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2009年1月

2009年1月26日 (月)

いまの時代、神様があえて教えようとしていること

29  米国史始まって以来、はじめて黒人の大統領が誕生しました。
 リンカーンが奴隷解放を唱え戦った南北戦争。その犠牲者を悼みゲディスバーグ国立戦没者墓地で行った「人民の人民による人民のための政治」(“government of the people, by the people, for the people”)と述べた演説はあまりにも有名ですが、そのリンカーンが「奴隷解放宣言」を行ったのが1862年です。

 その後はるか歴史は下って、「公民権運動」の先頭にたった黒人キング牧師が、ワシントン大行進でリンカーン記念堂の前で行った有名な“I Have a Dream ”の演説が1963年。リンカーンの「奴隷解放宣言」から実に100年後に「公民権運動」の大行進があり、そのキング牧師から46年後に、ようやくオバマ大統領の誕生となったわけです。リンカーンとオバマの2人が同じ聖書に左手を置き、ともに新大統領宣誓を行うまでの間に、長い長い146年の歳月が流れています。

 そして、現在の経済危機に際し、オバマ新大統領が掲げたのが「グリーン・ニューディール政策」です。かってウォール街から始まった世界大恐慌の時に、その経済を立て直すためにルーズベルト大統領が掲げたのが「ニューディール政策(New Deal)」で、オバマはその時代の成功を意識して、「21世紀の新しい環境ビジネス」に経済政策の力点を置く意欲を示したものです。

 そもそもルーズベルト大統領の「ニューディール政策」の基本は、それまでの「自由主義的な市場経済」から「政府が介入する統制経済」への転換にあります。この時代、市場というものは「神の見えざる手」によって自然に発展するものだという、いわばアダム・スミスの古典的経済論が主流でした。が、ウォール街のブラックマンディを境に一気に金融危機に陥ったことから、その理論が必ずしも正しくはないという風潮に一変しました。そこで脚光を浴びたのが市場統制を重要視するケインズの経済論で、このケインズの考え方が「ニューディール政策」のバックグラウンドとなったのです。

 サブプライムローンをきっかけにして、勝手に一人歩きしてモンスター化した金融と、その破綻によって実体経済までもが一気に崩落の危機にある現状は、ルーズベルトの時代とは比べものにならないほど世界がグローバル化しているだけに事は深刻です。よって、世界各国の連携による賢い経済統制・管理がいまは必要で、まさに「国家の政治力」が問われる重要な時代が来襲したといえるのではないでしょうか。

 世界NO.1の自動車会社に躍り出たはずのトヨタが、2009年3月期から一転して連結赤字の企業に転落してしまう嘘のような現実。そして世界の自動車産業すべてが立ち行かなくなった事実に目を向けると、もし、このような世界の実態を、神様があえて人間社会に与えたとすれば、我々は何を学んだらよいのでしょうか。不況だとか、金融危機だとかに危機感も大切ですが、歴史の大きな流れに立って考えると、「21世紀の人間社会のありかた」とはどのようなものか、いま政治家も経営者も国民も、いや世界中の人々が神様から教わっているように思えるのですがいかがでしょうか。

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2009年1月19日 (月)

アラウンド団塊世代の“昭和の郷愁”を商品化する

28  このお正月にTVのCMで、対照的な2つの出版物の宣伝合戦がありました。
 ひとつは、パートワーク商品のお手本となったディアゴスティーニジャパン社の「東映時代劇シリーズ」で、創刊号がオールスター総出演の「赤穂浪士」。もうひとつは小学館の「落語 昭和の名人 決定版」で、創刊号が「3代目 古今亭志ん朝」。まあ、昭和を知らない若者には、「なに、それ?」といったところでしょうか。

 ディアゴスティーニジャパンの「東映時代劇シリーズ」は、ずばりアラウンド団塊世代の「映画少年」をターゲットに狙った企画といえましょう。もう少し正確に言えば、終戦をはさんで前後5年といったところでしょうか。ちなみに、この出版社は趣味の世界に絞り込み「冊子+マテリアル」で日本に上陸したイタリアの出版社で、マーケットを明確にしたパートワーク(分冊百科)というシリーズもので、コレクターの心理を上手につかんだ新出版戦略を成功させています。
 なお東映時代劇は、NHKラジオの連続放送劇「新諸国物語 笛吹童子」がヒットした翌年(昭和28年)に映画化され、このシリーズによって(私も含めて)日本の子どもたちは東映時代劇のとりこになっていったと記憶します。

 一方、小学館の「落語 昭和の名人 決定版」は、このディアゴスティーニ商法に倣ったもので、創刊号に「古今亭志ん朝」をもってきたところに苦心のあとが見られます。というのは、すでに昭和の名人クラスの、「志ん朝」のお父さんである「志ん生」、歯切れがよくって粋な「円生」、演目「薮入り」など右に出るのもがいない金馬、演目「たぬさい」などとぼけた味の「小さん」、話しにパアっと華がある「文楽」などなどの落語全集は今までに結構出ているのです。しかしながら、今回も創刊号のあとにはこれら名人がラインナップはされているものの、シリーズもののコレクションのトップに「志ん朝」をもってきたところに工夫があります。

 というのは、先の名人クラスはすべて明治大正生まれなのに対し、惜しくも逝ってしまいましたが「志ん朝」は昭和生まれの、いわば落語界のサラブレッドNO.1名人であることです。ここに小学館の、アラウンド団塊世代の落語好きを狙ったマーケット戦略を見ることができます。

 映画「三丁目の夕日」の重要な時代背景になった東京タワーの完成が昭和33年。東映の創立10周年を記念してつくられた超大作の「赤穂浪士」の封切りが昭和36年。古今亭志ん朝」が若干24歳で、先輩を36人抜きで真打に昇進したのが昭和37年。これら時代背景を見ても、アラウンド団塊世代が懐かしいと郷愁を掻き立てられる「昭和30年代」は、いわば現代のユートピアなのかもしれません。平成の現代が、どれほど棲み辛い世になっているのかの対極に、この「昭和30年代」が象徴的に扱われているように思えるのです。

 さて、ヒットした「三丁目の夕日」の「昭和30年代」は、現代の若者にはきっとSF的な、ものめずらしい世界に違いありません。さて、それでは、この「赤穂浪士」や「志ん朝」は、この若者たちの目にはどのように映るのでしょうか。団塊世代の親父と昭和の時代を知らない若者とが、「赤穂浪士」や「古今亭志ん朝」を肴に酒でも飲んだら、どんな会話になるのか興味深いところです。

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2009年1月12日 (月)

牛タン屋さんに学ぶお客様との付き合い方

27 といっても、牛タン屋さんの経営が優れているという話ではありません。それぞれ違った牛タン屋さんで、たまたま目にした「お客様との付き合い方」に、心に引っかかるものがあったので、皆さんにお話ししようと思ったのです。

 最初にお話しするのは、先日入った「牛タン屋さんA」でのできごとです。この店舗はチェーン店で東京のあちこちに店舗がありますが、どのお店も清潔で感じがよく、店員教育もしっかりできています。特色としては、注文をすると「OOO定食、ひとついただきました!」とさわやかな店員の声がお店いっぱいに響き渡ることです。「注文をいただく」という言葉に経営者の考え方がよく出ていると思っています。

 ですから店長も、オープンキッチンで牛タンを焼きながら接客への目配りもできていて、お客様への応接の言葉にも大変好感が持てます。ですが・・・・残念なことがひとつあったのです。新人の若いアルバイト女性に指導するのはいいのですが、近くのお客様にも聞こえる声で、やや皮肉交じりの小言を口にしたのです。それもしつこく・・・・。バツの悪そうなアルバイト店員と、嘲笑気味の店長の表情が何とも興ざめで、せっかくのお店の味も雰囲気も壊れてしまいました。見てはいけない楽屋裏、従業員同士の会話もお客様には評価の対象であることを、店長は軽んじてしまったのです。

 もうひとつの「牛タン屋さんB」は仙台の国分町、といえば有名な店舗が軒を並べる「牛タン」の本場。その超有名店も大勢のお客様で混んでいました。すると、私たちの前に以前から座っていた3,4人のグループがお酒の追加を注文した時、主人らしき年配の女性が大きな声で言ったのです。「お酒だけの注文はできないんですよ」と。一瞬、ざわめきが途絶えたように感じました。その心は、―――うちは牛タン屋。牛タンを食べに全国からお客が来るんだ。だからお酒飲むだけなら、ヨソにいっておくれ―――というところでしょうか。

 アメリカ牛の輸入が制限されてから久しいのですが、その影響を受けたのは「吉野家」だけでなく、牛タン屋さんも素材の高騰から打撃を受けています。牛タンの枚数が以前に比べてぐっと少なくなったり、価格が上がったり、中にはカルビ定食や豚定食など多品種でしのいでいる店舗やチェーン店もあります。
 さて、たまたま2つの牛タン屋さんでのできごと、皆様のお仕事には「心当たり」ありませんか。お客様は何を求めて来店されるのか、そこが肝心要ですよね。

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2009年1月 6日 (火)

トキの生息できる環境が意味するもの

26_3  新しい年の初めに赤と白の色で、さも縁起がよさそうなトキの話をしましょう。
 佐渡島で飼育され9月に放鳥された天然記念物のトキ10羽が、その後がどうなったのか、先日NHKテレビが追いました。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、残念ながら最近1羽が死んで発見され、あと1羽が行方不明だそうです。その他のトキはほとんどが飼育地だった佐渡に定着しているそうですが、1羽だけは200キロも離れた新潟県の山間地帯にまで飛来して生活しているそうです。

 トキの観察員の方は、夜明けとともに飛び回るトキといっしょに車で移動し、望遠鏡で後を追っかけています。その観察からわかったことは、1日5,6回の食事や、わずか3分間に5,6匹のドジョウを食べるとか、アカハライモリなど毒を持った生物は水で毒を洗い流しながら食べるとか、トキそれぞれに食べ物の好き嫌いがあるとか、結構人間のように賢くたくましく生きているのです。

 しかしながら、農薬の散布された水田ではトキは生きていけません。昔ながらのドジョウやカエルのいる田んぼや野原が、トキには絶対に必要な環境となります。また、冬になり水田に水がなくなるとエサとなる水辺の生物がいなくなってしまいます。それもトキにとっては死活問題。そこで村人も協力して、稲を刈り取った田んぼに長い波型の溝を何本も作り、水を絶やさないで小さな生物が生息しやすい環境づくりなど行っています。

 これから佐渡も新潟も豪雪の季節がやってきます。初めて野生の環境におかれたトキが、この寒く厳しい冬をどのようにがんばって生き抜いてくれるのか試される季節となりました。と同時に、人間がトキを育てて数を増やす試みは、人間が自然とどのように付き合っていったらよいのかを私たちが学ぶ機会なのかもしれません。言い換えれば、我々人間と自然との付き合い方について、「トキによる授業」を受けているようにも思えるのですが。

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