2014年8月 6日 (水)

ホンモノの平和主義と、ウソの平和主義

66_3 フランスに旅行した若い女性が、よく買って帰るお土産に「モンサンミシェルのガレット」があります。モンサンミッシェルとは、フランスの西海岸に浮かぶ小島で、ユネスコの世界文化遺産にも登録されているカトリックの修道院であり巡礼地でもあります。

そのモンサンミッシェルの海では、その潮の激しい満ち引きを利用してカキの養殖が行われてきました。そのカキの養殖について、先日、BS放送では、日本とフランスの心温まるエピソードを紹介していました。

いまから50年ほど前のこと、濃厚で美味しいモンサンミッシェルの海のカキが、細菌によって全滅してしまいました。そこで、猟師さんたちはポルトガルからカキの種を輸入したのですが、またまた菌で全滅してしまったのです。
途方に暮れた猟師さんたちは世界中、細菌に強いカキの種を探し回わりました。するとカナダのカキが菌に強いことがわかり、そのルーツをたどると、菌に強いそのカキは日本の宮城県産のものだということがわかったのです。

モンサンミッシェルの海の猟師さんたちは、宮城県の桂島の猟師さんたちに交渉し、その菌に強いカキの種を譲り受けられないかを打診しました。すると桂島の漁民たちは、親切にも、快く応じてくれたのです。そのカキは再びモンサンミッシェルの海を、カキの名産地に蘇らせたのでした。それから50年、今ではフランス中から、このカキを食べに来る観光客でいっぱいです。

2012年、東日本大震災で東北のカキは全滅しました。美しい桂島のカキも全滅しました。その大震災を知ったモンサンミッシェルの海の猟師さんたちは、立ち上がったのです。桂島の猟師さんたちに、たくさんのカキの種を網ごとプレゼントしてくれたのです。50年前の絆、それが再び遙か遠い国、フランスと日本の人々の心を結びつけたのでした。そのおかげで、いま桂島ではカキの養殖が実を結び、再び見事なカキを出荷できるようになりました。

いま日本は、「積極的平和主義」の名のもと、戦争への一歩を踏み出しました。
太平洋戦争の末期、日本は劣勢を国民には知らせず、軍によるたび重なる「退却」を、マスコミにも「転進」と言わせ事実を隠しました。「きれいな言葉」で国民を欺く―――それが不都合をごまかす「時の悪しき政府」の姑息な常套手段です。

「国民の命と財産を守るために(?)同盟国と一緒に戦争をする、それが積極的な平和主義」「戦争のできない国から戦争のできる国へ、それが積極的平和主義」「同盟国に武器を輸出して、何の罪もない子供や女性の殺戮に加担する、それが積極的平和主義」――あなたは、この「きれいな言葉」を信じますか。
私は、モンサンミッシェルの海の猟師さんたちと宮城県桂島の猟師さんが、人間が本来持っている善意に基づいた交流により、50年の歳月を超えて助け合った事実こそ、ホンモノの「積極的な平和主義」であると思っています。

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2012年12月14日 (金)

足し算の人・中村勘三郎

65  子どもの頃、父によく歌舞伎、新派、新国劇、文楽に連れて行ってもらいました。新派の花柳や八重子、新国劇の島田や辰巳、文楽は豊竹山城少掾の引退記念講演も鮮明に記憶に残っています。もちろん、歌舞伎は風格ある先代の幸四郎、その弟で声のいい松禄、軽妙洒脱な勘三郎、美しかった扇雀(現・坂田藤十郎)など数えたらキリがありません。

 当時、私の家は麹町の化粧品屋で、近くに住んでいた染五郎(現・松本幸四郎)や弟の中村吉衛門などが好青年の頃、よくお手伝いさんと一緒に買い物に来ました。また私の中学が先代の勘三郎(本名・波野)の家のそばだったせいもあり、中学の友達などは波野家の長女・久里子と小学校の同級で、波野家に行っては久里子やその弟と遊んでいたようです。いま新派の大女優が、その波野久里子で、その弟こそ、先日亡くなった中村勘三郎です。

 連日、TVなどでは誰にでも慕われた勘三郎のエピソードを流しましたが、若くして惜しまれて、という次元で語る人物だけではないと思っています。中村勘三郎を語る人々も言葉もいろいろでしょうが、私は、彼の死によって歌舞伎が21世紀と融合する大きなチャンスを失ったと思っています。彼は、亡き筑紫哲也が「現代の天才」として2名挙げた桑田圭佑ともう一人の人物・野田秀樹などと一緒に創作歌舞伎を演じたり、まさに歌舞伎界の革命児だったのです。

