2011年12月 6日 (火)

語るに落ちた原子力発電、だが彼らはゾンビとして生き永らえる

63_2  20代の後半、私が北鎌倉に住み始めた頃、横須賀線のホームの最後列にある金網に、奇妙な看板が立っているのを目にしました。「ここから降りてはいけません」。
そこで、「ははーん」と合点がいったのです。つまり、ここから降りる人が結構いる!

 たしかに、北鎌倉駅のホームは1直線で、地の果てまでも続きそうに長い。そして、何と!出口が最前列だけにしかないために、大船寄りに家のある人は、いったん円覚寺の門前近くまで歩いていって、そこから遠路?はるばる戻ってこなければならないのです。遅い時間に帰るような人には、冬の寒い日や雨の日などは、どう考えても辛く時間のムダと思うのが人情。まさに、この「出てはいけません」は、「語るに落ちる」言葉で、「ここから出られます」「ここから出ます」の裏返しなのです。

 同じように、「語るに落ちる」ショールームがあったのです。それは、銀座の松坂屋裏にあるTEPCO銀座館。いまは、(恐らく3・11以降でしょう)閉館になっていますが、東京電力の「プルサーマル計画」を紹介するショールームでした。「プルサーマル計画」とは、一言で言うならばプルトニウムとウランを活用した原子力発電で、これがどれほど私たちの将来にすばらしいことかを、特に子どもたちを対象にヴィジュアル化したショールームになっていたのです。

 ここを通りすがりに偶然に訪れ、初めて展示を見た時、「これはクサい!」と感じたのです。「原子力はすばらしい!」「プルサーマル計画はすばらしい!」と見せられれば見せられるほど、原子力発電への危険度を感じ危惧感を抱いたのは、おそらく私だけではないはず。ここまで「原子力は安全」だとか「原子力はすばらしい」と、「21世紀は原子力が当たり前」と子どものうちから洗脳しようとする意図が露骨であればあるほど、「これは絶対に安全でない」「恐ろしい裏がある」ことを、大いに語ることになっていたからです。

 つまり、この「プルサーマル計画」のキーワードであるプルトニウムとかウランとかいう物質は、もうおわかりのように北朝鮮の核開発でおなじみの単語で、つまり、日本が将来「原子力開発の先で何をしたいのか」、国策の暗黙の計画も間違いなく透けて見えたのです。だから、原子力開発は平和利用を旗印に今後もやめないし、裏の国策としてもやめられないのです。

 最近では、除染作業もままならない現状にありながら、いままた原子力発電の旗振り役だった経済産業省は、本来なら原子力発電推進者として被告席に座るべき御用識者を、またまた再生可能エネルギーの第3者委員会のメンバーとして選び、再生可能エネルギー潰しをしようとしています。第3者委員会という名の「八百長芝居」で、原子力発電以外の新エネルギーの算入を阻む「邪魔者潰し」を謀っているのが実情です。

 原子力発電と表裏の関係にある原子力開発は、つねに平和利用を表舞台に、そして裏の核開発を隠しながら進む、21世紀の地球上のモンスターなのです。日本の電力会社が事実隠しやヤラセを含め、何を言われても平然としているのは、彼らは自分たち自身が「時代のゾンビ」であることをひそかに知っているからでしょう。世間にいくら叩かれても踏まれても、巷が送電分離などと叫んでも、いまの政治家を政治資金で子飼いにし、官僚を天下らせて恩を売る電力会社は、絶対に死なない「核を握ったゾンビ」として、「本当は俺たちが日本を動かしているのだ」と、これからも日本の国を牛耳っていくに違いありません。この
ゾンビを、国民として今後どのように扱っていくのか、私たちの将来の選択が迫られているのです。

| | コメント (0)

2011年4月25日 (月)

ガキ大将の経験のない者は首相になるべからず

62_2  もう、何十年も経って時効でしょうからお話します。
 私が育ったのは、戦後間もない頃の東京千代田区麹町。家業は化粧品屋。私の遊びのテリトリーは、東は半蔵門、西は四谷3丁目、南は赤坂見附の弁慶橋、北は市谷あたりまで。そして、もっとも遊んだのが上智大学やイグナチオ教会の周辺。と言っても、当時の校内は、米軍が持ち込んだカマボコ型の住居がいくつかあり、まだまだ建築現場や空き地の多かった場所でした。

 そのような校内に、木々が生い茂り、ひときわ静かな小路をもつ庭があったのです。それが神父さんの住んでいる石造りの3階建ての前庭。その庭は、神父さんが腕を後ろに組んで思索したり、読書しながら散歩したりする、なんとも神聖な雰囲気の庭でした。(形は狭く変わりましたが、いまも庭はあるようです)

 実は、その庭には、実がいっぱいなる大きな甘柿の木や、果物屋でも高値で売れるような立派な実のなる大きな琵琶の木などがあって、私たち子どもにとっては最高に誘惑の庭だったのです。しかし、昼間は神父さんがいて、なかなか思うようにならなりません。そこで、悪ガキのリーダーだった私は、昼間、4、5人の仲間とY字の枝を竹竿に差込み準備OK、庭の草むらに隠し、夜8時、銭湯に行くことを口実に、その庭に集結したのでした。

