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2008年10月

2008年10月27日 (月)

シルク・ド・ソレイユと東京ディズニーリゾート

18  東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、オフィシャルホテルを包括する東京ディズニーリゾートに、この10月1日に新しく「シルク・ド・ソレイユ・シアター東京」がオープンしました。総工費40億円をかけて東京ディズニーリゾートの運営母体である㈱オリエンタルランドが、10年間のロングラン公演をめざして誘致した世界最大のサーカス集団「シルク・ド・ソレイユ」の専用劇場です。

 「シルク・ド・ソレイユ」とはフランス語で「太陽のサーカス」という意味、カナダのモントリオールに本部を置き、世界のアスリートから優秀な選手を集め、所有するサーカス専門スクールで3年間みっちり仕込む育成システムを持っています。もうすでに世界210都市で公演し、観客動員数が実に7000万人以上。といってもご存じない方は、「サルティンバンコ」や「アレグリア」そして来年日本公演になる「コルテオ」などの演目名はTV宣伝などで耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 いまやカジノで有名なラスベガスでは、専用の劇場を持つ「シルク・ド・ソレイユ」は、ショービジネスの集客装置といわれるほど世界から多くの人を集めています。では、なぜそれほどまでにすごいのか―――それは従来のサーカスとは大きく異なり、観客の主流が家族でなく演劇やオペラを鑑賞しに行く層、といったらイメージが浮かぶでしょうか。

 舞台での特色は、まずノンバーバル(せりふなし)で、ショーのスターもいません。ですから世界のどこでも公演できて、しかも代役に困ることがありません。またパフォーマンスのスケールがとてつもなく大きく、劇場は常設と設営ともにありますが、TV映像で見ても劇場内部の豪華さとスケールには圧倒されます。そして何よりも優れた経営の特色は、全て前売りのチケット制でキャッシュフローが超健全、しかも普通の会社のように取締役会がありません。最高意思決定は創業者と社長に委ねられ、外部取締役4名の参加会議がグローバルな意見を聞く機会としてあるのみです。その背景には、「我々は誰からもショーに対するコントロールを受けない」という意志があり、「シルク・ド・ソレイユ」芸術の基本コンセプトに対する最高経営者のゆるぎない自負を感じます。

 どのように組織が大きくなっても、「大切なもの」を守るために絶対に譲らない確固たるポリシーがキラキラと輝いている「シルク・ド・ソレイユ」。そのために意思決定は2名のトップで、そして新しいショーは別の2名のクリエイターが2,3年かけて創り続けているそうです。

 さて、このパフォーマンス集団を誘致した㈱オリエンタルランドですが、この企業の戦略もまた注目に値します。かってウォルト・ディズニーは「ディズニーランドは永遠に完成しない」と言った話は有名ですが、従来のディズニーリゾートの顧客である子供・家族・恋人から、さらに観劇・ショービジネスの大人の顧客層を取り込もうとする、㈱オリエンタルランドのいわば発展の歩を緩めないチャレンジ精神に深く惹かれます。おそらく評判になるのはこれから、ぜひ、ごいっしょに注目していこうではありませんか。

※前回登場の二上達也氏(元・日本将棋連盟会長)を八段と記しましたが、最終段位が九段でしたので、お詫びして訂正いたします。

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2008年10月20日 (月)

将棋と囲碁と経営と

17  先日、NHKテレビで、将棋の羽生義治名人の強さの秘密について特別番組がありました。
 その卓越した頭脳の中を、覗いてみたいですよね。さて、あなたは囲碁や将棋をやったことがありますか。
 私は、たぶん小学校低学年の時にはすでに将棋を覚えていたような気もするのですが、強くなったのは高学年になって父の手ほどきを受けてからです。父はいまのアマチュア二段くらいだったのではないでしょうか。中学1年くらいで同じくらいの力になり、2年生の時には父を超え、高校の頃には学校にも相手がいないので、新宿にあった二上達也将棋道場に通いアマチュアの四段くらいにはなっていたように思います。

 将棋の好きな方はご存知のように、当時、前人未到の記録を次々と打ち立てていた故大山康晴名人の絶頂期に、何度も挑戦したが名人になれなかった悲運?の棋士が二上達也八段です。その道場には弟弟子の勝浦修(現・九段)が手合係り(お客様同士の取り組みを決める仕事)をしていて、ほぼ同年齢の私と何度も眼が合ったのを覚えています。まあ、将棋に興味のない人には、まるでつまらない話です。

 さて、経営者やリーダ-をめざす人は、ぜひ、将棋や囲碁を覚えていただきたいのです。それも遊び程度でなく、真剣に強くなっていただきたいのです。ただし、まだ20代ならばの話しです。それ以上では、仕事が忙しく囲碁や将棋どころではありませんものね。