 しかし、いわゆる改革者や革命家と、明らかな違いが勘三郎にはありました。それは、「平成中村座」に象徴される、歌舞伎の「原点への回帰者」という姿です。ご存知のように、歌舞伎の発祥は安土桃山期の出雲阿国。そのかぶく者としての芝居小屋の見世物の流れを見事に引き継ぎ、隅田川沿いに「平成中村座」を起し、しかもニューヨーク講演はじめ、歌舞伎が現代に生きる道のあることを、見事に証明してきたのです。ライバルは「嵐」とも自ら言ったといわれる勘三郎には、芝居小屋の歌舞伎が決して古いものでなく、当時、時代の最先端であった阿国歌舞伎や中村座創始者の江戸期の中村勘三郎の姿が、「“いま”に生きるかぶく者の姿」として明確に脳裏にあったのではないでしょうか。生きていたら、中村勘三郎は、あくまでも歌舞伎として、AKB48とも競演していたかもしれません。

 新しい歌舞伎座がもうすぐ完成します。この新歌舞伎座も、そうなるのでしょうが、丸の内界隈の高層ビルのいくつかは、明治の優れた建築をそのまま生かしながら21世紀の高層ビルと融合させたものです。古き建築を壊すのでなく、そのすばらしさを温存し、高層ビルと一緒に新しく現代に生まれ変わる、まさに「足し算の美学」といえましょう。
 いわゆる改革は、破壊の上に成り立つ、いわば「引き算」が根底にありますが、勘三郎は、歌舞伎が「足し算」で新しく生まれ変われる方法があることを、見事に証明してくれました。(もし、企業の経営改革も、「引き算」でなく「足し算」でできたら、どれほどすばらしいかわかりません。)

 ただ、芸は建物と違って残らず、時間とともに消えていきます。21世紀の申し子であり歌舞伎の天才・中村勘三郎の死は、悲観的に考えれば「現代と歌舞伎との融合」のチャンスを永遠に失った瞬間だったのかもしれません。つまり勘三郎は、改革者や革命児ではなく、「時代との融合者」であり、時が経つにつれて、ますます不世出の人物の感を強くしていくのではないでしょうか。

 でも、その一方で、何とか、という気持ちも捨て切れません。新・勘九郎の「父を忘れないで下さい」の口上が、歌舞伎界を担う若者たち全員の「中村勘三郎の魂をしっかりと受け継ぎます」に変わり、勘三郎から魂が引き継がれ、「現代と歌舞伎との融合」のチャンスがふたたび巡ってくることを、ひそかに願っている方々も多いのではないでしょうか。
(文中の登場人欝は全て敬省略)

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2012年4月13日 (金)

東電社長の権利宣言と官僚プレデター

64_2    ブログの間隔がどうしても開いてしまうのは、忙しいこともあるのですが、実は楽しいお話を書きたいのに、なかなかそういう状況にないからです。そして、いくつかの企業の経営に係わっていると、どうしても怒りの矛先が愚かな政治に向かざるを得ません。そこで、きょうは、原発のもつ罪の深さを探ってみることにします。

 江戸から明治にかけて、貧しい農村や漁村から、多くの娘たちが借金のカタに吉原などの遊郭に売られてきました。昭和から平成に時代は変わって人身売買ができなくなってからは、貧しい農村や漁村では、それを見透かしたように中央官庁と結託した電力会社が、この30数年、人どころか村一帯、県一帯を札びらで頬っぺたをひっぱたい原発をOKさせてきました。原発は、表では電力需要を満たす夢のエネルギーとして、裏では将来の核保有への第一歩として、そのスタートを切り、今日に至りました。

 原発の誘致地域では、原発関連の雇用が生まれ、道路も舗装され、立派な公民館や体育館、中には温泉施設までできて、まるで村や町が豊かなパラダイスになったかのように見えました。が、福島の原発事故で、日本中が夢から覚めたのです。その結果、農村や漁村の命の証である自然の幸は全て廃棄!そして、孫子の代まで半永久的に土地には戻れない悲惨な現実を迎えました。つまり、我々は「安全」を謳い文句の、国家をあげての詐欺商法に出会い、とうとう不幸のどん底に落とされたのです。さらに、使用済みの核廃棄物は、何と10万年の先までその害は消えないといわれています。

 その悲惨な福島を生んだ、その原発の原因分析もなく、対策も何一つ講じられていないまま、いま、政府は原発を再稼動させるべく、「暫定安全基準」などといった忍者の目くらましのような手法を使い出しました。例えるならば、防災対策のできていない歌舞伎町のビルで、甚大な被害の火事を起きたのに対し、同じ老朽化している隣のビルは、「いま防災対策はできていないが、2,3年後はこうなる」という計画書、「暫定安全基準」とやらを所轄官庁に提出したら、なんと3日で営業許可が下りたという話。双方グルの八百長芝居であることは、子供でも理解できます。

 では、なぜ、こうまでしても政府は原発をやりたがるのか。その背景は、すべて東電社長の(どうも私には、あの慇懃無礼な態度と丸眉毛が「暴れん坊将軍」にでてくる“三河屋”に見えてしょうがありません)、例の「値上げは権利」といった発言に象徴される現実がある、と私は思っています。

