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2008年9月 1日 (月)

オリンピックの精神「平和」を考える

 北京オリンピックが終わりました。
 たくさんのドラマがあり、感動があり、そしてさまざまな問題も残して終わりました。
 戦い済んだアスリートたちの心に残るコメントもいっぱいありました。そのなかで、日本に帰ってきてからレスリングの伊調千春が、金メダルの吉田沙織と妹の伊調馨と並んで母校の壇上から言ったコメント、「こんなにきれいな銀メダルを取ることができました。金メダルよりもすばらしい銀があることを知りました」を聞いたとき、私の心の中を気持ちの良い風がサアッと吹き抜けました。彼女の表情には、さわやかな達成感と静かな歓喜が浮かんでいました。スポーツは、すばらしい!そして、人間って、やっぱりすばらしい!

 さて、せっかくのオリンピックなのですから、気持ちのいい話だけをしたいのですが、どうしても、このオリンピックの陰で泣いている北京の人や苦しんでいる人の影がちらついて消えません。先日もTV報道で、言論の自由を証明するかのような「デモ行進を許可した道路」を写していました。しかしながら、肝心のOOへの抗議デモが実際に行われるかというと、届出はすべて却下、時には関係者が拘束される現実を暴露していました。
 また、宗教の自由を外国メディアに証明するために、キリスト教の教会を撮影許可して、信者や神父に、あたかも国家がキリスト教を守っているかのような発言をさせるかと思うと、地下にもぐったキリスト教徒たちを連行・迫害する隠しカメラの映像も放映していました。

 ただ、ここで中国を非難するのは簡単です。しかし、間違えてはいけないことが、ひとつあります。それは、現在の中国が共産主義体制であり、全体主義の国であるということです。つまり、「自由」とか「平等」とか言うのは西洋の文化と価値観だということです。ちなみに、この「自由」「平等」を大衆が手に入れるまでには、どれほど多くの血が流れてきたかは、近代ヨーロッパの歴史が証明するところです。
 一方、中国が51の民族を抱えた広大な領土を統治するには、絶大なリーダーシップと多少の犠牲は不可欠という考え方が根底にあるということでしょう。自国民を戦車で轢き殺した天安門事件は、その象徴的な歴史的出来事です。

 中国は古代から神から指名を受けたといわれる天子様が政治を行い、傑出した統治者が現れて乱れた国々をまとめてきたという歴史的事実があります。そしてシルクロードを見るまでもなく、世界の中心はこの漢民族を中心にした国にあるという思想が、「中華人民共和国」の「中華」という言葉に表れています。これが中国為政者の思想です。

 一方、世界で最も信者の多いイスラム教は、唯一神「アッラー」の教え「コーラン」を信じる11億人の生活を支える宗教(御幣を覚悟でいえば思想)になっています。このイスラム教は、偶像崇拝を徹底的に嫌うので、キリスト教や仏教とは相容れないことはご存知のとおりです。また神への奉仕を大切にしているので、富めるものは学校そのものを寄付するとか、貧しいものへの救済など社会の互助システムには見るべきものが多くあります。

 日本は、明治維新によって西洋文明をドンドン取り入れ、その後、第2次世界大戦で負けて民主主義を学んで今日あります。また古代日本は、ありとあらゆるところに神を信じる多神教なので、海外からのいかなる宗教にも思想にも寛大です。
 このような歴史的風土の日本からだけ世界を見ていると、見間違えることも多くあるのです。いい悪いを短絡的に結論付ける前に、まずは「あるがままを認める」ことから、すべてのスタートを切ることが必要でしょう。その後に、世界の人々が「異なった価値観を受容する」ことを学べば、いまよりは間違いなく世界は平和になると思うのですが・・・。

※先週のブログ「ターシャ・テューダーの世界」で、展覧会のホテルはグランドプリンスホテル新高輪で、24日まででした。それが私のブログでは、ホテル名をまちがえて、また25日に「ぜひ」と言われてもやっていない!などと、読者からお叱りを受けました。無責任お詫びします。

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