 リアルタイムで実況すると、まずは、庭の入り口に見張りを立て、誰かが庭に来れば直ぐに伝令。我々は柿の木から見える神父さんの部屋の明かりを凝視、「そのとき」を待つ。音と気配を察知されれば作戦は失敗、その時がきたとばかり、主犯の私は息を殺しながら、スローで柿の実の枝に二股を差込む。そして静かにねじると、最小限度の柿の実と枝と葉が一緒になって落ちてくる。これを他のメンバーが下に落とさないようにキャッチし、八百屋からこっそり調達してきた浅い木箱に実だけをすばやく入れる。しかし、3階の日本人の神父さんに気づかれ(実は外人の神父さんは、皆優しかった・・・昼間、琵琶泥棒して口中クワンクワンにしながら食べているのを見つかったときも、ニコニコしていてくれた)、窓から「何しているんだ!」と大声で怒鳴られてしまう。しかし、ここで逃げては、ガキ大将の名が廃る。窓際で怒鳴っている限りは、絶対に捕まることはない。いよいよ、その神父さんの姿が見えなくなり、階段を駆け下りる気配を感じたときに、一斉に木箱をもって逃げる。

 もちろん、その後皆で収穫を祝い、銭湯はアリバイづくり程度で帰ったのはもちろんです。ところが、その後がまずかった。後日、仲間の一人が親に口を滑らせ、それが、どういうわけか私の鬼の父親の耳に入り、大変なことになったのです。共犯の一軒一軒に、オヤジと一緒にお詫び行脚で、そのたびに「タカオが先導して、このような・・・」で、謝ることと抱き合わせでオヤジにぶん殴られ、鼻血は出るは、顔は腫れるはで大変でした。オヤジは面子がたったかもしれないが、私は学校でも「どうしたの?」と聞かれ、話すわけにもいかず困った数日を覚えています。

 話は長くなりましたが、小学生のガキ大将ですら、目的のためにはこのくらいの才覚と、失敗したときのリスクと責任をもちあわせているのです。はたして菅さんはどのような子ども時代をすごしたのでしょうか。もし、ガキ大将の経験があれば、「いま、なにをしたらよいか」「自分の役割は何か」「自分の責任とは何か」を瞬時に判断して行動できるはずです。3月11日から今日まで,菅さんが話せば話すほど言葉がむなしく響き、一切のアウトプットのない金のかかった行動を見ていると、この男には目的をもって役割を決め、人を動かし、成果を出す「柿泥棒」は、絶対にできないなあと思わざるを得ません。ましてやリスクも責任も、とることなど到底ムリです。

 同じことが東電のトップたちにも言えるでしょう。いま、福島では、何の罪もない住人の方々が、避難所で将来のわからない毎日を送っています。原発現場では、まともな食べ物もなく極限の劣悪環境で、必至の復旧作業をされている方々がいます。こういう人こそ、東電の宝であり、日本の宝なのです。住民や彼らが命を削っている現場に対し、東電のトップは、アウトプットのある行動を一切起していません。

 平時には、ダレがなっても変わらないトップリーダーの職が、いま非常時において、その鼎の軽重が問われています。一言で言うならば、ガキ大将の経験のない者は、基幹組織のトップになってはいけません。組織が滅び、国が滅びます。

| | コメント (0)

2011年2月 1日 (火)

日本サッカーのステージが変わった日

61_6  まだまだ余韻が残っていますね、アジアカップで日本が優勝した話。楽しいことや明るい話題が少ない今日この頃、誰もが手放しで喜べるのは、やはりスポーツです。もう連日、TVでも詳細を報道し、選手の話や監督の話、良い話ばかりなのにはマスコミも現金なもんだなあと思わざるを得ませんが、まあ暗い話や批判・評論ばかりに飽き飽きした国民には、一服の清涼剤であることは間違いありません。

 実は私も高校時代はサッカー部でしたが、その頃は今のような格好良いスポーツではなく、皆が注目するスポーツでもなかったのです。練習の時、自前のサッカー着を忘れてくると、部室に脱ぎ捨ててあるユニフォームの中からきれいそうなの(といっても他人の汗が乾かず湿っていたりカビが点々とついているなど)を選んで鼻で息をしないで着て練習するような時代。だから右と左のストッキングの色が違う、履いている左右の靴がそれぞれ違うなんぞ当たり前、練習前の校外ランニングで、お嬢様学校の白百合女学園の前を2列で走る時には、ひときわ声を大きくするなど、まあTV「青春とはなんだ」のとっくの前に、「青春とこうだ!」という硬派のスポーツがサッカーだったのです。

 その後、メキシコオリンピックで日本がサッカーで銅メダルに輝き、はじめてサッカーが注目されるようになりました。ただ、この快挙の背景にはドイツから招聘したクラマー名コーチの優れた指導力がありました。しかしながら、その後は長い長いアマチュアスポーツとしての時代で、世界にはなかなか通用しなかったのです。そして、Jリーグの発足によりプロのサッカー選手が数多く輩出し、日本も世界への階段を少しずつ上っていきました。