 彼の発言の心理的背景はこうです。東電は霞ヶ関や虎ノ門にとどまらず、東京だけでもおびただしいほどの数の天下り官僚を、経済産業省はじめ各省庁から受け入れています。東電が原発を有し、動かしている限りは、彼ら天下り先の就職は永久に安泰!天下を動かしている豪商として、天下り官僚を食わしているのは我々東電だ!という自負心を持っても不思議はありません。その上、政治の世界では、政治家たちには政治献金で恩を売り、彼らに原発推進の音頭とりをさせ、我が意のごとく政治を動かしてきた現実があります。それだけではなく、学者の世界にも介入し、大学や研究所への支援・個人への寄付などで、原発の安全神話をせっせと構築した御用学者を育て操ってきたのです。ですから、東電の社長の心理は―――「彼らを食わしているのは我々東電だ!多くの人々を幸せにし、食わせるための権利遂行がなぜ悪い!国家を支えてきた我々を何だと思っているのだ!」と、当然のことのように「値上げは権利」と言うのも、彼の立場にたてば頷けることといえましょう。

 ですから、原発を動かさなければ、官僚の天下り先の安泰は保障されず、ご恩の返せない政治家は政治献金を頂戴できなくなってしまいます。そこで、彼ら官僚や政治家の心理は―――「さあ、大変!日本のお国のことよりも、自分たちの身の安泰が優先。別に原発のエリアに住むわけではないし、なんとか原発を動かして安寧の禄に預かりたい!そもそも原発をやめたら、将来の核保有だってできなくなる・・・」―――ただし、声高に「賛成!」は風向きが悪い。では、どうするか。

 そこで、官僚も東電も恩になった政治家も考えることはひとつ―――「総理大臣に言わせるのが一番!なぜなら、彼は、財務省のお先棒を担いで、未曾有の天変地異が起きたにもかかわらず、「税と年金の一体改革」という詐術的言語を入れ知恵したら、 “年貢(消費税)を上げることに命を懸ける”と口走った愚直な宰相。だったら今度は、経済産業省のお先棒を担いでもらって、何が何でも“原発、再稼動”に、ひと働きしてもらおう。そのためには、もっともらしい言い訳として「経済発展のために原発は欠かせない!」、なら経済界も味方するはず。安全でないのはわかりきっているが、最後は、“政治判断”といった伝家の宝刀も用意したので、いまは何が何でも再稼動が大事」といった具合。

 官僚も東電も、「原発が一基も動かない状況をつくったら、国民は、原発なくてもやっていけるじゃない!」と確信するはず。そういう状況は絶対につくってはならないと思っているのです。これから、しばらくは知事や市長はじめ地元の反対派の切り崩しを、官僚と電力会社が、あらゆる手を使って政府と政治家を操りながら暗躍するはずです。

 「官僚はプレデターである」という人がいます。消費税も、原発も、表面は政府や総理大臣が動いているように見えますが、実際は官僚が見えないところで暗躍しているということです。つまりプレデターは、人間には姿を見せないのです。血だって、一般大衆と違って赤い血は流さず、緑色です。本当の顔は醜く奇怪です。さて、このたとえが本当かどうか、この国はどこに行こうとしているのか、プレデターの本当の姿はどのようなものなのか。官僚のすべてがプレデターで、人間でないとは思いたくありません。しかし、少なくとも、何かにとり憑かれたように「原発再稼動」と声高に叫ぶ原発亡霊と、その裏で糸引くプレでターの言いなりになっては、日本の未来はないのです。

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2011年12月 6日 (火)

語るに落ちた原子力発電、だが彼らはゾンビとして生き永らえる

63_2  20代の後半、私が北鎌倉に住み始めた頃、横須賀線のホームの最後列にある金網に、奇妙な看板が立っているのを目にしました。「ここから降りてはいけません」。
そこで、「ははーん」と合点がいったのです。つまり、ここから降りる人が結構いる!

 たしかに、北鎌倉駅のホームは1直線で、地の果てまでも続きそうに長い。そして、何と!出口が最前列だけにしかないために、大船寄りに家のある人は、いったん円覚寺の門前近くまで歩いていって、そこから遠路?はるばる戻ってこなければならないのです。遅い時間に帰るような人には、冬の寒い日や雨の日などは、どう考えても辛く時間のムダと思うのが人情。まさに、この「出てはいけません」は、「語るに落ちる」言葉で、「ここから出られます」「ここから出ます」の裏返しなのです。

 同じように、「語るに落ちる」ショールームがあったのです。それは、銀座の松坂屋裏にあるTEPCO銀座館。いまは、(恐らく3・11以降でしょう)閉館になっていますが、東京電力の「プルサーマル計画」を紹介するショールームでした。「プルサーマル計画」とは、一言で言うならばプルトニウムとウランを活用した原子力発電で、これがどれほど私たちの将来にすばらしいことかを、特に子どもたちを対象にヴィジュアル化したショールームになっていたのです。

 ここを通りすがりに偶然に訪れ、初めて展示を見た時、「これはクサい!」と感じたのです。「原子力はすばらしい!」「プルサーマル計画はすばらしい!」と見せられれば見せられるほど、原子力発電への危険度を感じ危惧感を抱いたのは、おそらく私だけではないはず。ここまで「原子力は安全」だとか「原子力はすばらしい」と、「21世紀は原子力が当たり前」と子どものうちから洗脳しようとする意図が露骨であればあるほど、「これは絶対に安全でない」「恐ろしい裏がある」ことを、大いに語ることになっていたからです。

