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2008年8月

2008年8月25日 (月)

ターシャ・テューダーの世界

10_8 新高輪プリンスホテルで開かれている、ターシャ・テューダーの展覧会を見てきました。
 彼女は、今年6月に92歳でなくなりましたが、「アメリカ人の心を表現する」といわれた絵本作家です。と同時に、バーモント州にある30万坪の広大な土地で開拓時代の暮らしをした、まさに「若草物語」の世界を生きたような女性でもあります。

 子供の頃から社交的ではなく、13歳の誕生日には念願の牛をプレゼントしてもらうほど農業に関心が高かったそうです。そんなわけで、15歳で学校を辞めて農業の道に進み、23歳で結婚し、絵本作家として4人の子供を育てました。生涯で80冊以上の本を出版し、権威ある絵本の賞も多く受けています。46歳で離婚し57歳の時から、広大な土地に家具職人の息子がたった一人で建てた18世紀工法による一軒家と庭で、ほとんど自給自足に近い生活をするようになります。すでに日本では展覧会やNHK総合TVなどで、ターシャさんの紹介はされていてファンも多いと聞きます。

 展覧会では、彼女の人と動物への慈愛が、豊かな想像力で見事な童話の世界として描かれています。画面にくっつかんばかりに顔を近づけて、細やかに描かれているコミカルなコーギー犬やねずみたちを見ていると、いつの間にか童話の世界に引きこまれてしまいます。また、彼女がつくったクラシックでステキな服の数々、マリオネットの人形たち、自ら紡いで染めた毛糸。どれもこれもすばらしいものばかりです。さらに心に残ったのは、彼女が日々の生活で使ってきたヤカンであり鍋でありプディング容器であり、たくさんのリンゴを絞る手回しの道具であり、「最も美味しいチョコレートケーキ」を作るレシピであり、びっしりとメモ書きされた窓際の壁板であり、ヤギの乳のチーズづくりの陶器であり、もうターシャと一緒に生活しているような錯覚に陥ってしまいました。

 何よりも不思議だったのは、それらステキなドレスも、人形も、ヤカンも、水汲み道具もみんな「私は幸せだったよ」「私は幸せだったわ」と楽しげに語りかけているように思えたことです。今回の展覧会について、ターシャさんがお礼の言葉を述べています。ということは、生前、この展覧会の企画が進んでいたということでしょう。道具が語りかけてくる、それは、まだターシャさんのぬくもりが、あたり一面に漂っていたからかもしれません。

 私が初めてターシャさんを知ったのは、つい最近、ある人に連れられて書店で写真集を見せてもらった時。その写真集の美しさに言葉を失いました。被写体であるターシャさんの開拓時代のクラシックなスタイル、はだしで花桶を運ぶ姿、やわらかい灯に照らされ座ってお茶を飲む至福の姿、何もかもが夢の世界で、その写真のすばらしいこと!最近、これほど見事な写真を見たことがありません。それは被写体のすばらしさと同時に、その被写体を宝物のように大事に大事に撮っている写真家の技量と魂のすばらしさでもあります。しかも、そのすばらしさは、写真のみでなく装丁のすばらしさでもあるのです。タイトル、コピー、すべてに本への愛情とこだわりに満ちていて、本を手に取りページをめくり、また表紙を眺めて・・・しばし感動に浸ってしまいました。トーバ・マーティン著 /リチャード・W・ブラウン写真 /食野雅子訳 /出原速夫装丁 /出版メディアファクトリー/ 本とは、こういうふうにつくるもの、というお手本を見せてもらった気がしました。

 さて、ターシャさんは、なぜ、あのような生活を求めたのでしょう。そして、なぜ、あれほど幸せそうな表情や姿をしていたのでしょうか。私は、できることならターシャさんから直接、もっともっとたくさんのお話を聞かせていただきたいなあと思うものです。そんな、すばらしい展覧会です。ぜひ、行ってみてください。

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2008年8月18日 (月)

国家の目論見と、人間のすばらしさと

 北京オリンピックが開幕し、競技真っ盛りです。
 誰もが開会式を見て、「すごいなあ!」「ことばがない・・・」といった感想をもたれたのではないでしょうか。壮大なスケールと圧倒される演出の見事さに、世界の多くの人々が感動を覚えたに違いありません。

 さて、この開会式を最も待ち望んでいたのは、出場選手や大会関係者はもちろんですが、同じくらい、いやそれ以上待ち望んでいた人々がいます。それは、中国の政治指導者たちです。
 さかのぼればアヘン戦争で英国に、満州事変で日本に占領された清国・満州国の時代から、1949年に毛沢東率いる中華人民共和国として独立し、そして今日に至るまで、屈辱と苦難の年月を経て、ようやくたどり着いた「先進国仲間入り宣言」の日がようやく来たのです。

