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2008年10月13日 (月)

ノーベル賞は、どのような人に贈られるか

16_3  今年ノーベル科学賞が、4人もの日本人に贈られました。
 たった一人の受賞でも国民にとっては大変な名誉なのに、一気に4人もの日本人が世界のノーベル賞を受賞するとは、「日本人って、すごいなあ!」と思われた方も多いのではないでしょうか。海外にいらっしゃる日本人は、さぞかし鼻が高いことと想像します。

 最年長で受賞した南部さんは、「自分が想像したことを実験でチェックし、矛盾の有無を確かめ、パズルを解いていくやりとりが面白い。想像力の限界を試されている感じ」と話されました。
 その教え子である益川さんは、「ノーベル賞なんて、別に嬉しくない」とアマノジャクなことを言っていたそうですが、記者の質問が師の南部さんに及ぶと「大学院に入って、南部先生の論文をしゃぶりつくした。それが後の私の研究の基礎になった」と言葉に詰まり、感極まってハンカチで口を押さえました。
 その益川さんと共同研究で受賞した小林さんは、若い研究者への言葉として「自分の考えを大切にして、それを推し進めていくこと。人それぞれの考え方のバリエーションが出て来る」と言い、自身については「自分のやりたいことだけをやってきた。わがままな研究生活だった」と振り返りました。
 一方、翌日の化学賞を受賞した下村さんは、後進には「研究はやり始めたらやり遂げることが大事。難しいからといって最初からあきらめてはいけない」と言い、いままで10万匹のくらげの採取を家族や研究員の協力のもとに行ってきたと話されました。
 どの方もテレビの前で恥ずかしそうに朴訥とお話しをされますが、こと研究の話になると、とたんに饒舌になるのは「科学者の一途さ」なのでしょう、私には何とも微笑ましく思えました。

 さて、下村さんの発見した「緑色蛍光たんぱく質の発見」は、私たちも眼にすることのできる世界ですが、南部さんの素粒子物理学の「自発的対称性の破れ」理論とか、物質の最小単位である素粒子のクオークが6種類あることを予言した「小林・益川理論」などは「見えない世界」なので、どうしても理論物理学の世界は難しいなあという印象を持たざるを得ません。

 しかし、今回、4名もの日本人が一挙に受賞したことによって、ノーベル科学賞について、素人の私にわかったことがひとつあります。
 実は、4名の方々は揃って「もう、30年も前の研究ですから」とか「いまさら」とか「まさか」とかといった言葉を口にされたのです。それらの言葉には「昨日今日の研究成果でなく、もうとっくのとうに発表済みで、いまさら騒がれても」という達観めいた心境が見えてきます。では、なぜ、昔の研究成果にたいして「いまさら」のノーベル賞なのか。
 日本の文化勲章が過去の功績を顕彰するのにくらべ、実はノーベル科学賞は、過去に眼が向いているのではないことがわかったのです。つまり、「彼らの研究による理論や発見を貴重な礎として、今日の科学は進歩できている」という今日的な貢献評価なのです。「この理論や発見がなければ、いまのこの分野の、この発展はない」という連続性の評価であることに、恥ずかしながら今回はじめて気づいたのです。

 湯川秀樹博士から脈々として続いてきた素粒子研究が、今回の3名の受賞に全てつながっていて、また、彼らの研究成果が「宇宙の誕生が解き明かされる」これからの理論物理学の発展のベースになることまちがいなしです。また、緑色蛍光たんぱく質の発見は、もうすでに医療の世界では応用段階に入っていて、おそらく私たちの医療を飛躍的に発展させてくれるであろうと大きく期待が膨らみます。
 今回のノーベル賞の受賞の知らせ風景を見て、日本人は優秀だなあという喜びは喜びとして、科学の系譜と発展に思いをめぐらし「人間って、ヤッパリすばらしい!」という感慨で胸がいっぱいになりました。

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