 つまり、この「プルサーマル計画」のキーワードであるプルトニウムとかウランとかいう物質は、もうおわかりのように北朝鮮の核開発でおなじみの単語で、つまり、日本が将来「原子力開発の先で何をしたいのか」、国策の暗黙の計画も間違いなく透けて見えたのです。だから、原子力開発は平和利用を旗印に今後もやめないし、裏の国策としてもやめられないのです。

 最近では、除染作業もままならない現状にありながら、いままた原子力発電の旗振り役だった経済産業省は、本来なら原子力発電推進者として被告席に座るべき御用識者を、またまた再生可能エネルギーの第3者委員会のメンバーとして選び、再生可能エネルギー潰しをしようとしています。第3者委員会という名の「八百長芝居」で、原子力発電以外の新エネルギーの算入を阻む「邪魔者潰し」を謀っているのが実情です。

 原子力発電と表裏の関係にある原子力開発は、つねに平和利用を表舞台に、そして裏の核開発を隠しながら進む、21世紀の地球上のモンスターなのです。日本の電力会社が事実隠しやヤラセを含め、何を言われても平然としているのは、彼らは自分たち自身が「時代のゾンビ」であることをひそかに知っているからでしょう。世間にいくら叩かれても踏まれても、巷が送電分離などと叫んでも、いまの政治家を政治資金で子飼いにし、官僚を天下らせて恩を売る電力会社は、絶対に死なない「核を握ったゾンビ」として、「本当は俺たちが日本を動かしているのだ」と、これからも日本の国を牛耳っていくに違いありません。この
ゾンビを、国民として今後どのように扱っていくのか、私たちの将来の選択が迫られているのです。

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2011年4月25日 (月)

ガキ大将の経験のない者は首相になるべからず

62_2  もう、何十年も経って時効でしょうからお話します。
 私が育ったのは、戦後間もない頃の東京千代田区麹町。家業は化粧品屋。私の遊びのテリトリーは、東は半蔵門、西は四谷3丁目、南は赤坂見附の弁慶橋、北は市谷あたりまで。そして、もっとも遊んだのが上智大学やイグナチオ教会の周辺。と言っても、当時の校内は、米軍が持ち込んだカマボコ型の住居がいくつかあり、まだまだ建築現場や空き地の多かった場所でした。

 そのような校内に、木々が生い茂り、ひときわ静かな小路をもつ庭があったのです。それが神父さんの住んでいる石造りの3階建ての前庭。その庭は、神父さんが腕を後ろに組んで思索したり、読書しながら散歩したりする、なんとも神聖な雰囲気の庭でした。(形は狭く変わりましたが、いまも庭はあるようです)

 実は、その庭には、実がいっぱいなる大きな甘柿の木や、果物屋でも高値で売れるような立派な実のなる大きな琵琶の木などがあって、私たち子どもにとっては最高に誘惑の庭だったのです。しかし、昼間は神父さんがいて、なかなか思うようにならなりません。そこで、悪ガキのリーダーだった私は、昼間、4、5人の仲間とY字の枝を竹竿に差込み準備OK、庭の草むらに隠し、夜8時、銭湯に行くことを口実に、その庭に集結したのでした。

 リアルタイムで実況すると、まずは、庭の入り口に見張りを立て、誰かが庭に来れば直ぐに伝令。我々は柿の木から見える神父さんの部屋の明かりを凝視、「そのとき」を待つ。音と気配を察知されれば作戦は失敗、その時がきたとばかり、主犯の私は息を殺しながら、スローで柿の実の枝に二股を差込む。そして静かにねじると、最小限度の柿の実と枝と葉が一緒になって落ちてくる。これを他のメンバーが下に落とさないようにキャッチし、八百屋からこっそり調達してきた浅い木箱に実だけをすばやく入れる。しかし、3階の日本人の神父さんに気づかれ(実は外人の神父さんは、皆優しかった・・・昼間、琵琶泥棒して口中クワンクワンにしながら食べているのを見つかったときも、ニコニコしていてくれた)、窓から「何しているんだ!」と大声で怒鳴られてしまう。しかし、ここで逃げては、ガキ大将の名が廃る。窓際で怒鳴っている限りは、絶対に捕まることはない。いよいよ、その神父さんの姿が見えなくなり、階段を駆け下りる気配を感じたときに、一斉に木箱をもって逃げる。

 もちろん、その後皆で収穫を祝い、銭湯はアリバイづくり程度で帰ったのはもちろんです。ところが、その後がまずかった。後日、仲間の一人が親に口を滑らせ、それが、どういうわけか私の鬼の父親の耳に入り、大変なことになったのです。共犯の一軒一軒に、オヤジと一緒にお詫び行脚で、そのたびに「タカオが先導して、このような・・・」で、謝ることと抱き合わせでオヤジにぶん殴られ、鼻血は出るは、顔は腫れるはで大変でした。オヤジは面子がたったかもしれないが、私は学校でも「どうしたの?」と聞かれ、話すわけにもいかず困った数日を覚えています。

