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2008年7月

2008年7月28日 (月)

人間の喜びの原点、つくる・そだてる

07_2  私の2階の仕事場から窓の外を見ると、低地の林だったところが、いまは広い畑になっていて、見るたびにさまざまな作物が作られています。実は、この畑を耕し野菜を作っているのはお百姓さんではなくて男性3人の高齢者の方々です。

 いまは、さすがに昼間は猛暑で姿を見かけませんが、いつもはお昼時になると、やや粗末な手作り小屋の前で、台をしつらえ車座になって、お昼を食べています。といっても、遠めに見ているので、それがどのような内容の食事なのかは判然としません。でも、台のすぐそばに煙が見えるので、お湯を沸かしているのか、それとも何かを焼いているのでしょうか。ただ、時々聞こえる3人の笑い声が、なんとも楽しそうで、見ている私までが思わず笑顔になってしまいます。

 いつも都会のど真ん中で、(自分自身も同じなのですが)背広やワイシャツ、パンツスーツ姿の人ばかりを見慣れていると、なんとも新鮮でうらやましくさえ映ります。そして、あの楽しさは、どこから来るのだろうと、時々思うのです。
 そこで沈思黙考、思うに、あの楽しさは、私たちの祖先がずーっと味わってきた楽しさなのではないか――― つまり、長い長い人類の歴史の中で、縄文の時代から延々と続いてきた「ともに汗を流す生産の喜び」ではないかと思うのです。

 人類は狩をする時も、米を作るときも、ずーっと仲間と一緒に汗を流し、ともに生産の喜びを味わってきました。ですから、まさに「地産地消」ならぬ「自産自消」だったわけです。それが、人間の多くが、他人の作った生産物をただ消費するだけの、分業社会になってしまいました。

 いまや日本の食料自給率38パーセント、この低さに驚かれる方は少なくないはずです。
 しかもせっかく自然の恵みいっぱいの海を、有明海のように、農地を作る大義名分のもとに鉄のシャッターを下ろして海を殺してしまう。かと思うと、米ができすぎて米価が下落するからと、「減反」で田んぼを潰せと指示を出す。縄文の人々が聞いたら、「現代人は絶対に間違っている!」と、全員が全員、異を唱えるに違いありません。

 穀物がバイオ燃料として買い占められ、食卓のものがドンドンと高くなっていきます。世界の富裕なお金で石油が買い占められて、猟師さんが海に出られません。私たちの生活が金融に支配され、生活を壊されていきます。都会では人が人材でなく、派遣社会で「使い捨て」になっています。いまの世の中は明らかにおかしい、これが多くの人々の実感ではないでしょうか。

 いま私たちは、何が当たり前で、何が当たり前でないのか、そして人間の幸せとは何か、がわからなくなっているようにも思えます。世界が自浄能力を失いつつあります。
 こんな時代だからこそ、祖先から続いてきた人間の原点的な喜び、そう――「ともに汗をかいて、つくる・そだてる」ことを、世の中のすべての人に呼びかけたいと思うのです。いいかえれば、人やモノ、地球上のすべての資源を「ひたすら使う、消費する」のではなく、「汗を流してつくる・そだてる」に転換することが、人類を、地球を幸せのベクトルに向かわせることができると確信するのですが。

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2008年7月14日 (月)

議して決せず、会して議せず

06  ナポレオンが敗北してエルバ島に流された後のヨーロッパでは、彼に征服される前の秩序を取り戻したくてウィーンで会議が開かれました。会議は1814年の9月から開かれましたが、各国の利害が対立して数ヶ月経ってもなかなか進まず、議定書に至るまで約9ヶ月も要しました。これが有名な「ウィーン会議」です。
 この会議では、会議そっちのけで各国の王侯貴族が夜遊びに励みウィーンの町の風紀は乱れ、会議そのものもダラダラと進みませんでした。そこで、とうとうウィーンの気概ある元元帥ジョゼフ・ド・リーニュ侯が、「会議は踊る、されど進まず!」と痛烈に批判し、うんざりしていたウィーンの人々が拍手喝采したという逸話もあります。これを題材にシネ・オペレッタの最高傑作といわれる映画「会議は踊る」(1931年)も生まれました。
 さて、どこかの会議に似ていませんか。そうです、先日終わった洞爺湖サミット。
 世界の首脳のほとんど集まったにもかかわらず、「CO2の排出量」「アフリカの食料危機」「石油の高騰」など重要議題と解決策は急を要するものばかりなのに、何ひとつ決めることができませんでした。

 「CO2の排出量削減」では、何と42年先の2050年の数値目標すら決められませんでした。また「アフリカの飢餓対策」を検討するサミットなのに、キャビアやトリュフの晩餐会にも批判がでました。ただ一人、上機嫌だったのはブッシュ大統領で、次期政権から「余計なことは決めてこないでほしい」という願望を知ってか知らずか、なにも決めないで帰ることができたことが大きな成果だったようです。

 このように、せっかく会議を行っているのに何も決まらない、決められないことを「議して決せず」といいます。また、せっかく集まったのに対して真剣な議論や討議もしないことを「会して議せず」といいます。世界から人を集め、時間とお金をかけて何も決することができない会議なら、最初からやらないほうがましです。また、せっかく集まっても、よりよい解決策を求めて議論や討論もしないならば会議を持つ意味がありません。