 では、囲碁や将棋が、どのような効用があるのかを、あらためて述べてみましょう。
 まず、将棋も囲碁も対局前から目的が明確なのです。将棋は、相手の王将を詰ます、いいかえれば敵の王将を逃げ場のない状況に追いやり捕獲するのが目的です。一方、囲碁は相手より、より多くの自陣のスペース(碁盤上の十字の目)を取ることが目的です。このことを経営に置き換えれば、「明確な目標を持って経営を行うべし」ということです。ですから「へぼ将棋、王より飛車を可愛がり」という川柳は、「稚拙な経営は目標がぶれる」という戒めと解釈できます。

 次に戦い方なのですが、囲碁では「損して得取れ」など学ぶべきところは多いのですが、きょうは将棋中心にお話しします。
 将棋では、序盤・中盤・終盤では、戦法が変ってきます。最初は、どのように戦うかを決めて、その作戦に則った陣形を整え(方針に合わせ組織を形づくる)ことが大切です。次に、敵の駒と戦闘が開始する中盤になると、駒損をしないで戦いを有利に進めること(収支バランス)が重要になります。この中盤では「ここぞ戦い時」と勝負の運気を見抜く眼も大切になってきます。そして、相手と一手争いになる終盤になると、駒の損得よりスピードを最優先して先に相手の王将を追い詰めていく(チャンスを逃さないスピード重視)ことになります。つまり、局面局面で臨機応変に作戦を変える(環境適応能力)ことが必要で、それでいてつねに目標への到達まっしぐらなのは、まさに「望ましい経営」そのものといえましょう。

 そして将棋でも囲碁でも、最も大切なのは「大局観」です。部分の損得にとらわれず、つねに全体を見渡し的確に状況を把握する能力です。この「大局観」に基づき、いま何をすべきかを考え着手する、まさに「着眼大局・着手小局」で、大きな目標に向かって今やるべきことを一歩一歩着実にやっていくわけです。これぞ、「あるべき経営の姿」そのものいえましょう。

 さて、この「大局観」ですが、実力のないうちは、まるで想像もできない世界です。盤を見ていても、まるで見えてこない世界でしょう。ビジネスで議論や話がまるでかみ合わないとき、この「大局観」の違いが原因であることも少なくありません。そう見てくると、経営者の条件として最も必要な資質は、何といっても、この囲碁や将棋と同じ「大局観」であるといえるのではないでしょうか。

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2008年10月13日 (月)

ノーベル賞は、どのような人に贈られるか

16_3  今年ノーベル科学賞が、4人もの日本人に贈られました。
 たった一人の受賞でも国民にとっては大変な名誉なのに、一気に4人もの日本人が世界のノーベル賞を受賞するとは、「日本人って、すごいなあ!」と思われた方も多いのではないでしょうか。海外にいらっしゃる日本人は、さぞかし鼻が高いことと想像します。

 最年長で受賞した南部さんは、「自分が想像したことを実験でチェックし、矛盾の有無を確かめ、パズルを解いていくやりとりが面白い。想像力の限界を試されている感じ」と話されました。
 その教え子である益川さんは、「ノーベル賞なんて、別に嬉しくない」とアマノジャクなことを言っていたそうですが、記者の質問が師の南部さんに及ぶと「大学院に入って、南部先生の論文をしゃぶりつくした。それが後の私の研究の基礎になった」と言葉に詰まり、感極まってハンカチで口を押さえました。
 その益川さんと共同研究で受賞した小林さんは、若い研究者への言葉として「自分の考えを大切にして、それを推し進めていくこと。人それぞれの考え方のバリエーションが出て来る」と言い、自身については「自分のやりたいことだけをやってきた。わがままな研究生活だった」と振り返りました。
 一方、翌日の化学賞を受賞した下村さんは、後進には「研究はやり始めたらやり遂げることが大事。難しいからといって最初からあきらめてはいけない」と言い、いままで10万匹のくらげの採取を家族や研究員の協力のもとに行ってきたと話されました。
 どの方もテレビの前で恥ずかしそうに朴訥とお話しをされますが、こと研究の話になると、とたんに饒舌になるのは「科学者の一途さ」なのでしょう、私には何とも微笑ましく思えました。

 さて、下村さんの発見した「緑色蛍光たんぱく質の発見」は、私たちも眼にすることのできる世界ですが、南部さんの素粒子物理学の「自発的対称性の破れ」理論とか、物質の最小単位である素粒子のクオークが6種類あることを予言した「小林・益川理論」などは「見えない世界」なので、どうしても理論物理学の世界は難しいなあという印象を持たざるを得ません。

