« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009年6月29日 (月)

梅雨時の雨の匂いに思うこと

43  私は東京のど真ん中、千代田区麹町の化粧品屋の倅として育ちました。そう、三丁目の夕日の時代がちょうど中学生、ヒットしたフランク永井の「有楽町で会いましょう」の銀座には家の前の都電で10分、子供心に何か有りそうな大人の街・新宿には10分というところです。もう、話について来られない読者がいっぱいいますか。

 交通の便は、これほど便利なところはありませんでしたが、まだまだ当時はチャンバラ遊びや探検ごっこなど、遊び場には事欠かない時代でした。いまのホテルニューオータニの場所は、旧秩父宮様の屋敷跡で草ぼうぼう、近所の大きいお兄さんたちと「雉」を空気銃で撃ちに行ったりしました。家の裏のほうの紀尾井坂を下りきったところには、歌舞伎役者・尾上松禄の屋敷があり、その門前にはきれいな小川が流れていたので「沢蟹」を採ったり、清水谷公園でザリガニや小ブナ獲りが日課でした。小学校の高学年にもなると徒党を組んでアメリカンスクールの生徒たちや四ツ谷にあった中華学校の生徒たちとけんかもしました。ここまでは話せる話で、今でも話せない悪さはいっぱいあります。

 そんな悪がきも高校生になるとサッカー部で毎日練習三昧、家に帰ると疲れ果て、晩ご飯にも起きられず制服を着たまま朝を迎えることも1回や2回ではありませんでした。でも、時々さんざ遊んだ子どもの頃が思い出され「魚釣り」がしたくなることがありました。さて、そんな時どうするか、近所の上海料理店の2歳年上の「孟ちゃん」と夜明かしで青春を語り合い、そして明け方「釣り」に出かけるのです。さて、ここで問題です。麹町からタクシーで朝なら5~10分、いったいどこに「釣り」に出かけるのでしょうか。

 実は、皇居・竹橋のお堀に行くのです。明け方、芋と小麦粉を練って耳たぶくらいの柔らかさの団子を作り、いまの竹橋と千代田区役所の中間あたりのお堀端で降ります。どういうわけか、「孟ちゃん」と行くときは雨の日が多く、記憶の中でも梅雨時の釣りしか思い出せません。現地に着くと、歩道からお堀に降りられる足場が1箇所あって、そこに降りて釣り糸を垂れるのです。今ほど車も多くなく、雨の音だけの、しばし静寂の空気が漂います。緊張の中でウキが静かに動き、小さな動きの後に一気に「ググッ」と引き、その瞬間に竿をしぼると、グンとした手応え、この瞬間のために眠い眼をガマンして徹夜してやって来たのです。

 大きな真ブナがずっしりと手の中で暴れます。まあ、釣れること釣れること。梅雨時にはお腹に黄色い卵をいっぱい持っていて、手につくこともあるのです。お堀の真ブナは、銀色したヘラブナと違い金色で鯉のようです。そしてサウスポーの「孟ちゃん」の上手なこと、一度たりとも数で勝ったことはありません。家に持って帰り、大きな木のたらいに入れるのですが、今のように酸素ポンプの設備がない時代、一晩たつと酸欠でみんな白い腹を出して死んでしまっています。殺生なことをしたものです。そのまま置いてくるのが惜しいばかりに・・・・。

 この、お堀の釣りでは、さまざまなものが釣れました。フナはもちろん、鯉、うなぎ、なまず、かめ、雷魚など何でも釣れたのです。当たり前です。当時も皇居では釣ってはいけないのです。いまではパトカーで連行でしょう。
 毎年、梅雨時の雨の中に身をおくと、目の前50センチのところにあるあのお堀の水の匂い、木々の緑の匂いなどすべてが入り混じって、私には「皇居のお堀の真ブナ釣り」の匂いが体中にいっぱい満ち満ちてくるのです。

| | コメント (0)

2009年6月15日 (月)

神から授かった音楽

42  久しぶりに気持ちのよいニュースです。20歳の全盲ピアニスト辻井伸行クンが、「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝しました。コンクール史上初の日本人優勝で、アジア勢としても初の快挙となりました。 
 この賞は、アメリカの国民的英雄であるヴァン・クライバーン(1934年生まれ)を記念して創設された国際ピアノ・コンクールで、基本的に4年おきに開催されるとのこと。ピアノの国際コンクールとしては、ショパン・コンクールと並んでピアニストの登竜門として知られているのだそうです。私は知らなかったもので・・・・

 部分的ではありますが、勝ち上がっていく時の演奏をTVで聴ききましたが、素人の私も「すごいなあ!」と驚嘆しました。受賞のときに、クライバーンがメダルを辻井クンの首にかけてあげ抱きしめると、辻井クンが大きな体の胸に自ら抱きつき顔をうずめた姿は、もう何とも言えずさわやかで感動的で、胸が熱くなったのは私だけではないでしょう。世界のおじいさんから世界の孫へ、神様が「音楽の才能」を譲り渡した儀式のようにも私には思えました。