 その間、「このまま無失点ならワールドカップに行かれる!」イラクとの試合のロスタイム、コーナーキックからロビングボールで1点入れられ引き分け、代表選手はもとより日本国民は地獄を味わいました。これが「ドーハの悲劇」です。この試合後、グランドに泣き崩れる選手一人ひとりを抱き起こしていた、オフト監督の姿が私には強烈に印象に残りました。

 その後、岡田ジャパンによるワールドカップ出場、中田英俊などの海外組の活躍など、このあたりからは皆さんの記憶にも新しいことでしょう。このように日本のサッカーの歴史を眺めてきましたが、実は今回のアジアカップで、日本のサッカーのステージが変わったことを実感したのです。

 では、何が変わったのか。
 それは、「個人技のレベルアップ」の時代から、「個人技の掛け算」の時代に入ったことを実感したことです。いままでチームワークで勝つとか、皆がひとつになって、という情緒的でアナログな面で、日本のサッカーが評価されることは数多くありました。しかし、今回のアジアカップで見せた日本のサッカーは、そのアナログなチームワークもさることながら、「個人技の掛け算」によるサッカーシステムのレベル性で、まさにディジタルな進化を表すものでした。あたかも人類が進化する過程で、染色体が異常分裂して知能のステージをレベルアップさせていったように、大げさに言えば、まさに歴史的な飛躍の瞬間を見た思いです。

 では、その姿とは・・・・具体的には2つのシーンに象徴されます。
 ひとつはシリア戦で、本田が右サイドから切り込んだ時。バックを抜きゴールライン近くまで持って行き、そこでマイナスのパスを香川に。そのパスを受け香川が右に切り込みシュートと見せかけ左にターンして瞬時にシュート。キーパーがはじいたボールを今度は松井がトラップしてから長谷部にチョン、しかも長谷部のシュートを防ぎに行こうとした敵のバックを背中でブロック、リレーの仕上げを長谷部が見事なミドルシュートで決めたのです。

 この瞬間に、日本のサッカーステージが変わりました。いままで個人技でも、せいぜい2名の連携で得点し、ワールドカップには重ねて出場できるところまできたのです。しかし、高い個人技の単独ではない4名の連携は、まちがいなサッカーが染色体の分裂でステージアップしたのす。もうひとつは、その後の試合で、何と7名によるパスと連続プレイによって前田が得点したシーン。その間、敵は一度もボールに触れることはできなかったのです。このように、まちがいなく日本のサッカーのステージが変わったことを実感したのが、今回のアジアカップです。

 生物学の世界では、「態を変える」ことを「成長」と言いますが、まさに「態を変えた日本サッカー」を目の当たりにしたアジアカップでした。何事にもステージが変わる、染色体の数が変わることがあるのでしょう。こういった瞬間があることを前提に、自分のこと、家庭のこと、会社のこと、日本という国のこと、そして世界のことなどをイメージングすると、はたして「態を変える」どのような理想の瞬間や姿が、皆さんには浮かんできますか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 9日 (火)

若いビジネスマンに問う「なぜ、民主党は自己崩壊するか」

60  「他山の石」という言葉があります。他のつまらないことでも自分を磨く参考になるというたとえです。そこで、若いビジネスマンの方々にビジネス研究課題をひとつ。設問「民主党という組織は、そう遠くない将来に自己崩壊するが、それはなぜか」

1.組織の原理原則―― 設問に答えるには、まず、この党を「ひとつの組織として分析する」ことが重要です。「組織の原理原則」を教科書的に述べれば、組織には①共通の目標 ②協働の意欲 ③人間関係が必要となるのですが、そのすべてが民主党に欠けていることをさまざまな事象が証明しています。

2.組織の目標 ―― 企業では「組織の方向性」を「理念・ヴィジョン・経営方針・計画」に見ることができますが、党ではどうかというと、マニフェスト(「みんなの党」はアジェンダといっている)がそれに該当します。では、民主党のマニフェストはというと、国民は託児所が足りないと叫んでいるのに高額所得者にも「子ども手当ての支給」を、旧道路公団が無駄な道路を造りさんざ借金の山を残したのに「高速道路の無料化」を、国民が信頼して預けた大預金を勝手に政治家と官僚が利権がらみに転用しないようにと総選挙までやって国民投票したのに「郵政民営化を白紙」に、そして孫子の代でも返せないほどの国の借金があるのにさらに「過去最高の借金予算」を。以上の政策から、一貫した「民主党の目標」を述べてみてください。・・・・そうですよね、この国をどこに向かわそうとしているのか、かわかりませんよね。

3.組織の理念 ―― つまり、企業でも政治でも、組織目標の究極は「人や社会を幸せにする」ものでなければなりません。そうであれば、まず孫子の代への借金も、国民が払う税金も少なくする努力をするのが当然、しかし政策は借金をますます増やし正に逆行しているのです。ではなぜか。それは、民主党のマニフェストの骨子が、小沢一郎というポピュリスト(大衆迎合者)が中心となって作成した「どうしたら国民の票を集められるか」という選挙対策にあるからです。いわば「絵に描いた餅で1票を釣る」ことが目的ですから、この目的には理念がありません。だから政策に一貫性がないばかりか、いざ実行となると自己矛盾で自縄自縛に陥ってしまうのです。