 この北京オリンピックのために、北京の低所得者のエリアでは、外国人の立ち入りが禁止されたと聞きます。また、近隣の農家は、消費量の増えた水を北京に送るために、水田をとうもろこし畑に強制的に替えられたそうです。何もかもが乱暴というか人権無視というか、民主国家ではまず考えられないことを犠牲にオリンピックが開かれました。
 あわせて中国は多民族国家、ソビエト連邦が崩壊し紛争の末に次々と民族国家が独立していく姿を目の当たりに見てきました。中国が過度の弾圧と警戒をもって満漢族以外に立ち向かうのも理解できなくもありません。チベットの問題も新彊ウィグル地区の問題も、完全制圧することが今後に禍根を残さない適切な対処の仕方と信じて疑っていないのでしょう。

 このように、いかにいびつであろうとも、いかに強引であろうとも、あらゆる国内問題を犠牲にして、80カ国の首脳を招待し、「世界に冠たる偉大な中華人民共和国ここにあり」を宣言することが、北京オリンピックの開会式に課せられた命題だったのです。つまり、感動の裏に宿願の政治ショーがあり、それをもってして世界の勢力図に変革をもたらすことが中国の国家戦略です。

 しかしながら、そんな目論見とは別に、私たちは、いま日々繰り広げられる競技の中に、さまざまな人間ドラマを見ています。国家戦略の狙いとは別に、北京オリンピックの映像を目にすると、たった一人のドラマに、またはチームのドラマに、私たちは手放しで感動してしまいます。
 田村亮子夫妻のそれぞれのコメントに頭が下がり、北島康介の世界新記録での2連覇には、もう言葉がありません。思わず目頭が熱くなりました。また身を捨てて中国の世界NO.1ペアを破ったバトミントンのスエマエペアがコートに泣き崩れる姿は、もう気持ちがひしひしと伝わってきて一緒に泣けてきそうになりました。
 どのドラマも「人間て、なんてすばらしいのだろう!」と拍手を送らずにはいられません。北京オリンピックは、中国政治家の思惑とはまったく別に、「人間賛歌」という大きな感動をいま私たちに与えてくれています。

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2008年8月11日 (月)

人間が所有するようになって、平和を失った

09  日曜日の昼下がり、新大阪から歩いて数分のホテルで会合を持ちました。東京からの新幹線は帰省客でいっぱいかと思いきや意外に空いていましたが、新大阪の駅の冷房外の場所は死にそうなくらい暑く、またホテルへの歩道橋も一切の日陰もない炎天下で頭がクラクラしました。かといって冷房もあまり好きではないので、早めに着いたこともあり、ホテルの裏側の大きな日陰の路を散歩することにしました。

 高いビル群の日陰の路なので、さぞ涼しい風が吹いているだろうと思ったのですが、どこも熱風ばかりで、木はそよいでいるのに暑さはそう変わりません。しばらくいくと、ビルの谷間に端正でこじんまりとした木製の社があり、右横に庫裏があり、左手に「OO不動尊」という石碑が建っています。裏を見ると昭和62年建立とあり、真四角に切り取ったようなスペースからも、左右のビルの建設にあわせて建ったであろう事が推測されます。

 わずかなスペースではありますが玉砂利もきれい、ゴミひとつ落ちていないし、手水鉢には新しい水があり、日々手入れがされていることが伺われます。ここなら多少涼しい風が来るかなと社手前の縁石に腰を下ろして、ふと左に目をやると水道があって、その下にもきれいな玉砂利が敷いてあります。しかし、その水道の蛇口にカランがついていません。というより、ここの主が意図的にはずしたということでしょう。おそらくホームレスが使ったり、通りがかりの人が出しっぱなしにするのを嫌ってのこと。そして、掃除に来たときだけカランを付けて水道を使うのでしょう。さて、右を見ると、お賽銭と書いた石柱が、貯金箱のような口を開けて立っています。しかも横には大きな南京錠まで付いています。お賽銭はチャッカリ取るのに、カランはしっかりとはずす、OO地蔵尊の主の心根が知れて一気に興ざめしてしまいました。

 同じような話しが室町中期の吉田兼好になる「徒然草」の中にも出てくるのを思い出しました。記憶も朧ですが、こんな話だったのではないでしょうか。
 紅葉を踏みしめながら山深くいくと、大変に趣のある庵があって、さぞ、ここの住人は「世俗を離れてひっそりと暮らしているのであろう」と思ったら、すぐそばの見事な柿の木のまわりに、人が入って柿を獲らないようにと垣根がしてあったという話です。

