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2008年8月11日 (月)

人間が所有するようになって、平和を失った

09  日曜日の昼下がり、新大阪から歩いて数分のホテルで会合を持ちました。東京からの新幹線は帰省客でいっぱいかと思いきや意外に空いていましたが、新大阪の駅の冷房外の場所は死にそうなくらい暑く、またホテルへの歩道橋も一切の日陰もない炎天下で頭がクラクラしました。かといって冷房もあまり好きではないので、早めに着いたこともあり、ホテルの裏側の大きな日陰の路を散歩することにしました。

 高いビル群の日陰の路なので、さぞ涼しい風が吹いているだろうと思ったのですが、どこも熱風ばかりで、木はそよいでいるのに暑さはそう変わりません。しばらくいくと、ビルの谷間に端正でこじんまりとした木製の社があり、右横に庫裏があり、左手に「OO不動尊」という石碑が建っています。裏を見ると昭和62年建立とあり、真四角に切り取ったようなスペースからも、左右のビルの建設にあわせて建ったであろう事が推測されます。

 わずかなスペースではありますが玉砂利もきれい、ゴミひとつ落ちていないし、手水鉢には新しい水があり、日々手入れがされていることが伺われます。ここなら多少涼しい風が来るかなと社手前の縁石に腰を下ろして、ふと左に目をやると水道があって、その下にもきれいな玉砂利が敷いてあります。しかし、その水道の蛇口にカランがついていません。というより、ここの主が意図的にはずしたということでしょう。おそらくホームレスが使ったり、通りがかりの人が出しっぱなしにするのを嫌ってのこと。そして、掃除に来たときだけカランを付けて水道を使うのでしょう。さて、右を見ると、お賽銭と書いた石柱が、貯金箱のような口を開けて立っています。しかも横には大きな南京錠まで付いています。お賽銭はチャッカリ取るのに、カランはしっかりとはずす、OO地蔵尊の主の心根が知れて一気に興ざめしてしまいました。

 同じような話しが室町中期の吉田兼好になる「徒然草」の中にも出てくるのを思い出しました。記憶も朧ですが、こんな話だったのではないでしょうか。
 紅葉を踏みしめながら山深くいくと、大変に趣のある庵があって、さぞ、ここの住人は「世俗を離れてひっそりと暮らしているのであろう」と思ったら、すぐそばの見事な柿の木のまわりに、人が入って柿を獲らないようにと垣根がしてあったという話です。

 話は変わって、エリクソンという学者が著した「幼児期と社会」(1963年日本初版)という書の中に、アメリカインデアンのスー族についての記述があります。彼らはかって、大変に温厚な種族で、炊事道具でも何でも物はすべて種族皆のものとして長い間暮らしてきたそうです。それが、いわゆる西部劇の舞台となったような時代、合衆国政府の力で原住民は征服されて居留地に入れられ、そこで貨幣経済で生活をさせられるようになってしまいました。その結果、物が個人の所有物になり、とうとう貧富の差が生まれ、長い長い歴史の中でスー族が平和に暮らしてきたすばらしい生活スタイルは、完全に崩壊してしまったという話しです。

 文明の始まりは、「人間が塀をつくるようになってからだ」という説があります。人間同士が所有権を争うようになって、人類は平和を失ってしまったのでは、と私はしばしば思うのです。地球が誰のものでもないならば、土地だって本来誰のものでもないはずです。それを戦争して奪い合ったり、境界線がどうのこうのと争ったり、一生の財産をつぎ込んで土地を買ったり、果ては未来永劫に続くと信じて墓を建てたり―――。米国のサブプライムローン問題だって、所詮は、悪徳業者が払える能力のない人々をそそのかし、「マイホーム」という所有願望の弱みに付け込んだに過ぎません。
 もし、人類が「所有の願望」を、全部とは言わないまでも、一部でも捨てることができたら、人類はもっともっと幸せになるのになあと思うのですが、いかがでしょうか。

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