 しかし、今回、4名もの日本人が一挙に受賞したことによって、ノーベル科学賞について、素人の私にわかったことがひとつあります。
 実は、4名の方々は揃って「もう、30年も前の研究ですから」とか「いまさら」とか「まさか」とかといった言葉を口にされたのです。それらの言葉には「昨日今日の研究成果でなく、もうとっくのとうに発表済みで、いまさら騒がれても」という達観めいた心境が見えてきます。では、なぜ、昔の研究成果にたいして「いまさら」のノーベル賞なのか。
 日本の文化勲章が過去の功績を顕彰するのにくらべ、実はノーベル科学賞は、過去に眼が向いているのではないことがわかったのです。つまり、「彼らの研究による理論や発見を貴重な礎として、今日の科学は進歩できている」という今日的な貢献評価なのです。「この理論や発見がなければ、いまのこの分野の、この発展はない」という連続性の評価であることに、恥ずかしながら今回はじめて気づいたのです。

 湯川秀樹博士から脈々として続いてきた素粒子研究が、今回の3名の受賞に全てつながっていて、また、彼らの研究成果が「宇宙の誕生が解き明かされる」これからの理論物理学の発展のベースになることまちがいなしです。また、緑色蛍光たんぱく質の発見は、もうすでに医療の世界では応用段階に入っていて、おそらく私たちの医療を飛躍的に発展させてくれるであろうと大きく期待が膨らみます。
 今回のノーベル賞の受賞の知らせ風景を見て、日本人は優秀だなあという喜びは喜びとして、科学の系譜と発展に思いをめぐらし「人間って、ヤッパリすばらしい!」という感慨で胸がいっぱいになりました。

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2008年10月 6日 (月)

だまされない眼、だまされない選挙

15  なぞなぞです。
「晴れた日には貸して、雨の日には取り上げるものなーに?」
正解は、「銀行の傘」。
 まあ、傘とは本来、雨の日に使い、晴れの日にはいらないものですが、銀行は、企業が順調にいっているときには「お金を借りてくれ借りてくれ」で、逆に企業の資金繰りが苦しくなると「貸し渋り」や「貸しはがし」をするので、その現金さを揶揄した言葉です。

 いまアメリカ発で、あわや金融恐慌かという懸念が世界の経済を震撼させています。もとはといえば、もう誰もが耳にタコができたくらい聞かされた「サブプライムローン」が原因です。いわゆる低所得層による信頼の低い住宅ローンが、さまざまな証券に紛れ込んで金融市場に流れ、アメリカの住宅バブルの崩壊とともに大量に不良債権化してしまったということです。
 かつて、1930年代の世界的な金融恐慌は、時のアメリカ大統領フーバーが「政治と経済は別だ」と能天気なことを言って緊急の対応策を打たなかったことが大きな原因だったといわれています。そして、いまブッシュは、ここまでにアメリカ経済と金融を危機に陥れたことから「第2のフーバー」とまでいわれている始末です。
 さて、ひるがえって日本ですが、いまや解散だ、政局だ、と国家の危機より自分たちの政権獲得にしか頭が働いていない政党政治の実情を見ていると、なんともやるせない気持ちになってきます。次期政権をと意気込む民主党は、「おいおい、この赤字の国家にどこにそんな潤沢なお金があるの?」とつい聞きたくなる各種手当ての乱発で、政権さえ取れれば後は野となれ山となれといわんばかり。一方の政権与党である自民党は、そう簡単に空手形を出すわけにもいかず、後期高齢者医療制度の改善や景気対策がせいぜい。
 いま、日本の政治に大きく欠けているのは、まず「この国家を、いつまでにどのようなかたちにするのか」という長期の国家ヴィジョンです。このヴィジョンが前提にあると、「だから、いつまでに国民にはこのような社会と生活を約束する」と段階的目標をいえるし、国民の義務も数値的にも見えてくるのです。その上で、その第一弾として権利と義務の具体的な政策を提示し、子育て支援は、医療制度は、と戦略から政策までの関係を明確にすれば、少なくとも賢明な国民の支持と理解はもっと得られるはずです。
 「我慢しろ」だけでは誰も夢が持てなくなりますが、かといってバーゲンの目玉商品や駆け引きだけで選挙を勝とうとするのも、姑息で国民不在です。借金だらけのお父さんが子供に向かって「お前、何がほしいんだ?自転車か、サッカーボールか?何でも買ってやるぞ」と言っているような政治は国民をバカにしています。
 近頃の政治家の言葉はバカ丁寧ですが、本心、高いところから国民を見下していて人心は操作できるとタカをくくっているようにも見えます。テレビも本質からずれた報道で、ただおもしろおかしく政治ショー化した一億総評論家の声を垂れ流すだけで、国民を無責任に煽っているだけです。肝心なことは、国民がもっともっと賢くなることでしょう。
 いままで、どのように候補者を選んでいましたか。こんな国にしたのは誰あろう、我々国民なのです。つまり、我々の選ぶ人、方法、基準が間違っていたのかもしれません。選挙ポスターや演説の「一時芝居」にだまされず、候補者の真の情報を見極めることも大切でしょう。我々が、こんな日本にしてしまった反省の上に立って、情やムードに流されず真贋を見分ける眼をもって来るべき選挙に臨みたいものです。

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