4.組織の人材 ――では、この自己矛盾だらけの「絵に描いた餅」が、なぜ民主党のマニフェストになってしまったのか、それは「真に理念やヴィジョンを描ける人材」が党の幹部にいないことを表しています。「いまの民主党幹部は労働組合あがりと松下政経塾出身者ばかりで経営をしたものが一人もいない」と、くしくも田中真紀子氏がTV対談で喝破した通りなのです。

 国家も企業も「経営こそ要」で、いかに売り上げるか、いかにコストを抑えるか、そして利益を生み、将来の生産に投資し、社員や国民に還元するかは全く同じ土俵なのです。ところが、いま日本では企業幹部にあたる政治家も経営スタッフにあたる官僚も、ともに「お金を稼いだ経験者」がゼロに近いという恐るべき現実があります。ですから道楽息子と同じで、「浪費することにしか頭がない!」メンバーによる擬似政治という国家的欠陥が、そのまま莫大な借金として国民に覆いかぶさってきているわけです。

5.組織の責任 ――「三面等価の原則」というのがあり、人や組織の「権限・責任・義務」は正三角形のごとく等価です。外交において国家権力を行使する権限の対極面には、それだけ重い責任があるわけです。ところが、尖閣諸島の一件では、早々と総理も官房長官も責任から逃げて那覇地検のせいにしてしまいました。がんばった海上保安庁の職員にしてみれば、犯罪人を腰抜け2人が逃がしたと思っても不思議はありません。それが、尖閣DVDがひとたび国民に公開されてしまったら、今度は犯人探しに躍起となる姿は、「彼らの義憤を生んだのはオマエさんたちの大罪と責任だろうが!」と怒っている国民も多いのではないでしょうか。かって北朝鮮船の領海侵犯と銃撃戦を国民は情報公開によって知りましたが、中国船の領海侵犯と故意の衝突暴挙の映像が、どうして国家機密なのかと国の対応にも疑問が残ります。

 また、「200年に一度の災害のために400年かけて大堤防を造る」といった子どもでも「ええっ?」と笑うような馬鹿げたことに、国民の血税が湯水のごとく垂れ流されている現実を前にした「仕分け」。その仕分け人には、「仕分ける権限」があっても「ムダを実際に排除する権限」がありません。つまり、「仕分け」には実行の責任を取る者がどこにもいないというのも現実。つまり「権限と責任」が等価にないいびつな組織、つまり「組織の原則」で政治のシステムをつくれない組織が民主党なのです。誰も責任をとらない組織は、何も動かないので間違いなく瓦解します。「慎重に見守る」経済や「断固たる処置で」という言葉は、何も策がないことの裏返しです。小沢氏の国会招致の件も含めて何事も決断できないリーダーと組織が、若いビジネスマン諸君、いつまで続くと予測しますか。

| | コメント (0)

2010年9月 9日 (木)

「アリ地獄」に陥らないビジネス

59  車を運転する方、ガソリンの価格がなかなか下がらないので困っていますよね。セルフで給油している方も多のでしょうが、私は窓拭きやゴミ出し、中拭きタオルの提供などに頼り、車内にいて済む不精な選択をしています。

 当然のことながら、このようなサービスで顧客の獲得合戦をしているスタンドは、大して儲からない給油でも、これを入り口にタイヤ交換や車検、その他サービスで実際の経営を成り立たせているのが実情です。ですから、窓拭きも「窓を拭いてよろしいですか」とはいうものの、形式的にやっているところが結構ありますよね。

 そこで、私の車はというと、この形式的な窓拭きでは、困ったことがひとつあります。
 実は、私の車の駐車場は、もともと周囲を木々に囲まれた農地を、自社専用に5台分借り受けたもの。なので、車のフロントガラスやボンネットには、カラスやトビの大きな糞がボタっと落ちていたり、赤い小さな桜の実や紫色の桑の実など、さまざまな木から落ちた実が、車のあちこちで小さな塊として付着してしまいます。鳥の糞は放っておくと石灰化して、ボンネットの塗装まではがしてしまうので大変にヤッカイです。
 ですから、スタンドの店員さんが窓拭きをしてくれても、この糞や木の実のしつこい汚れ部分は「拭き残し」というケースが結構あるのです。

 ところが先日、時々お世話になっているスタンドで、こんなことがありました。
 窓拭きをしてくれた男性は、もう50台も後半でしょうか。汗だくになりながら一生懸命、車の窓を拭いてくれました。実は洗車をして間もないので、あまり汚れてもいなかったはず、給油も終わり、窓もきれいになって、お勘定かと思ったら、再度、違うスプレーを持ってきて、フロントガラスを眺め、ある一点を拭きだしたのです。直ぐに終わったのですが、終わった瞬間、車内で見ていた私と眼が合い、ニコッとして、「きれいになりましたよ」と笑顔で言ったように感じました。わたしもつられて、思わず「ありがとう!」と車内から笑顔で応えていました。一切言葉は交わさなくとも、その瞬間、2人には何ともいえないすがすがしい空気が流れました。