 話は長くなりましたが、小学生のガキ大将ですら、目的のためにはこのくらいの才覚と、失敗したときのリスクと責任をもちあわせているのです。はたして菅さんはどのような子ども時代をすごしたのでしょうか。もし、ガキ大将の経験があれば、「いま、なにをしたらよいか」「自分の役割は何か」「自分の責任とは何か」を瞬時に判断して行動できるはずです。3月11日から今日まで,菅さんが話せば話すほど言葉がむなしく響き、一切のアウトプットのない金のかかった行動を見ていると、この男には目的をもって役割を決め、人を動かし、成果を出す「柿泥棒」は、絶対にできないなあと思わざるを得ません。ましてやリスクも責任も、とることなど到底ムリです。

 同じことが東電のトップたちにも言えるでしょう。いま、福島では、何の罪もない住人の方々が、避難所で将来のわからない毎日を送っています。原発現場では、まともな食べ物もなく極限の劣悪環境で、必至の復旧作業をされている方々がいます。こういう人こそ、東電の宝であり、日本の宝なのです。住民や彼らが命を削っている現場に対し、東電のトップは、アウトプットのある行動を一切起していません。

 平時には、ダレがなっても変わらないトップリーダーの職が、いま非常時において、その鼎の軽重が問われています。一言で言うならば、ガキ大将の経験のない者は、基幹組織のトップになってはいけません。組織が滅び、国が滅びます。

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2011年2月 1日 (火)

日本サッカーのステージが変わった日

61_6  まだまだ余韻が残っていますね、アジアカップで日本が優勝した話。楽しいことや明るい話題が少ない今日この頃、誰もが手放しで喜べるのは、やはりスポーツです。もう連日、TVでも詳細を報道し、選手の話や監督の話、良い話ばかりなのにはマスコミも現金なもんだなあと思わざるを得ませんが、まあ暗い話や批判・評論ばかりに飽き飽きした国民には、一服の清涼剤であることは間違いありません。

 実は私も高校時代はサッカー部でしたが、その頃は今のような格好良いスポーツではなく、皆が注目するスポーツでもなかったのです。練習の時、自前のサッカー着を忘れてくると、部室に脱ぎ捨ててあるユニフォームの中からきれいそうなの(といっても他人の汗が乾かず湿っていたりカビが点々とついているなど)を選んで鼻で息をしないで着て練習するような時代。だから右と左のストッキングの色が違う、履いている左右の靴がそれぞれ違うなんぞ当たり前、練習前の校外ランニングで、お嬢様学校の白百合女学園の前を2列で走る時には、ひときわ声を大きくするなど、まあTV「青春とはなんだ」のとっくの前に、「青春とこうだ!」という硬派のスポーツがサッカーだったのです。

 その後、メキシコオリンピックで日本がサッカーで銅メダルに輝き、はじめてサッカーが注目されるようになりました。ただ、この快挙の背景にはドイツから招聘したクラマー名コーチの優れた指導力がありました。しかしながら、その後は長い長いアマチュアスポーツとしての時代で、世界にはなかなか通用しなかったのです。そして、Jリーグの発足によりプロのサッカー選手が数多く輩出し、日本も世界への階段を少しずつ上っていきました。

 その間、「このまま無失点ならワールドカップに行かれる!」イラクとの試合のロスタイム、コーナーキックからロビングボールで1点入れられ引き分け、代表選手はもとより日本国民は地獄を味わいました。これが「ドーハの悲劇」です。この試合後、グランドに泣き崩れる選手一人ひとりを抱き起こしていた、オフト監督の姿が私には強烈に印象に残りました。

 その後、岡田ジャパンによるワールドカップ出場、中田英俊などの海外組の活躍など、このあたりからは皆さんの記憶にも新しいことでしょう。このように日本のサッカーの歴史を眺めてきましたが、実は今回のアジアカップで、日本のサッカーのステージが変わったことを実感したのです。

 では、何が変わったのか。
 それは、「個人技のレベルアップ」の時代から、「個人技の掛け算」の時代に入ったことを実感したことです。いままでチームワークで勝つとか、皆がひとつになって、という情緒的でアナログな面で、日本のサッカーが評価されることは数多くありました。しかし、今回のアジアカップで見せた日本のサッカーは、そのアナログなチームワークもさることながら、「個人技の掛け算」によるサッカーシステムのレベル性で、まさにディジタルな進化を表すものでした。あたかも人類が進化する過程で、染色体が異常分裂して知能のステージをレベルアップさせていったように、大げさに言えば、まさに歴史的な飛躍の瞬間を見た思いです。

 では、その姿とは・・・・具体的には2つのシーンに象徴されます。
 ひとつはシリア戦で、本田が右サイドから切り込んだ時。バックを抜きゴールライン近くまで持って行き、そこでマイナスのパスを香川に。そのパスを受け香川が右に切り込みシュートと見せかけ左にターンして瞬時にシュート。キーパーがはじいたボールを今度は松井がトラップしてから長谷部にチョン、しかも長谷部のシュートを防ぎに行こうとした敵のバックを背中でブロック、リレーの仕上げを長谷部が見事なミドルシュートで決めたのです。

