やNHK総合TVなどで、ターシャさんの紹介はされていてファンも多いと聞きます。

 展覧会では、彼女の人と動物への慈愛が、豊かな想像力で見事な童話の世界として描かれています。画面にくっつかんばかりに顔を近づけて、細やかに描かれているコミカルなコーギー犬やねずみたちを見ていると、いつの間にか童話の世界に引きこまれてしまいます。また、彼女がつくったクラシックでステキな服の数々、マリオネットの人形たち、自ら紡いで染めた毛糸。どれもこれもすばらしいものばかりです。さらに心に残ったのは、彼女が日々の生活で使ってきたヤカンであり鍋でありプディング容器であり、たくさんのリンゴを絞る手回しの道具であり、「最も美味しいチョコレートケーキ」を作るレシピであり、びっしりとメモ書きされた窓際の壁板であり、ヤギの乳のチーズづくりの陶器であり、もうターシャと一緒に生活しているような錯覚に陥ってしまいました。

 何よりも不思議だったのは、それらステキなドレスも、人形も、ヤカンも、水汲み道具もみんな「私は幸せだったよ」「私は幸せだったわ」と楽しげに語りかけているように思えたことです。今回の展覧会について、ターシャさんがお礼の言葉を述べています。ということは、生前、この展覧会の企画が進んでいたということでしょう。道具が語りかけてくる、それは、まだターシャさんのぬくもりが、あたり一面に漂っていたからかもしれません。

 私が初めてターシャさんを知ったのは、つい最近、ある人に連れられて書店で写真集を見せてもらった時。その写真集の美しさに言葉を失いました。被写体であるターシャさんの開拓時代のクラシックなスタイル、はだしで花桶を運ぶ姿、やわらかい灯に照らされ座ってお茶を飲む至福の姿、何もかもが夢の世界で、その写真のすばらしいこと!最近、これほど見事な写真を見たことがありません。それは被写体のすばらしさと同時に、その被写体を宝物のように大事に大事に撮っている写真家の技量と魂のすばらしさでもあります。しかも、そのすばらしさは、写真のみでなく装丁のすばらしさでもあるのです。タイトル、コピー、すべてに本への愛情とこだわりに満ちていて、本を手に取りページをめくり、また表紙を眺めて・・・しばし感動に浸ってしまいました。トーバ・マーティン著 /リチャード・W・ブラウン写真 /食野雅子訳 /出原速夫装丁 /出版メディアファクトリー/ 本とは、こういうふうにつくるもの、というお手本を見せてもらった気がしました。

 さて、ターシャさんは、なぜ、あのような生活を求めたのでしょう。そして、なぜ、あれほど幸せそうな表情や姿をしていたのでしょうか。私は、できることならターシャさんから直接、もっともっとたくさんのお話を聞かせていただきたいなあと思うものです。そんな、すばらしい展覧会です。ぜひ、行ってみてください。

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2008年8月11日 (月)

人間が所有するようになって、平和を失った

09  日曜日の昼下がり、新大阪から歩いて数分のホテルで会合を持ちました。東京からの新幹線は帰省客でいっぱいかと思いきや意外に空いていましたが、新大阪の駅の冷房外の場所は死にそうなくらい暑く、またホテルへの歩道橋も一切の日陰もない炎天下で頭がクラクラしました。かといって冷房もあまり好きではないので、早めに着いたこともあり、ホテルの裏側の大きな日陰の路を散歩することにしました。

 高いビル群の日陰の路なので、さぞ涼しい風が吹いているだろうと思ったのですが、どこも熱風ばかりで、木はそよいでいるのに暑さはそう変わりません。しばらくいくと、ビルの谷間に端正でこじんまりとした木製の社があり、右横に庫裏があり、左手に「OO不動尊」という石碑が建っています。裏を見ると昭和62年建立とあり、真四角に切り取ったようなスペースからも、左右のビルの建設にあわせて建ったであろう事が推測されます。

 わずかなスペースではありますが玉砂利もきれい、ゴミひとつ落ちていないし、手水鉢には新しい水があり、日々手入れがされていることが伺われます。ここなら多少涼しい風が来るかなと社手前の縁石に腰を下ろして、ふと左に目をやると水道があって、その下にもきれいな玉砂利が敷いてあります。しかし、その水道の蛇口にカランがついていません。というより、ここの主が意図的にはずしたということでしょう。おそらくホームレスが使ったり、通りがかりの人が出しっぱなしにするのを嫌ってのこと。そして、掃除に来たときだけカランを付けて水道を使うのでしょう。さて、右を見ると、お賽銭と書いた石柱が、貯金箱のような口を開けて立っています。しかも横には大きな南京錠まで付いています。お賽銭はチャッカリ取るのに、カランはしっかりとはずす、OO地蔵尊の主の心根が知れて一気に興ざめしてしまいました。

 同じような話しが室町中期の吉田兼好になる「徒然草」の中にも出てくるのを思い出しました。記憶も朧ですが、こんな話だったのではないでしょうか。
 紅葉を踏みしめながら山深くいくと、大変に趣のある庵があって、さぞ、ここの住人は「世俗を離れてひっそりと暮らしているのであろう」と思ったら、すぐそばの見事な柿の木のまわりに、人が入って柿を獲らないようにと垣根がしてあったという話です。

 話は変わって、エリクソンという学者が著した「幼児期と社会」(1963年日本初版)という書の中に、アメリカインデアンのスー族についての記述があります。彼らはかって、大変に温厚な種族で、炊事道具でも何でも物はすべて種族皆のものとして長い間暮らしてきたそうです。それが、いわゆる西部劇の舞台となったような時代、合衆国政府の力で原住民は征服されて居留地に入れられ、そこで貨幣経済で生活をさせられるようになってしまいました。その結果、物が個人の所有物になり、とうとう貧富の差が生まれ、長い長い歴史の中でスー族が平和に暮らしてきたすばらしい生活スタイルは、完全に崩壊してしまったという話しです。

 文明の始まりは、「人間が塀をつくるようになってからだ」という説があります。人間同士が所有権を争うようになって、人類は平和を失ってしまったのでは、と私はしばしば思うのです。地球が誰のものでもないならば、土地だって本来誰のものでもないはずです。それを戦争して奪い合ったり、境界線がどうのこうのと争ったり、一生の財産をつぎ込んで土地を買ったり、果ては未来永劫に続くと信じて墓を建てたり―――。米国のサブプライムローン問題だって、所詮は、悪徳業者が払える能力のない人々をそそのかし、「マイホーム」という所有願望の弱みに付け込んだに過ぎません。
 もし、人類が「所有の願望」を、全部とは言わないまでも、一部でも捨てることができたら、人類はもっともっと幸せになるのになあと思うのですが、いかがでしょうか。

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