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2009年2月

2009年2月16日 (月)

お金を巻き上げる人と躍らされる人

31_2  私の住んでいるところは鎌倉です。この鎌倉から一駅のところに大船という街があります。大船は、東海道線、横須賀線、そして湘南モノレールの駅が集中し、結構な賑わいを見せています。とくに、「仲通商店街」は有名で、魚や野菜が湘南でも特に安く、よくTVでも取り上げられます。

 で、この街を見てきて30年以上になりますが、最近特に街が変貌してきているのが気になっています。といいますのは、大きな書店がなくなり、老舗のお店がなくなり、ただ増えてきたのは、大型のドラッグストアと携帯ショップと大型ゲームセンター、そして林立する大型パチンコ・スロットのお店です。新規開店時には会員登録制?に行列ができ、おじさんやおばさんが案内嬢に店内へ誘導されていく姿を見ていると、何とも切ない気持ちになってきます。

 もともとこの地には「大船松竹撮影所」があり、文化の発祥地でもありました。さらにさかのぼると江戸時代、実はこの周辺は湿地帯で「粟を積んだ舟」が行き来していたそうです。その「粟舟」が転じて、「あわふね」「おおふな」となったといわれています。そんな場所ですから、昔は田んぼや畑しかない農村地帯だったのでしょう。そして、この一帯を、いまも残る古い家名の数人の地主たちが所有していたようです。

 では、なぜ、これら広大な土地持ちが誕生したかといえば、ここらの農夫たちは、雨が降ると結局、悲しいかなバクチしかすることがなくて、その挙句、お金がなくなり金貸しに借りる、その借金の形に土地が取られ、金貸しはドンドンと所有する土地を増やしていったという話しがもっともらしく伝わっています。

 いまの大船は、昼間から主婦が買い物袋を提げながらパチンコ屋さんから出てきます。お金をスッて何ともいえない表情をしているのですが、はたしてご主人は知っているのでしょうか。いま大船に、ドンドンと広がるパチンコ屋やゲームセンター、そして携帯ショップを見ていると、言葉は悪いですが世の中の「ズル賢い人々」が、「思慮に欠ける人々」を「カモ」にして、さまざまな仕掛けを「エサ」に、お金を巻き上げているようにも見えてくるのです。

 電話やネットで低俗な性をウリモノにして荒稼ぎをする業者と、まんまと乗せられる愚かなお客。何度でも買い物ができて元金が減らないという「円天」マネーを考え出したずる賢い男たちと、その幻想の貨幣に群がった人々。いつの時代も、「小人閑居して不全を為す」(小人物は、暇ができるとロクなことをしない)の喩えどおり、愚かな者を相手に、ズル賢い人間が彼らを食い物して、「お金を巻き上げる構図」が消えてなくなりません。
ラクして遊びたい、儲けたいという一攫千金を求める人々が、世の中の「金喰いの罠」に飲み込まれ、逆にお金を失っていく、街全体がドンドンと非生産的な遊び場に変貌していくのを見ていると、どうしても私たちの社会に危機感を持たざるを得ません。

 実体経済が世界を動かすのでなく、実体のないマネーゲームである金融がモンスターとなって、世界のまともに働いている人々を不幸のどん底に陥れたのが2009年のいまです。サブプライムローンに始まったこの愚は、「お金を巻き上げる人々と、お金を掠め取られる人々の構図」として、規模こそ違っていても大船の街の変貌と本質が同じように思えるのです。

 よくTVなどで自給自足に近い山村のお年寄りを目にしますが、どの方も皆、穏やかなすばらしいお顔をしていらっしゃいます。それに比べて、都会の人々は、どこか血走っていてゆとりがありません。私たちにとって「幸せ」とは何か、もう一度、日々の生活の中で、「お金」に踊らされない人生とはどのようなものか、皆で考えてみたいものです。

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2009年2月 2日 (月)

テレビコマーシャルの制作側と受けて側の感性

30 毎日たくさんのTVコマーシャルが流れていますが、最近、あなたの見たTVのコマーシャルで心に残ったものはありますか。
 わずか数秒の間に「伝えたいこと」を盛り込むのは相当の工夫が必要ですが、その映像が楽しかったり面白かったりすると、皆さんも、また見てみたいと思うに違いありません。
 一方、何度見ても、一体このCMは何を伝えたいのだろうと思うものもあります。つまり、スポンサーの企業名や商品名がなんだかわからなかったり、映像目的すらわからないものもあり、これでよくスポンサーが何千万円もの制作&放映料を払うものだと首を傾げたくなる場合もあります。