 この瞬間に、日本のサッカーステージが変わりました。いままで個人技でも、せいぜい2名の連携で得点し、ワールドカップには重ねて出場できるところまできたのです。しかし、高い個人技の単独ではない4名の連携は、まちがいなサッカーが染色体の分裂でステージアップしたのす。もうひとつは、その後の試合で、何と7名によるパスと連続プレイによって前田が得点したシーン。その間、敵は一度もボールに触れることはできなかったのです。このように、まちがいなく日本のサッカーのステージが変わったことを実感したのが、今回のアジアカップです。

 生物学の世界では、「態を変える」ことを「成長」と言いますが、まさに「態を変えた日本サッカー」を目の当たりにしたアジアカップでした。何事にもステージが変わる、染色体の数が変わることがあるのでしょう。こういった瞬間があることを前提に、自分のこと、家庭のこと、会社のこと、日本という国のこと、そして世界のことなどをイメージングすると、はたして「態を変える」どのような理想の瞬間や姿が、皆さんには浮かんできますか。

 

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2010年11月 9日 (火)

若いビジネスマンに問う「なぜ、民主党は自己崩壊するか」

60  「他山の石」という言葉があります。他のつまらないことでも自分を磨く参考になるというたとえです。そこで、若いビジネスマンの方々にビジネス研究課題をひとつ。設問「民主党という組織は、そう遠くない将来に自己崩壊するが、それはなぜか」

1.組織の原理原則―― 設問に答えるには、まず、この党を「ひとつの組織として分析する」ことが重要です。「組織の原理原則」を教科書的に述べれば、組織には①共通の目標 ②協働の意欲 ③人間関係が必要となるのですが、そのすべてが民主党に欠けていることをさまざまな事象が証明しています。

2.組織の目標 ―― 企業では「組織の方向性」を「理念・ヴィジョン・経営方針・計画」に見ることができますが、党ではどうかというと、マニフェスト(「みんなの党」はアジェンダといっている)がそれに該当します。では、民主党のマニフェストはというと、国民は託児所が足りないと叫んでいるのに高額所得者にも「子ども手当ての支給」を、旧道路公団が無駄な道路を造りさんざ借金の山を残したのに「高速道路の無料化」を、国民が信頼して預けた大預金を勝手に政治家と官僚が利権がらみに転用しないようにと総選挙までやって国民投票したのに「郵政民営化を白紙」に、そして孫子の代でも返せないほどの国の借金があるのにさらに「過去最高の借金予算」を。以上の政策から、一貫した「民主党の目標」を述べてみてください。・・・・そうですよね、この国をどこに向かわそうとしているのか、かわかりませんよね。

3.組織の理念 ―― つまり、企業でも政治でも、組織目標の究極は「人や社会を幸せにする」ものでなければなりません。そうであれば、まず孫子の代への借金も、国民が払う税金も少なくする努力をするのが当然、しかし政策は借金をますます増やし正に逆行しているのです。ではなぜか。それは、民主党のマニフェストの骨子が、小沢一郎というポピュリスト(大衆迎合者)が中心となって作成した「どうしたら国民の票を集められるか」という選挙対策にあるからです。いわば「絵に描いた餅で1票を釣る」ことが目的ですから、この目的には理念がありません。だから政策に一貫性がないばかりか、いざ実行となると自己矛盾で自縄自縛に陥ってしまうのです。

4.組織の人材 ――では、この自己矛盾だらけの「絵に描いた餅」が、なぜ民主党のマニフェストになってしまったのか、それは「真に理念やヴィジョンを描ける人材」が党の幹部にいないことを表しています。「いまの民主党幹部は労働組合あがりと松下政経塾出身者ばかりで経営をしたものが一人もいない」と、くしくも田中真紀子氏がTV対談で喝破した通りなのです。

 国家も企業も「経営こそ要」で、いかに売り上げるか、いかにコストを抑えるか、そして利益を生み、将来の生産に投資し、社員や国民に還元するかは全く同じ土俵なのです。ところが、いま日本では企業幹部にあたる政治家も経営スタッフにあたる官僚も、ともに「お金を稼いだ経験者」がゼロに近いという恐るべき現実があります。ですから道楽息子と同じで、「浪費することにしか頭がない!」メンバーによる擬似政治という国家的欠陥が、そのまま莫大な借金として国民に覆いかぶさってきているわけです。

5.組織の責任 ――「三面等価の原則」というのがあり、人や組織の「権限・責任・義務」は正三角形のごとく等価です。外交において国家権力を行使する権限の対極面には、それだけ重い責任があるわけです。ところが、尖閣諸島の一件では、早々と総理も官房長官も責任から逃げて那覇地検のせいにしてしまいました。がんばった海上保安庁の職員にしてみれば、犯罪人を腰抜け2人が逃がしたと思っても不思議はありません。それが、尖閣DVDがひとたび国民に公開されてしまったら、今度は犯人探しに躍起となる姿は、「彼らの義憤を生んだのはオマエさんたちの大罪と責任だろうが!」と怒っている国民も多いのではないでしょうか。かって北朝鮮船の領海侵犯と銃撃戦を国民は情報公開によって知りましたが、中国船の領海侵犯と故意の衝突暴挙の映像が、どうして国家機密なのかと国の対応にも疑問が残ります。

