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2009年4月27日 (月)

世の中からすべての塀を取り払うと

38  私の住んでいる100メートル四方には、コンビニもなければお店もありません。車を運転しない人にとっては、買い物ひとつ用の足せない不便なところです。そのかわり、自然がいっぱいで、春になると鶯がなき、花が咲き葉が茂り、リスがカタカタといつも声を出していて四季折々を肌で感じられるところではあります。10年前は犬の散歩で、夜の闇にふくろうの声も耳にしました。

 しかしながら、私自身は定住の意識が薄く、たぶん祖先が大陸の騎馬民族だったのでは、と思うくらいです。仕事の関係上、いまの場所に家を建てたのですが、やはり家だとか土地だとかにはあまり執着がありません。ですから、木を剪定したり庭造りをしたりするのも性に合わなく、できれば春は勝手に花が咲き乱れればいいし、秋は落ち葉を踏みしめて歩くのがいいのだと思っています。しかしながら大勢の人が出入りする都合上、ほったらかしてはいられないのも事実です。まあ、私は庭ひとつ履いていませんので、偉そうなことはいえません。

 そうはいっても、いま家の周囲を見ると、ウッドデッキにはカロライナジャスミンが2階の屋根に向かってつる枝を伸ばし、見事な黄色の花を咲かせています。隣家との境を見ると、隣家で植えた羽衣ジャスミンが日当たりの関係でほとんど全部、私の家の低い塀を越えて枝を伸ばし、可憐な白い花が当たり一面に咲き乱れ、甘く上品な香りを漂わせています。かといって、どこまでがどっちでなどというケチな話はなく、さまざまな花や木があっちに出たり、こっちにでたり、低い塀すら見えなくなってしまったくらい、両家とも花や草木の好きに任せているようです。

 かといって、この山のすべての人がそうではなく、隣の家の木が境界線の道標から出たとか出ないとかで争ったり、私道の上に公道の桜並木の枝が伸びてきて、毛虫が落ちるからと、見事な花を咲かせる枝を市に頼んでバッサリ切ってしまうといったこともあるのです。私はいつも思うのですが、もともとこの地球は宇宙の天地変動からできたのであって、誰かが最初に所有していたものではありません。それが人と人が争い、土地を奪い合って、いまでは、本来は誰のものでもないはずの土地に線を敷き、OO国のものだとか、オレのものだとか、全く人間は浅ましいなあと思うのです。

 同じように墓だって、何百万円もかけてネコの額くらいの広さを確保し、ここが「子々孫々までの墓」などと、私には勝手な思い込みをしているように見えるのです。墓についていうと、いま人類の歴史が何十万年も営々と続いてきているのに、日本ではわずか2000年に満たない前の「卑弥呼の墓」さえ、どこにあるのかわかりません。この日本で500年前の祖先の墓に詣でている人が、いったい何家族あるのでしょうか。ちなみに鎌倉では、鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓も確実にはわかっていません。その妻の政子と息子の実朝の墓は、寿福寺というお寺の山の中腹に、小さな祠(ほこら)の前の粗末な墓石としてあるのみです。

 「人類が塀をつくったときから文明が始まった」といわれますが、いいかえれば「人類が塀をつくったときから醜い争いを始めた」のでしょう。所有を意味する物理的な塀が、心の塀になってしまったことはまちがいありません。
 ポーランドのワルシャワで、ヒトラーによって高い塀で隔離され殺されていったユダヤ人の子孫が、いまガザ地区のパレスチナ人を塀の中に閉じ込め自由を奪っています。イスラエルで行った村上春樹さんの講演は、暗にこの点をついていました。もし、この人間の世界から、すべての塀を取り払ったら、人類はどのような社会を新たに作り直していくのでしょうか。

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