 話は変わって、大手電器店がひしめく首都近郊の、ある地元の電器店。顧客のほとんどがお年寄りなのですが、大手に負けず繁盛しています。デジタルやリモコンなど、いくら安く買っても使えないのがお年寄り。そこで価格は大手量販店より高いのですが、従業員がおうちに出向き、何時間でも親切に、できるまで優しく教えてあげることが繁盛のヒケツとなっています。さらに、買い物もしてあげる、独居のお年寄りには話し相手にもなってあげる。量販店より高い価格に付加価値がついて、他店との差別化を明確にしています。

 ネットビジネスが主流になりつつある現在、「顔の見えない」ビジネスであることから、商品価値としては「価格」だけに主眼がおかれがちです。しかし、本来、対面販売の「商い」には、売り手と顧客の間に、「ありがとう!」と「どういたしまして」といった心の交流から相互の信頼関係と顧客満足が培われてきました。「価格競争」の行き着くところは、共倒れのアリ地獄。デフレ時代のビジネス再生のヒントは、「あのお客様のために」「このお客様のために」といった、本来の「商いの心」をどこまで商品やサービスとして姿にできるかにあると考えています。ビジネスに携わるものは、普遍的な「商い」の価値観をもう一度見直し、「アリ地獄」に陥らないサービスや付加価値のあり方を、改めて追求することが大切です。

| | コメント (0)

2010年8月24日 (火)

今年もクマゼミは鳴くのだろうか

59  私が子どもの頃は、梅雨が明けたとたんに待ってましたとばかり、「ジージ―ジ― ジリジリジリジリ」とか「ミ―ンミンミンミー」と、いっせいにセミが鳴き出して夏が来ました。捕れるセミで圧倒的に多かったのは羽根が茶で体が黒と白のアブラゼミ、次に羽根が透明で体が緑っぽいミンミンゼミ、そして夏も盛りを過ぎた頃、「オーシンツクツク オーシンツクツク フイーオーフイーオー」と鳴くのがツクツクホウシ(オーシンツクツク)、「チッチッチーニージージィージィー」と鳴くのがニイニイゼミ、そして「カナカナカナカナ」と夕方時になると物悲しく鳴いて、「夏休みもそろそろ終わりだよ」と告げるのがヒグラシ、こんなところが東京の麹町で育った私の思い出です。

 あれから何十年も経って、いま鎌倉では全く違う夏を過ごしています。
 今年の梅雨明けに、まずセミが鳴かないのに驚きました。「ほんとうに梅雨が明けたのかな」「セミはみんな死んでしまったのだろうか」と真面目に思ったくらいでした。そして暑い日が続いたある夜から、チラホラとセミが鳴き始めました。それが、もうこの数年ずっと変なのですが、かって夏の終わりに鳴いたカナカナから、今年も鳴き始めました。
 そして夏の始まったばかりの7月の夜に、網戸にガサッと何かがぶつかる音がして見てみると、立派なカブトムシが黒光りをさせて網戸に掴まっていました。「おいおい、お前、ちょっと来るの早すぎない?」って言ったくらいです。

 いまは、オーシンツクツクとニイニイゼミが盛んに鳴いています。過ぎ行く夏を惜しむかのように、もうひっきりなしに鳴くセミの声。朝晩、クーラーをとめた網戸越しに、レースのカーテンを大きく揺らす風。やはり秋は確実に、もうすぐそこまでやって来ています。ところで、夏の終わり頃にほんの一時、「シャーンシャーンシャーン」となくセミの声をまだ聞きません。そう、クマゼミです。

 30年以上も前に九州に赴任していた時は、大きく響く立派なセミの声をよく耳にしました。いつの頃からか、箱根の山を越え関東にも入ってきたのでしょうが、今年はまだ耳にしていません。ごくごく当たり前の自然の姿が当たり前でなくなると、人間はどうも落ち着かなくなるものです。季節の風物が少しずつ変わっていく。多くの人々は、この微妙な変化に、何となく落ち着かない不安を肌で感じているのではないでしょうか。

| | コメント (0)

2010年8月17日 (火)

牛丼戦争の先にあるもの

57_2  私の住む鎌倉では、セミがまるで夏が過ぎるのを惜しむように、朝から夜まで盛んに鳴いています。そして朝晩の気持ちいい風が、季節が確実に秋に向かっているのを感じさせます。

 さて世の中は、と見ると、政府の無策がじわじわと日本経済をダメにしていっています。
 やらなければならないことをやらないで、国民が頼みもしない高速道路の料金をいじったり、「子ども手当て」の名目で税金のバラマキをしたり、事業仕分けも大騒ぎした割には削減額も方法もスズメの涙みたいなもので、[景気浮揚策]には何一つ手のつけられない政府の無能ぶりはひどいものがあります。

 民主党政権が国民の期待に応えられないのは、その組織実態がまさに「政治の素人集団」であることを露呈した結果といえましょう。その原因のひとつに、「代議士や総理は軽くてパアが良いのだ。なぜなら、欲しいのは口ではなく数だから」という論理で、金とヨイショで無知な有名人狩りをして政権だけに執着してきた金権政治家・小澤一郎氏の大罪があります。そして、いままた9月には民主党の代表選びで、小澤氏が囲い込んだ素人集団を動かし傀儡総理を担ごうという動きは、日本の国が一体どこに進んでいってしまうのか危惧を感じざるを得ません。