 また、「200年に一度の災害のために400年かけて大堤防を造る」といった子どもでも「ええっ?」と笑うような馬鹿げたことに、国民の血税が湯水のごとく垂れ流されている現実を前にした「仕分け」。その仕分け人には、「仕分ける権限」があっても「ムダを実際に排除する権限」がありません。つまり、「仕分け」には実行の責任を取る者がどこにもいないというのも現実。つまり「権限と責任」が等価にないいびつな組織、つまり「組織の原則」で政治のシステムをつくれない組織が民主党なのです。誰も責任をとらない組織は、何も動かないので間違いなく瓦解します。「慎重に見守る」経済や「断固たる処置で」という言葉は、何も策がないことの裏返しです。小沢氏の国会招致の件も含めて何事も決断できないリーダーと組織が、若いビジネスマン諸君、いつまで続くと予測しますか。

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2010年9月 9日 (木)

「アリ地獄」に陥らないビジネス

59  車を運転する方、ガソリンの価格がなかなか下がらないので困っていますよね。セルフで給油している方も多のでしょうが、私は窓拭きやゴミ出し、中拭きタオルの提供などに頼り、車内にいて済む不精な選択をしています。

 当然のことながら、このようなサービスで顧客の獲得合戦をしているスタンドは、大して儲からない給油でも、これを入り口にタイヤ交換や車検、その他サービスで実際の経営を成り立たせているのが実情です。ですから、窓拭きも「窓を拭いてよろしいですか」とはいうものの、形式的にやっているところが結構ありますよね。

 そこで、私の車はというと、この形式的な窓拭きでは、困ったことがひとつあります。
 実は、私の車の駐車場は、もともと周囲を木々に囲まれた農地を、自社専用に5台分借り受けたもの。なので、車のフロントガラスやボンネットには、カラスやトビの大きな糞がボタっと落ちていたり、赤い小さな桜の実や紫色の桑の実など、さまざまな木から落ちた実が、車のあちこちで小さな塊として付着してしまいます。鳥の糞は放っておくと石灰化して、ボンネットの塗装まではがしてしまうので大変にヤッカイです。
 ですから、スタンドの店員さんが窓拭きをしてくれても、この糞や木の実のしつこい汚れ部分は「拭き残し」というケースが結構あるのです。

 ところが先日、時々お世話になっているスタンドで、こんなことがありました。
 窓拭きをしてくれた男性は、もう50台も後半でしょうか。汗だくになりながら一生懸命、車の窓を拭いてくれました。実は洗車をして間もないので、あまり汚れてもいなかったはず、給油も終わり、窓もきれいになって、お勘定かと思ったら、再度、違うスプレーを持ってきて、フロントガラスを眺め、ある一点を拭きだしたのです。直ぐに終わったのですが、終わった瞬間、車内で見ていた私と眼が合い、ニコッとして、「きれいになりましたよ」と笑顔で言ったように感じました。わたしもつられて、思わず「ありがとう!」と車内から笑顔で応えていました。一切言葉は交わさなくとも、その瞬間、2人には何ともいえないすがすがしい空気が流れました。

 話は変わって、大手電器店がひしめく首都近郊の、ある地元の電器店。顧客のほとんどがお年寄りなのですが、大手に負けず繁盛しています。デジタルやリモコンなど、いくら安く買っても使えないのがお年寄り。そこで価格は大手量販店より高いのですが、従業員がおうちに出向き、何時間でも親切に、できるまで優しく教えてあげることが繁盛のヒケツとなっています。さらに、買い物もしてあげる、独居のお年寄りには話し相手にもなってあげる。量販店より高い価格に付加価値がついて、他店との差別化を明確にしています。

 ネットビジネスが主流になりつつある現在、「顔の見えない」ビジネスであることから、商品価値としては「価格」だけに主眼がおかれがちです。しかし、本来、対面販売の「商い」には、売り手と顧客の間に、「ありがとう!」と「どういたしまして」といった心の交流から相互の信頼関係と顧客満足が培われてきました。「価格競争」の行き着くところは、共倒れのアリ地獄。デフレ時代のビジネス再生のヒントは、「あのお客様のために」「このお客様のために」といった、本来の「商いの心」をどこまで商品やサービスとして姿にできるかにあると考えています。ビジネスに携わるものは、普遍的な「商い」の価値観をもう一度見直し、「アリ地獄」に陥らないサービスや付加価値のあり方を、改めて追求することが大切です。

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2010年8月24日 (火)