 話は変わって、エリクソンという学者が著した「幼児期と社会」(1963年日本初版)という書の中に、アメリカインデアンのスー族についての記述があります。彼らはかって、大変に温厚な種族で、炊事道具でも何でも物はすべて種族皆のものとして長い間暮らしてきたそうです。それが、いわゆる西部劇の舞台となったような時代、合衆国政府の力で原住民は征服されて居留地に入れられ、そこで貨幣経済で生活をさせられるようになってしまいました。その結果、物が個人の所有物になり、とうとう貧富の差が生まれ、長い長い歴史の中でスー族が平和に暮らしてきたすばらしい生活スタイルは、完全に崩壊してしまったという話しです。

 文明の始まりは、「人間が塀をつくるようになってからだ」という説があります。人間同士が所有権を争うようになって、人類は平和を失ってしまったのでは、と私はしばしば思うのです。地球が誰のものでもないならば、土地だって本来誰のものでもないはずです。それを戦争して奪い合ったり、境界線がどうのこうのと争ったり、一生の財産をつぎ込んで土地を買ったり、果ては未来永劫に続くと信じて墓を建てたり―――。米国のサブプライムローン問題だって、所詮は、悪徳業者が払える能力のない人々をそそのかし、「マイホーム」という所有願望の弱みに付け込んだに過ぎません。
 もし、人類が「所有の願望」を、全部とは言わないまでも、一部でも捨てることができたら、人類はもっともっと幸せになるのになあと思うのですが、いかがでしょうか。

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2008年8月 4日 (月)

エリザベスクィーンと語り合いたい

08 先日、エリザベスクィーンが初勝利をあげました。
 名前からも察しがつくように競馬馬です。かといって、私は競馬ファンではありません。たまたま車の中のラジオで、その馬の勝ちを知ったのです。でも、競馬ファンの方なら、もう、この馬の話で持ちきりなのではないでしょうか。なぜなら、何といままで国内の最多連敗記録となる165連敗、それが166戦目にして初勝利したからです。

 私が初めて、この馬の存在を知ったのは、たまたまTV番組「ブロードキャスター」か何かだったと記憶します。ゴール直前まで2位につけていたのですが、やはり最後には抜かれてしまいました。でも、一生懸命走る姿、後わずかで勝てそうな姿に、「ええ?これで一回も勝てたことないの?」というのが正直な私の感想でした。いままで、きっと惜しいレースが何回もあったのではないか、と思っていた矢先の勝利です。

 わたしは、このニュースを聞いただけで、なんとも嬉しくなり胸が熱くなりました。たった1回テレビで、それもわずかの時間見ただけなのに・・・・・不思議なものです、おそらくテレビを見たあとから、「残念だなあ・・・」という気持ちと、それに続く「がんばれ」という気持ちが、私の心のどこかに残っていたのかもしれません。

 エリザベスクィーンは7歳になる雌馬だそうです。2003年に北海道でデビューし、その後、佐賀、愛知、兵庫などを転戦してきたとのこと。165連敗の中には、2着が8回、3着が17回もあるそうです。おそらく自分でも、残念なレースや悔やまれるレースがいくつかあったに違いありません。馬も勝ったときはわかるというし、であるならば、負けたときもわかるということでしょう。

 もし、エリザベスクィーンが人間のアスリートだったら、はたして何連敗の段階で、引退を決意しているのでしょうか。宮本武蔵は生涯、60数回の試合をして負けたことがなかったそうですが、負ければ死という真剣勝負の時代、勝っても辞めたくなることがあったに違いありません。なのにエリザベスクィーンは、毎回毎回諦めることなく疾走し、後わずかで敗北の涙に終わる。走っても走っても勝てない、転職したくても自分で自分の人生が決められない。人間ならどこまで精神が持つのか、どんな思いで毎夜、ひとり厩舎で孤独な夜を過ごしてきたのでしょうか。

 でも、彼女はとうとう勝ったのです。165連敗の意味は大変に大きいが、その後の1勝の意味は、とてつもなく大きいでしょう。いや、「165連敗後1勝」の意味が、鳥肌が立つほどすごいと私は思っています。
 彼女が引退したら、その後の運命はどのようになるのでしょうか。おそらくサラブレッドのDNAには程遠いことから、名馬を生む母になることもないでしょう。競走馬にとっては、早く走れないDNAは無価値なのですから。

 でも、私は絶対に彼女に子供を生んでほしいのです。これほど自分の人生と闘いながらがんばっている「おかあさん」を、母にもてる子は絶対に幸せな子です。そして、母と子でいっぱいお話しをしてほしいのです。「お母さんが、お前を生む前はね・・・・」と、おっぱいを飲ませながら、いっぱいお話しをしてほしいのです。
 私が、いま一番、会ってお話を聞きたい人は、エリザベスクィーンです。彼女は今日もひとり厩舎で、孤独な夜を過ごすのでしょうか。

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