« 2011年12月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年4月

2012年4月13日 (金)

東電社長の権利宣言と官僚プレデター

64_2    ブログの間隔がどうしても開いてしまうのは、忙しいこともあるのですが、実は楽しいお話を書きたいのに、なかなかそういう状況にないからです。そして、いくつかの企業の経営に係わっていると、どうしても怒りの矛先が愚かな政治に向かざるを得ません。そこで、きょうは、原発のもつ罪の深さを探ってみることにします。

 江戸から明治にかけて、貧しい農村や漁村から、多くの娘たちが借金のカタに吉原などの遊郭に売られてきました。昭和から平成に時代は変わって人身売買ができなくなってからは、貧しい農村や漁村では、それを見透かしたように中央官庁と結託した電力会社が、この30数年、人どころか村一帯、県一帯を札びらで頬っぺたをひっぱたい原発をOKさせてきました。原発は、表では電力需要を満たす夢のエネルギーとして、裏では将来の核保有への第一歩として、そのスタートを切り、今日に至りました。

 原発の誘致地域では、原発関連の雇用が生まれ、道路も舗装され、立派な公民館や体育館、中には温泉施設までできて、まるで村や町が豊かなパラダイスになったかのように見えました。が、福島の原発事故で、日本中が夢から覚めたのです。その結果、農村や漁村の命の証である自然の幸は全て廃棄!そして、孫子の代まで半永久的に土地には戻れない悲惨な現実を迎えました。つまり、我々は「安全」を謳い文句の、国家をあげての詐欺商法に出会い、とうとう不幸のどん底に落とされたのです。さらに、使用済みの核廃棄物は、何と10万年の先までその害は消えないといわれています。

 その悲惨な福島を生んだ、その原発の原因分析もなく、対策も何一つ講じられていないまま、いま、政府は原発を再稼動させるべく、「暫定安全基準」などといった忍者の目くらましのような手法を使い出しました。例えるならば、防災対策のできていない歌舞伎町のビルで、甚大な被害の火事を起きたのに対し、同じ老朽化している隣のビルは、「いま防災対策はできていないが、2,3年後はこうなる」という計画書、「暫定安全基準」とやらを所轄官庁に提出したら、なんと3日で営業許可が下りたという話。双方グルの八百長芝居であることは、子供でも理解できます。

 では、なぜ、こうまでしても政府は原発をやりたがるのか。その背景は、すべて東電社長の(どうも私には、あの慇懃無礼な態度と丸眉毛が「暴れん坊将軍」にでてくる“三河屋”に見えてしょうがありません)、例の「値上げは権利」といった発言に象徴される現実がある、と私は思っています。

 彼の発言の心理的背景はこうです。東電は霞ヶ関や虎ノ門にとどまらず、東京だけでもおびただしいほどの数の天下り官僚を、経済産業省はじめ各省庁から受け入れています。東電が原発を有し、動かしている限りは、彼ら天下り先の就職は永久に安泰!天下を動かしている豪商として、天下り官僚を食わしているのは我々東電だ!という自負心を持っても不思議はありません。その上、政治の世界では、政治家たちには政治献金で恩を売り、彼らに原発推進の音頭とりをさせ、我が意のごとく政治を動かしてきた現実があります。それだけではなく、学者の世界にも介入し、大学や研究所への支援・個人への寄付などで、原発の安全神話をせっせと構築した御用学者を育て操ってきたのです。ですから、東電の社長の心理は―――「彼らを食わしているのは我々東電だ!多くの人々を幸せにし、食わせるための権利遂行がなぜ悪い!国家を支えてきた我々を何だと思っているのだ!」と、当然のことのように「値上げは権利」と言うのも、彼の立場にたてば頷けることといえましょう。

 ですから、原発を動かさなければ、官僚の天下り先の安泰は保障されず、ご恩の返せない政治家は政治献金を頂戴できなくなってしまいます。そこで、彼ら官僚や政治家の心理は―――「さあ、大変!日本のお国のことよりも、自分たちの身の安泰が優先。別に原発のエリアに住むわけではないし、なんとか原発を動かして安寧の禄に預かりたい!そもそも原発をやめたら、将来の核保有だってできなくなる・・・」―――ただし、声高に「賛成!」は風向きが悪い。では、どうするか。

 そこで、官僚も東電も恩になった政治家も考えることはひとつ―――「総理大臣に言わせるのが一番!なぜなら、彼は、財務省のお先棒を担いで、未曾有の天変地異が起きたにもかかわらず、「税と年金の一体改革」という詐術的言語を入れ知恵したら、 “年貢(消費税)を上げることに命を懸ける”と口走った愚直な宰相。だったら今度は、経済産業省のお先棒を担いでもらって、何が何でも“原発、再稼動”に、ひと働きしてもらおう。そのためには、もっともらしい言い訳として「経済発展のために原発は欠かせない!」、なら経済界も味方するはず。安全でないのはわかりきっているが、最後は、“政治判断”といった伝家の宝刀も用意したので、いまは何が何でも再稼動が大事」といった具合。

 官僚も東電も、「原発が一基も動かない状況をつくったら、国民は、原発なくてもやっていけるじゃない!」と確信するはず。そういう状況は絶対につくってはならないと思っているのです。これから、しばらくは知事や市長はじめ地元の反対派の切り崩しを、官僚と電力会社が、あらゆる手を使って政府と政治家を操りながら暗躍するはずです。

 「官僚はプレデターである」という人がいます。消費税も、原発も、表面は政府や総理大臣が動いているように見えますが、実際は官僚が見えないところで暗躍しているということです。つまりプレデターは、人間には姿を見せないのです。血だって、一般大衆と違って赤い血は流さず、緑色です。本当の顔は醜く奇怪です。さて、このたとえが本当かどうか、この国はどこに行こうとしているのか、プレデターの本当の姿はどのようなものなのか。官僚のすべてがプレデターで、人間でないとは思いたくありません。しかし、少なくとも、何かにとり憑かれたように「原発再稼動」と声高に叫ぶ原発亡霊と、その裏で糸引くプレでターの言いなりになっては、日本の未来はないのです。

| | コメント (1)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年12月 »