 私もTVCMを発注する企業側の責任者として、シナリオ制作から撮影までに関わったことがあります。TV局の制作現場では、その責任者たちはプロ意識からか「独善」も強いので、「いい作品」をつくるには、お見合いと同じで発注側と制作側の感性部分の相性が大変に重要となります。つまり、CMの放映目的は、その企業に好感を持ってもらえる、その商品を購入してもらえる、など企業にとっては明確なので、この目的に対してどれだけ表現での折り合いをつけ達成度を満たせられるかに勝負どころがあるのです。言い換えれば、「いい作品」とは、「表現による制作目的の、到達度の高い作品」ということです。

 さて、その放映目的から見てみると、これは明らかに企業にとってマイナスでは、と思われる作品もあります。少し前になりますが、ある有名な銀行が、こともあろうに不朽の名作「ローマの休日」の数シーンを使い、世界の妖精・オードリーヘップバーンのせりふを入れ替え、彼女に銀行の宣伝をさせたのです。

 映画「ローマの休日」は、女性はもちろん世界中の多くの人々に「永遠の夢物語」として心に残る、いわば映画芸術の名作といえましょう。月刊誌「文芸春秋」の近刊でも「世界のNO.1美女」に選ばれたのがオードリーで、おそらく、この「ローマの休日」の清純なアン王女役を誰もが心に浮かべた結果と思います。しかし、その銀行のTVコマーシャルは、そのオードリーの人気を「とんでもない扱い間違え」をした最低の作品だったといえましょう。

 つまり、映像の著作権が50年で切れたのに目をつけたのでしょうが、故人となったオードリーもグレゴリーも名監督ウィリアム・ワイラーも、そして不朽の名作「ローマの休日」も、結論から言うと、もはや決して触れてはいけない「神聖な領域に入った世界」と見るべきでしょう。これを無視して、「永遠の情景」を商業ベースに使った制作者とスポンサーの無神経さは、ただ呆れるばかりといわれてもいたし方ありません。彼らがいかに、この映画「ローマの休日」のこともオードリーのことも愛していないことがよくわかります。少なくとも芸術や映画を大切にする受けて側の人々は、間違っても「このような銀行にお金を預けたくない」と思う方は多いのではないでしょうか。まさに、制作者とスポンサーの感性の鈍さの問題です。

 一方、反対に、ついホロリとしてしまうCMがあります。東京ガス(全国放映でないのは残念です)の「ご飯が炊けました編」と「山菜の味編」です。
 「ご飯が炊けました編」は、新婚まもない若い夫婦の、どこにでもある生活のワンシーンがモチーフとなっています。夫が会社で仕事をしている映像、同時進行で、あれこれ夕食の買い物をしている新妻の映像。その後、妻は、つくっていたシチューがほぼ完成したので夫に電話をする。妻が「ご飯は?」というと、残業中の夫は遠慮がちに、「外で食べる」と返事する。妻は鍋をゆっくりかき回しながら夫に気遣い「まだ、つくっていないから」と答える。が、その電話に、ガス炊飯器の自動音声「ごはんが炊けました」が流れる。その後、夜の街を走る電車の遠景が映り、「ただいま」と夫が帰宅する。それを彼女がソファの上で、ひざ小僧を抱えながら「おかえり」と迎える。画面はフェイドアウトして「ちょっと明るく、ちょっといい未来」とナレーションが流れる。

 時間経過を上手に見せながら、若い夫婦の愛情や相手を思いやる気持ちを細かい描写で心憎いほど見事に表現しています。いまこのように書きながらもシーンを思い出してウルウルしてきてしまうほど、作品への思い入れが短い映像の中に閉じ込め込められています。プルサーマル計画で原子力発電所を推進しようとしているオール電化の東京電力と、「ガスッパッチョ」などのコミカルCMも持つオールガス化の東京ガスとは熾烈なセールス合戦をしていますが、はたして勝敗はどうなるのでしょうか。

 さて、同じく東京ガスの「山菜の味編」ですが、これも、どこにでもある誰にでもある普通の生活や人生のワンシーンです。その普通の中に感動がひっそりと隠れていることを、先の「ご飯が炊けました編」も、この「山菜の味編」も見事に映し出しています。どうも、こういう「ホロリ」に私は弱いようです。「山菜の味編」は映像の最後に、「家族をつなぐ料理のそばに 東京ガス」とナレーションが入ります。これは、いま放映中なので、ぜひご自分の目でご覧になってみてください。

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