 私はマーケティングが専門なので、政治と企業との関係をどうしても無視できない立場にいます。ですから、いま円高傾向に拍車がかかっているのに何もできない政府を見ていると、景気がプラスに向いていく材料に乏しいのが辛いところです。では企業にとって、このデフレの先はどこに行ってしまうのか。そこで、デフレ現象の象徴ともいうべき牛丼チェーン店の3店舗に行ってみました。

 いま、牛丼戦争は数字を省けば「松屋」が売り上げを伸ばし、それに「すき家」が続き、「吉野家」が苦戦しているのが簡単な図式です。その3店に行った比較で最も印象に残ったのは、あの老舗の「吉野家」のサービス力が落ちたことでした。

 立って待っているお客様に声も掛けない、サービス券でのお釣りがスムーズに出せない、お茶を頼んだお客様に再度水を出し隣の席の頼まない人にお茶を出す、4人いても店長が誰なのかわからない。かってのサービスはどこに行ってしまったのか。たとえ1店舗の現象であっても、まちがいなく組織の力が落ちている証拠なのです。「松屋」も「すき家」も、ボックス席を設けたり、商品ラインナップで女性や子どもを意識しているのがわかります。牛丼の味については、決定的にどこがよいという判定は難しいことからも、サービスの力は大きな集客要素になっていることでしょう。

 では、競争の原点である価格はどうか。マスコミでは盛んに『牛丼が250円の「松屋」「すき家」に対して270円の吉野家が苦戦』と喧伝していますが、実情は、どのチェーン店もセット販売が主流で、単品価格でお客様の数が違うと即断するのは危険です。いまや、従来の「早い、安い、うまい!」に、価格よりもむしろ商品ラインナップや顧客対象を重視したさらなるサービス力が、各社の売り上げの決め手となっていると判断します。

 さて、この牛丼戦争の先には何があるのか。おそらく牛丼そのものでは赤字、副商品のセットで収益を上げている現状から、これ以上の価格ダウンはアリ地獄ともいえます。
 100円マック、250円牛丼、顧客心理をしっかりつかんだテクニカルな組み合わせでビジネスを成り立たせる、しかし、この先には素材の質の低下しか見えてきません。この先の延長線上には、ビジネスの健全な発展が見えないことから、必ず「ゆり戻しのマーケティング戦略」が組まれると予測します。デフレの先には企業にも顧客にも繁栄はない、
 早く健全な経済社会に戻さなければならないことを実感した牛丼戦争の現場でした。

| | コメント (0)

2010年7月 5日 (月)

2010年日本サッカー「プロジェクトX」

57_2  久しぶりに日本中が沸きかえり、悔しいけど、誰もがすがすがしい気持ちになることができました。FIFAワールドカップ・日本代表のことです。

 私も高校時代はサッカー部、戦術的な話をすると長くなるので割愛しますが、南アフリカに行く前のチームの戦いぶりはまさにどん底、一体、どんなサッカーをしたいのか、まるで見えてきませんでした。ただパスばかりを回しあって、相手のプレスがかかると直ぐ後ろに球を戻す。せっかくカウンターのチャンスなのに、どこへ出そうかと迷っているうちに敵のプレスに挟まれてボールをとられる。まあ、目標のある人間が集まると「チーム」、目標のない人間が集まると「グループ」ですが、さしづめ日本代表は「勝つ」「点を入れる」という目標をどこかに置き忘れてきたサッカーグループといった状況でした。

 それが見事復活できたのには、さまざまな理由があるでしょうが、安倍をアンカー(守りの重鎮)にすえたように「攻めから守りへの戦術転換」をし、闘莉王がいうように「下手くそなりのサーカーに徹する」最後の開き直りが大きかったのではないでしょうか。そこに、ひとりひとりの魂と役割意識が全てひとつの鎖になったことが、今回の結果を生んだと理解しています。

 PK戦で負けたことも含めて、今回の全ての結果が、神様の手によって導かれたように思えてなりません。カメルーン戦の松井のドンピシャパス、デンマーク戦の2本の神業的なフリーキック、教科書のようなアシストパスは、いままでの日本が何試合やったら描ける得点シーンでしょうか。また、オランダ戦のたった1点も、個人技の差をまざまざと見せ付けられるような無人のゴールにショッキングなシュートを入れられるのではなく、キーパー川島が一度ははじき、「あれはしょうがないね」と納得できる惜しい点。しかもパラグアイ戦では、何度もゴール前で奇跡がおき、あれが全部入っていたらと思うと・・・、終わってみれば0:0というあたり、やはり日本に神様がついていたとしか思えません。

