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2009年6月 1日 (月)

マスコミ報道の先にあるもの

41  新型インフルエンザの脅威が下火になってきました。この数週間、まるで映画の世界みたいに、地球上が新型インフルエンザの猛威に晒され、明日にでも感染が津波のように押し寄せてくる恐れを抱いた人も多かったのではないでしょうか。
 その震源地とも言うべき神戸に先週、仕事で行ってきました。新神戸から三ノ宮まで乗ったタクシーの運転手さんは、カンカンに怒っていました。「マスコミが無責任な大騒ぎをしたために、どれだけ我々神戸の者が被害を蒙っったかわかっているのか」と。

 たしかに、ここへきて感染が沈静化すると、今までの行政の対応についても、さまざまな批判が表面化してきました。先日は、参議院の予算委員会に参考人として出席した現役の検疫官が、政府の水際対策について「政治的パフォーマンスに利用されたと疑っている」と強く批判しました。連日報道されていた「N95マスクやガウンをつけて検疫官が飛び回っている成田空港での姿」が、さも水際対策に真剣に取り組む行政の真摯な姿勢として、パフォーマンスに利用されたということです。たしかに、政府はいかに現政権の人気度を上げるかに汲々としていて、厚労大臣が夜討ち朝駆けで政府発表を行い、総理大臣までがTVに出て「冷静な対応を」などとよけいな呼びかけなどを含め、新型インフルエンザまでもが「信頼できる政府」へのイメージづくりに利用された感は否めません。

 しかしながら、新型インフルエンザの対応については、私たちの社会の病んだ実情も見せつけられました。感染がメキシコで始まった時、女高生たちがメキシコ料理の店の前を「わあ、こわーい」といって通り過ぎ、メキシコ人の女性店主が悲しい思いをしたという話し。また感染した高校生徒の名前をインターネットで公表した者がいたために、その兄弟が学校でいじめにあったという話しなど。

 とくにひどいのはマスコミのワイドショーで、感染者の帰宅経路を事細かに地図や時間まで明らかにして公表する無神経さ、こんなことをして一体、誰の感染予防になるのでしょうか。感染被害者が、まるで加害者のように扱われる社会に誘導しているのは、まちがいなくマスコミで、その責任は重いといえましょう。空港の検疫係官が走り回る映像を何度も何度も放映したのもマスメディアで、検疫係官の批判を是とするならば、結果として「政府宣伝の片棒」を担いだのもマスコミといえましょう。このように映像を社会に流す重さ、恐さをどれだけTV局の人々が理解・痛感しているのか疑問に思うことが往々にしてあります。

 政府発表をそのまま垂れ流す、功名心に駆られて過度の内容に膨らませる、視聴率至上主義、特ダネ至上主義の落とし穴が待ち構えているマスコミにあって、「被害者を絶対につらない」モラルと配慮が、つねにマスコミには求められているはずです。そして、できることならば、「映像のその先に何が待ち構えているのか」、映像の行方の恐さをしっかり読めるマスコミであって欲しいものです。

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