 このような天才が、どのようにして世に出てきたか。もう、多くの方はTVや雑誌、新聞でご存知でしょう。お母さんの口ずさむジングルベルをまだ2歳にも満たない子がオモチャのピアノで弾きだした話。お母さんが果物の色を教えていたら、「では、風はどんな色?」と聞いた話などエピソードに事欠きません。彼の音楽的な才能に気づいたのは、ご両親だったのでしょうが、実は、祖父母の果たした役割も抜きには語れないようです。

 伸行クンが生まれた時、先天的に眼が見えないことを知ったおじいちゃまは、こう言ったそうです。「世の中には不幸にも目が見えないで生まれてくる子がいる。そのような子が、この家を選んで生まれてきてくれたことを喜ぼうじゃないか」と。そして、眼が見えないだけに、小鳥の声やさまざまな音に接する機会を伸行クンにもたらしてくれたそうです。

 お父さんと散歩する神田川の情景をイメージした彼の作品を私はTVで聴いていて、まちがいなく彼の耳には、「眼がある」と思わざるを得ませんでした。目の見えないことは不幸なことではあるのですが、私たちは、見たくないもの、見てはいけないものもずいぶんと目にして生きてきたように思います。汚れている自分の眼に比べて、辻井クンの目はどこまでも澄んでいて、これからも美しいものだけが見える眼であって欲しいものです。

 もうすでに世界的なプロの音楽家の道を歩いている辻井クン。ここに来るまでに、どのような艱難辛苦があったかは、おそらく私たちの想像を超えているに違いありません。経済的なことひとつとっても、遠征費をも含め音楽を学ぶためにかかった費用は、お母さんの話では新築の家が軽く一軒買えるくらいの額だそうです。だれにでも与えられた才能ではなく、また誰にでも叶えられる環境でもありません。

 「もし1日、目が見えることができたら、何を最初に見てみたいですか」という質問に、「まず見たいのは、両親の顔です」と答えた伸行クン。
 お父さんが厳しく躾はしたそうですが、これほどのさわやかな好青年を、マスコミはじめ皆で騒ぎ立て「贔屓の引き倒し」をしてはいけないのです。せっかくここまでたどり着いた「世界に誇る天才」が、さらに大きく羽ばたくことができるように、大切にしかし静かに、社会全体で見守っていってあげたいものです。

| | コメント (0)

2009年6月 1日 (月)

マスコミ報道の先にあるもの

41  新型インフルエンザの脅威が下火になってきました。この数週間、まるで映画の世界みたいに、地球上が新型インフルエンザの猛威に晒され、明日にでも感染が津波のように押し寄せてくる恐れを抱いた人も多かったのではないでしょうか。
 その震源地とも言うべき神戸に先週、仕事で行ってきました。新神戸から三ノ宮まで乗ったタクシーの運転手さんは、カンカンに怒っていました。「マスコミが無責任な大騒ぎをしたために、どれだけ我々神戸の者が被害を蒙っったかわかっているのか」と。

 たしかに、ここへきて感染が沈静化すると、今までの行政の対応についても、さまざまな批判が表面化してきました。先日は、参議院の予算委員会に参考人として出席した現役の検疫官が、政府の水際対策について「政治的パフォーマンスに利用されたと疑っている」と強く批判しました。連日報道されていた「N95マスクやガウンをつけて検疫官が飛び回っている成田空港での姿」が、さも水際対策に真剣に取り組む行政の真摯な姿勢として、パフォーマンスに利用されたということです。たしかに、政府はいかに現政権の人気度を上げるかに汲々としていて、厚労大臣が夜討ち朝駆けで政府発表を行い、総理大臣までがTVに出て「冷静な対応を」などとよけいな呼びかけなどを含め、新型インフルエンザまでもが「信頼できる政府」へのイメージづくりに利用された感は否めません。

 しかしながら、新型インフルエンザの対応については、私たちの社会の病んだ実情も見せつけられました。感染がメキシコで始まった時、女高生たちがメキシコ料理の店の前を「わあ、こわーい」といって通り過ぎ、メキシコ人の女性店主が悲しい思いをしたという話し。また感染した高校生徒の名前をインターネットで公表した者がいたために、その兄弟が学校でいじめにあったという話しなど。

 とくにひどいのはマスコミのワイドショーで、感染者の帰宅経路を事細かに地図や時間まで明らかにして公表する無神経さ、こんなことをして一体、誰の感染予防になるのでしょうか。感染被害者が、まるで加害者のように扱われる社会に誘導しているのは、まちがいなくマスコミで、その責任は重いといえましょう。空港の検疫係官が走り回る映像を何度も何度も放映したのもマスメディアで、検疫係官の批判を是とするならば、結果として「政府宣伝の片棒」を担いだのもマスコミといえましょう。このように映像を社会に流す重さ、恐さをどれだけTV局の人々が理解・痛感しているのか疑問に思うことが往々にしてあります。

 政府発表をそのまま垂れ流す、功名心に駆られて過度の内容に膨らませる、視聴率至上主義、特ダネ至上主義の落とし穴が待ち構えているマスコミにあって、「被害者を絶対につらない」モラルと配慮が、つねにマスコミには求められているはずです。そして、できることならば、「映像のその先に何が待ち構えているのか」、映像の行方の恐さをしっかり読めるマスコミであって欲しいものです。

| | コメント (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »