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2008年11月17日 (月)

教養のある人とない人と何がどう違うのか

21_3  麻生総理が、漢字をたびたび誤読して話題になっています。「未曾有」を(みぞゆう)、「踏襲」を(ふしゅう)、「頻繁」を(はんざつ)と間違えて読んだとのこと。やはり、この程度の教養の人間を、我々がトップリーダーとして仰がなければならないのは口惜しい気がするものです。

 総理がマンガ好きというのも頷ける気がしますが、いまやTVも、あちらもこちらも愚にもつかないバラエティ番組のオンパレード。いまやTVは、作るほうも見るほうも程度の低い若者のオモチャになってしまった感があります。多くの人の前では慎むべき「オマエ」や「てめえ」といった言葉が当たり前に飛び交い、アタマをむやみに叩いたり、水をかぶせたり、パンツを脱がせたり、こういう景色を皆でバカ笑いしている視聴者の心根は、もはや学校などでのいじめと変らなく、私には不快な感情しか残りません。また、いまは「おバカタレント」がTVではもてはやされて、あたかもひとつのキャラクターのように扱われています。「無教養なバカ」を笑うのもよくよく考えると一種のいじめで、その笑われている本人が、評判になってお金になれば別にどうでもよいというのも、人間のありようとして悲しい光景です。

 日本の国は6・3・3制で、基本的には誰でも最低12年間は学校で勉強をしているはずです。にもかかわらず、このように「モノを知らない」ことがただ笑いの対象となるだけで、その裏に見え隠れする「うすっぺらな人間性」を本人が恥じることなしというのも何とも言いようがありません。「人格陶冶(じんかくとうや)」という言葉が死語に思えるほど、自ら教養を高め人格を磨くことが無価値になりつつある現在の日本は、やはり病んでいるのかなあと辛いものがあります。

 そんな風潮には暗い気持ちになりますが、一方、最近、こんな本も出ています。月刊「文芸春秋」11月号では、立花隆氏と佐藤優氏とが「21世紀図書館」として必読書200冊の著作紹介をしています。まさに古今東西の人間の英知を集大成したような書籍紹介ですが、むしろ彼ら2人の勉強のすごさを感じずにはいられません。また、ビジネス書では、神田昌典氏と勝間和代氏の「10年後にあなたの本棚に残るビジネス書100」(ダイヤモンド社)もまた、経営に携わるものにとっては大きな指針となります。はからずも、4名の方が紹介された本の中から数10冊を読むだけで、おそらく大きな啓示を受けることまちがいなしと自己体験からも確信するものです。読むことが大切なのではありません。教養とは、人生に役立つ実学であるというのが私の考え方です。

 さて最後に、知的ユーモア遊びの古典的な例をあげて見ましょう。平安の昔、清少納言が著した「枕草子」に有名な話があります。
雪のたくさん降り積もった朝、清少納言のご主人である中宮定子が女官たちに向かって、「香爐峯の雪、いかならむ」(香爐峯の雪はどのようですか)とお尋ねになりました。すると皆ポカンとしている中で、清少納言だけが黙って格子戸のそばに歩み寄り、格子を開け御簾(みす)を高く巻き上げて外の雪景色をご覧にいれたというエピソードです。

 これは、唐の詩人は白楽天の詩に「遺愛寺(いあいじ)の鐘は枕をそばだてて聞き、香爐峯の雪は簾を撥(かか)げてみる」という有名な一節がなぞかけユーモアになっていて、漢籍の素養のある定子に、同じく才気の清少納言が、見事に即興ユーモアで応えたというわけです。彼女が自分の書物の中でひけらかすところが自慢げでやや鼻持ちなりませんが、知的ユーモアの通じる人間関係があちこちにあるのも、私には健全で快適な社会に思えるのですがいかがでしょうか。

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