 それよりも何よりも、私が嬉しかったのは、日本代表の彼らが日本の若者たちに、そして子どもたちに、これ以上ない「仲間の素晴らしさ」「日本人の素晴らしさ」を見せてくれたことでした。ゴールした本田も、遠藤も、岡崎も、控え選手の輪の中に飛び込んでいったシーン、PK戦の前に選手27名だけでなく監督もコーチも皆で円陣を組み励ましあったシーン、PK戦でキックミスをした駒野を皆で列の真ん中に呼び込んだシーン、どのシーンも日本人の目に焼きついているはずです。

 思い起こせば日本が、ワールドカップの初めての切符を手からこぼした1993年10月の「ドーハの悲劇」。ロスタイムのコーナーキックからイラクに奪われた同点の1点。予選敗退が決まったこの瞬間、選手たちは皆、グランドに崩れ落ち、泣き、立ち上がれませんでした。その選手を、一人ひとりグランドを回り起き上がらせたのは監督のオフトでした。それから13年、前回のドイツ大会でブラジル戦に敗れてグランドに仰向けになってひとりで泣いていたのは中田英俊でした。ドーハから17年、4回目のワールドカップを迎え、決勝トーナメントのPK戦で敗れた日本の選手は、泣きながらも仲間が仲間の肩を抱き、励まし合い誰一人として孤独な選手はいませんでした。

 私たちは、素晴らしい選手と監督・コーチと、そしてサポーターを持ちました。まさに日本サッカーの4年間にわたる「プロジェクトX」。PK戦の負けを含めて、「私たち日本人の素晴らしさ」を私たち日本人に教えてくれるために、やはり神様が味方してくれたと思わずにはいられません。

| | コメント (0)

2010年6月 1日 (火)

隅田川から皇居に抜ける風

56_2  東京駅が改修復元中です。大正3年に当代の名声高き辰野金吾が建築した当時の建物に、より近づけた新東京駅に復元されるとのこと。いま丸の内側は、この工事のために、あちこちが高い塀で仕切られ、駅舎の屋根もネットをかぶって解体の最中です。

 私は以前、丸ビル側からレンガ造りの東京駅を眺めていたとき、不思議なことに気づきました。駅舎がどこまでも低く横に伸びているのに、その上にはひとつのビルの姿も見えないのです。駅舎の向こうには何十本もの電車が走るホームがあり、そしてその向こうには八重洲のビル街があるはずなのに、駅舎の上にはビルのかけらも見えないのです。何もない空を120度くらいの角度で左右を見てみると、ずっと左端のほうに新大丸とビル群、右端のほうに新ホテルとビル群が、まるで東京駅の従者のように両サイドに立っているのです。
 そして、この東京駅付近で、もうひとつ不思議なことを経験しました。ある雨上がりの夕方、丸の内OAZOから新丸ビルに抜ける道路を歩いていたら、なんと海の潮風の匂いがしたのです。

 この2つの不思議を忘れていたのですが、あるとき、この東京駅周辺の土地開発にあたった三菱地所の都市開発構想を知って、この不思議の謎が解けました。だいぶ前のことではありますが、要旨はこうです。
 「これからの都市開発構想では、都市機能と人間との共存を考えることが重要。ヒートアイランド現象や地球温暖化の問題などを、新しい都市開発でどのように解決していくのか。その一環として、東京駅周辺の都市開発構想では、隅田川から東京駅そして丸ビル・新丸ビルを抜けて皇居に至る一帯に、「風の通り道」をつくって都市の気温上昇を防ぐように構想したのだと」

 つまり、海に近い隅田川の風が、日本橋・京橋・八重洲・東京駅の真上を通って、写真の通り丸ビル・新丸ビルの間から一気に皇居まで抜けていく、「風の通り道」をつくったのです。そのために、この「風の通り道」には一切のビルを建てず、東京湾の河口に近い涼しい川風が、熱帯の都市のど真ん中に大きく流れ込むのを可能にしたというわけです。丸の内で、なぜ潮風の匂いがしたのかも、これで合点がいきます。
 しっかりした理念をもってヴィジョンを描く。そして、そのヴィジョンに基づき、緻密な設計図を起こしていく、これが都市開発構想の進め方ということでしょう。

 実は、この手順は経営でも、また政治でもまったく同じです。理念なくしてヴィジョンなし。ヴィジョンなくして設計図なし。経営も政治も実存の世界です。大きな構想を実現するための緻密な設計図まで落とし込んでいく。昨今の政治がなぜダメなのか。その理由は、この東京駅に向かって立ち「風の通り道」を実感すると、誰の眼にもわかってくるはずです。

 「たまには楽しいこと嬉しいことをブログに」と思い続けて数ヶ月。もちろんネコの手も借りたいほどの忙しさもあったのですが、なかなか好材料がなく今日に至ってしまいました。ぜひ、次回は楽しいことを。

| | コメント (0)

2010年3月 8日 (月)

大輔クンの「道」と真央ちゃんの「鐘」

54_2  バンクーバーオリンピックが終わりました。皆さんは何が最も印象に残りましたか。
 それともオリンピックの感動と余韻はもう去りましたか。私には、銅メダルの高橋大輔クンが満面の笑顔で演技を終えたのと対照的に、銀メダルの真央ちゃんが涙にくれたフィギュアスケートが最も心に残りました。