 実は、サミットも6カ国協議も「議して決せず、会して議せず」で、まさに企業にとって他山の石です。では、このようなダメな会議を行わないために、企業でトップやリーダーはどうしたらよいのでしょうか。
 その1:主催者が会議のアウトプットを明確にイメージングすること。
 その2:会議の参加者にできるだけ資料を先渡しし、各自予習をさせておくこと。
 その3:参加者には必ず自分のスタンスを明確にさせ意見参画させること。
 トップリーダーが「アウトプットを明確にイメージングにする」と、会議は間違いなく目的的になります。「先に資料を渡し予習をさせておく」と、参加者の会議に臨む心構えがしっかりとできます。「自分のスタンスを明確にさせる」と、営業責任者も商品開発責任者も工場責任者も、評論的発言が一切なくなり建設的な会議になります。

 このように、たった3つのことを励行するだけで、会議の成果がはっきりと違ってくるのです。たったこれだけで、洞爺湖サミットよりは間違いなく実りある会議になると、きっと想像していただけることでしょう。

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2008年7月 7日 (月)

経営者が陥りやすい「短絡的な手段決定」とは

175  まだ私が幼稚園くらいの頃、年の暮れ「酉の市」の時だったと思うのですが、父に連れられて行った新宿・花園神社の「見世物小屋」で、「ろくろっくび」を見た覚えがあります。
  「見てください、見てください、親の因果が子にたたり・・・・はなちゃんだよー」という言葉に合わせ三味線、太鼓の音が鳴り響くと、何と、あれよあれよという間に、日本髪を結った美しい女性の首が、にょろにょろと伸びていくではありませんか!
 私は目が点になり、横にいた父の顔を見上げると、ニコニコ笑っているではありませんか。それを見て、なぜ?という気持ちと、ちょっと安心した気持ちになったのを覚えています。なぜ、こんな見世物が商売として成り立ったかといえば、当然のことながら、観客席からは楽屋裏の仕掛けが見えないことに加え、幼児の私には裏の姿が想像すらできなかったからに他なりません。

 さて話は変わって、未成年者にタバコを吸わせない目的で導入された「タスポ」は、その利用率が何と25%にしか進んでいないそうです。その間、どのような結果を生んだかといえば、街のタバコ屋さんがバタバタと廃業、コンビニのまとめ買いが増えただけとなっています。

 また、二酸化炭素の排出量を減らすために、「夜間のコンビニ営業を規制する法」をつくろうという動きが地方行政であります。その理由の中に「生活習慣を変える機会にもなる」という大きなお世話の話も聞こえてきます。街から交番が消えていく今日、いまやコンビニは「女性の帰り道の安全を守る大切な灯りと逃げ込み場所」という女性たち自身の声もあり、コンビニの価値とは何かという視点からも論じる必要があります。
 そもそも、本来目的はCO2の削減のはず、ところがコンビニの灯りを消したところでそのCO2の削減効果は0.なんとか%という数字にしかなりません。このように数字的なカウントもしないで、たまたま為政者が自分の思いつき?で無価値と思ったコンビニを槍玉に挙げるのはあまりにも発想が短絡的といわれてもしょうがないでしょう。

 もうひとつお話しすると、ある地方自治体ではトップの号令で、庁舎の排出ゴミを減らすモデルとして、庁舎内にある弁当販売店でのレジ袋を禁止し職員にエコバッグの持参を義務付けました。その結果、昼時のプライベートな時間まで「ああしろこうしろ」とお上から言われたくないからか、庁舎内での弁当業者は売り上げが激減し、コンビニでの弁当購入が増え、庁舎内で捨てるゴミの量は変わっていないそうです。

 さて、これら「タスポ」「夜間コンビ二規制」「庁舎のゴミ袋」の3つの事例に共通することは何か。それは、為政者が「ある目的」を達成するために決めた「ある手段」が、本来目的を達成することができないどころか、かえって弊害を生んでしまっていることです。
 では、なぜ、このように本来目的の達成はおろか、弊害を生む結果になってしまうのかというと、それはひとえに為政者が「ろくろっくび」を観客席からしか見ていないからなのです。
 いいかえれば、為政者の一元的なものの見方と判断が、大きく誤っているということに他なりません。さらにいえば、「ある目的を達成するための手段」は数限りなくあるはずなのに、その検討をすることを怠り、一足飛びに「短絡的な手段決定」に至ってしまうからです。実は、この「短絡的な手段決定」こそ、経営者が部下の信頼を失う最も陥りやすい「落とし穴」でもあるのです。経営者の失敗の多くは、この「短絡的な手段決定」に原因があるといっても過言ではありません。

 では、目的に対する手段決定をどうしたらよいのでしょうか。
その正解は、まず「手段検討」を信頼する部下のチームに任せ、案のメリットとデメリットも合わせ複数回答をさせることなのです。戦国時代、京都に近く領地があれば天下をとっていたであろう武田信玄は、臣下に策について話し合いをさせ、その結果、最終結論を下したのが、有名な「武田の軍議」です。
 このように、手段の検討を行い、つぎに関係者の現場の声を自ら多角的に聞き、その上で「最適と判断される手段を意思決定する」ことが正解です。
「ろくろっくび」には楽屋裏がある!経営者は自らが「短絡的な手段決定」をする前に、多角的な軍議を経て意思決定することが重要です。

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