« 2009年12月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年1月

2010年1月 7日 (木)

福山雅治クン演じる竜馬像

54_4  新年明けましておめでとうございます。さて新春1月からNHKの大河ドラマ「竜馬伝」が、福山雅治クンの主演で始まりました。このちょっとひ弱な感じの彼に「あの竜馬」が務まるのか心配だったのですが、案の定、第1回目を見た限りでは、こんなに頼りない竜馬で大丈夫かなと先々がさらに心配になりました。

 ところが、関連番組で彼が「自分の演じる新しい竜馬像」について語っているのを聞いて、「そういう見方も面白いかな」と新たな興味がわいてきたのです。彼の話では、「竜馬というとおおらかでたくましくイメージが一般的」だが、「土佐にいるころの竜馬は将来についてしっかりした考えをもっていたのではなく、その後、たくさんの人と接する中で大きく成長していった」、そんな竜馬の姿を演じていきたいと語っていました。

 私の中での竜馬像は、やはり愛読した司馬遼太郎の「竜馬が行く」のイメージが強烈ですが、よくよく考えてみると「新しい竜馬像」のほうが、もしかしたら正しいのかなともいま思うのです。というのは、私が誰よりも竜馬に強い魅力を感じる一番の理由は、「勝海舟の刺客として勝邸に出向いたその晩に、何と殺るべき相手である海舟の弟子になってしまった!」ことにあります。私はこの一事に、竜馬の全てが体現化しているとつねづね思っているので、「人と接して成長していく竜馬」というのは、実にその通りだと合点しました。

 竜馬は周囲の思想の影響を受け「幕府の勝海舟こそ、日本の将来のガン」と刷り込まれ行動を起こすわけです。しかし、そこで竜馬のすごいところは、まちがいなく異常な精神状態であるはずの晩に、「まあ、話を聞け」という海舟の声に、しっかりと耳を傾けることのできる大人物だったということです。しかも海舟の政治思想や世界観をじかに聴くことによって、こともあろうに大の大人が、「目からウロコ」で一気に目を開いてしまうところが何ともすごいのです。

 つまり、彼にはイデオロギーなどないのです。主義主張で凝り固まった石頭ではなく、つねにものごとを「合理的・合目的的」に考えられる柔軟性がすごいのです。
 ですから、自分がじかに接した海舟を、この人物は「ほんもの」であると確信し、いままで自分が接した人物の中で最高!と判断したがゆえに即座に「弟子入り」したに違いないのです。その事実に、彼の素直さや純粋さ、柔軟性と人物のおおらかさなど、もう惚れ惚れする好人物の全てを感じてしまうのです。あわせて、勝海舟という人物の説得力や影響力に、彼の卓抜した見識や人物像にも大いに感動させられてしまいます。

 そんな当時の薩摩にも長州にも、実はドロドロとした権力の欲望と殺気が渦巻いていたのです。にもかかわらず、海舟は滅び行く幕府の中枢にあって一切の私欲なく、その目は幕府を超えて日本の将来に目が向いていました。一方、竜馬は、仲間が権謀術数で政治の中枢に参画することを企んでいるときに、立身出世には一切の興味なく「世界の海援隊になる」と目は世界との貿易に目が向いていました。

 名前こそ薩摩と長州ではないですが、いまや「党利党略」は相も変わらず、政治の世界には欲は化け物のようにでかいが人物力量は小粒なくせに大きな顔をして輩が多すぎます。
 いまの時代に竜馬や勝海舟が生きていたら、どのように私達と係わってくれていることでしょうか。21世紀の坂本竜馬や勝海舟の登場を、絶対にあきらめずに楽しみに待ちたいものです。

| | コメント (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年3月 »