 大輔クンの演じた曲「道」は、フェデリコ・フェリーニ監督の名作映画「道」に出てくる主題曲です。この映画を見たことのある人は、全編に流れる、あの物悲しいメロディが映画の結末と重なって、おそらく映像が脳裏に焼きついているのではないでしょうか。
 映画の主人公は、ザンパノーという男と、ちょっとアタマの弱いジェルソミーナというなんとも可愛く哀しい女旅芸人。大輔クンはそのザンパノーの心の推移を、冒頭のコミカルな演技から最後の後悔と苦悶まで、ものの見事に表現してくれました。大輔クンは「道」の世界を完全に体にしみこませ、ストーリーなど知らない人にもザンパノーになりきった演技で、多くの人々に氷上の演技者として感動を与えてくれました。

 かたや真央ちゃんは、ロシアの作曲家ラフマニノフの曲「鐘」。正式には(5つの幻想的小品集の第2曲・前奏曲嬰ハ短調「鐘」)だそうで、もう名前を聞いているうちに寝てしまいそうな曲目です。真央ちゃんのコーチの指導方針は、つねに「誰もやらないことをやる」にあるそうで、難解な演技にチャレンジさせることがポイントとのこと。しかしながら、「金を獲れる人しかコーチングしない」コーチの芸術性と選曲は、「私はそこらの人と違うのよ。私たちは芸術家とその弟子」とでもいいたげな感じで、私にはあまりよい感じがしませんでした。しかも、この「鐘」、4年前に同コーチが指導した選手が、故障でオリンピックに出られなくなり残念な思いをした曲。それを、真央ちゃんに使ったのです。

 実は、この曲を聴き、これらの話を知ったとき、このコーチで真央ちゃんが勝つのは相当厳しいなあと思いました。キム・ヨナの技量が優れているだけに、真央ちゃんの勝つチャンスは、真央ちゃんが最高の演技ができることが絶対条件で、その条件を満たすためには、いかに真央ちゃんがフリーの世界に没入できるかがカギとなると判断しました。

 しかし、この曲には正直、感情を乗せて舞えるドラマやストーリーがない。現に演技後の会見で、彼女自身が「演技の時間が長く感じられた」と涙ながらに語ったのが何よりもの証明です。また、TVで直前の練習を見ていたら、真央ちゃんは音楽のない時に飛べるトリプルアクセルを、音楽に合わせると飛べないことがあり、これはまずい、この曲は真央ちゃんの演技に合っていないと直感しました。というよりスケートの曲ではないと感じたのです。この選曲には、もっと以前に関係者からもさまざまな批判があったそうですが、真央ちゃんの偉いところは「途中で投げ出したくない」と最後までこの曲でいくことを望んだとのことです。

 いま、若いコーチたちの「オリンピックで勝つ」指導ポイントは、モロゾフコーチにもみられるように、まず採点方法を徹底分析し、どうすれば足し算で高得点をとることができるか、一つ一つの演技にディジタルな指導対応がされるようになっています。審査は人がするのですから、まずはマーケティングの世界でいう「顧客の購買分析」(ここでは審査員が顧客)から勝利へのアプローチをしているわけです。「お客様の心理をどのように分析・把握し、商品創りに反映させられるか」―――おそらく、このような視点から彼ら若いコーチは、審査員を感動させるエンターテイメント性に満ちた演技を細かく指導しているのではないでしょうか。また審査にも影響を与える観客をいかに味方に引き入れられるか、しかも、どうしたら選手が感情を表現し乗りやすいか、で選曲や振り付けを徹底しているように私には思えます。

 このような傾向に対して、真央ちゃんのコーチ指導には、課題が多く目に付きました。もしあなたが女性で、他の女性に調達したがお蔵入りしたドレスを、4年も経って「これを着て舞台に立って」と言われたら、どんな気持ちがしますか。
 また、真央ちゃんのショートプログラムに、去年も演じた「仮面舞踏会」の曲を(編曲はあるにせよ)使用したのも疑問です。新しいキム・ヨナの魅力を見せてくれた「OO7」の妖艶な演技に比べたら、新しい真央ちゃんを期待した顧客心理を裏切り、「新商品」の提供には程遠い結果といえましょう。

 つまり、私にはコーチの芸術観の押し付けばかりが目に付き、審査員や観客の心理分析が疎かになっているように思えたのです。何よりも肝心なことは、選手が主人公なのに、曲も演技もすべてコーチ自身の価値観のほうが上位にあるように思える、このこと自体が作戦の大きな誤りと思えるのです。経営でいえば、「人材育成」の観点からも、また「商品開発」の観点からも、「売り手側」の論理が優先するロシアの商品みたいで前時代的な感じがしました。

 これからの真央ちゃんにとって、というより日本のスケート界にとって、大切なことは、いままで誰も想像できなかった「新しい真央ちゃん」を生み出す環境と指導をどのように準備できるかでしょう。彼女の笑顔には、「誰をも幸せな気持ちにする女神」が宿っています。これからの4年間に「新しい真央ちゃん」を創る強力なサポートを、ここはぜひ、「スケートの神様」にもお願いしたいものです。

| | コメント (0)

«福山雅治クン演じる竜馬像