今年もクマゼミは鳴くのだろうか

59  私が子どもの頃は、梅雨が明けたとたんに待ってましたとばかり、「ジージ―ジ― ジリジリジリジリ」とか「ミ―ンミンミンミー」と、いっせいにセミが鳴き出して夏が来ました。捕れるセミで圧倒的に多かったのは羽根が茶で体が黒と白のアブラゼミ、次に羽根が透明で体が緑っぽいミンミンゼミ、そして夏も盛りを過ぎた頃、「オーシンツクツク オーシンツクツク フイーオーフイーオー」と鳴くのがツクツクホウシ(オーシンツクツク)、「チッチッチーニージージィージィー」と鳴くのがニイニイゼミ、そして「カナカナカナカナ」と夕方時になると物悲しく鳴いて、「夏休みもそろそろ終わりだよ」と告げるのがヒグラシ、こんなところが東京の麹町で育った私の思い出です。

 あれから何十年も経って、いま鎌倉では全く違う夏を過ごしています。
 今年の梅雨明けに、まずセミが鳴かないのに驚きました。「ほんとうに梅雨が明けたのかな」「セミはみんな死んでしまったのだろうか」と真面目に思ったくらいでした。そして暑い日が続いたある夜から、チラホラとセミが鳴き始めました。それが、もうこの数年ずっと変なのですが、かって夏の終わりに鳴いたカナカナから、今年も鳴き始めました。
 そして夏の始まったばかりの7月の夜に、網戸にガサッと何かがぶつかる音がして見てみると、立派なカブトムシが黒光りをさせて網戸に掴まっていました。「おいおい、お前、ちょっと来るの早すぎない?」って言ったくらいです。

 いまは、オーシンツクツクとニイニイゼミが盛んに鳴いています。過ぎ行く夏を惜しむかのように、もうひっきりなしに鳴くセミの声。朝晩、クーラーをとめた網戸越しに、レースのカーテンを大きく揺らす風。やはり秋は確実に、もうすぐそこまでやって来ています。ところで、夏の終わり頃にほんの一時、「シャーンシャーンシャーン」となくセミの声をまだ聞きません。そう、クマゼミです。

 30年以上も前に九州に赴任していた時は、大きく響く立派なセミの声をよく耳にしました。いつの頃からか、箱根の山を越え関東にも入ってきたのでしょうが、今年はまだ耳にしていません。ごくごく当たり前の自然の姿が当たり前でなくなると、人間はどうも落ち着かなくなるものです。季節の風物が少しずつ変わっていく。多くの人々は、この微妙な変化に、何となく落ち着かない不安を肌で感じているのではないでしょうか。

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2010年8月17日 (火)

牛丼戦争の先にあるもの

57_2  私の住む鎌倉では、セミがまるで夏が過ぎるのを惜しむように、朝から夜まで盛んに鳴いています。そして朝晩の気持ちいい風が、季節が確実に秋に向かっているのを感じさせます。

 さて世の中は、と見ると、政府の無策がじわじわと日本経済をダメにしていっています。
 やらなければならないことをやらないで、国民が頼みもしない高速道路の料金をいじったり、「子ども手当て」の名目で税金のバラマキをしたり、事業仕分けも大騒ぎした割には削減額も方法もスズメの涙みたいなもので、[景気浮揚策]には何一つ手のつけられない政府の無能ぶりはひどいものがあります。

 民主党政権が国民の期待に応えられないのは、その組織実態がまさに「政治の素人集団」であることを露呈した結果といえましょう。その原因のひとつに、「代議士や総理は軽くてパアが良いのだ。なぜなら、欲しいのは口ではなく数だから」という論理で、金とヨイショで無知な有名人狩りをして政権だけに執着してきた金権政治家・小澤一郎氏の大罪があります。そして、いままた9月には民主党の代表選びで、小澤氏が囲い込んだ素人集団を動かし傀儡総理を担ごうという動きは、日本の国が一体どこに進んでいってしまうのか危惧を感じざるを得ません。

 私はマーケティングが専門なので、政治と企業との関係をどうしても無視できない立場にいます。ですから、いま円高傾向に拍車がかかっているのに何もできない政府を見ていると、景気がプラスに向いていく材料に乏しいのが辛いところです。では企業にとって、このデフレの先はどこに行ってしまうのか。そこで、デフレ現象の象徴ともいうべき牛丼チェーン店の3店舗に行ってみました。

 いま、牛丼戦争は数字を省けば「松屋」が売り上げを伸ばし、それに「すき家」が続き、「吉野家」が苦戦しているのが簡単な図式です。その3店に行った比較で最も印象に残ったのは、あの老舗の「吉野家」のサービス力が落ちたことでした。

 立って待っているお客様に声も掛けない、サービス券でのお釣りがスムーズに出せない、お茶を頼んだお客様に再度水を出し隣の席の頼まない人にお茶を出す、4人いても店長が誰なのかわからない。かってのサービスはどこに行ってしまったのか。たとえ1店舗の現象であっても、まちがいなく組織の力が落ちている証拠なのです。「松屋」も「すき家」も、ボックス席を設けたり、商品ラインナップで女性や子どもを意識しているのがわかります。牛丼の味については、決定的にどこがよいという判定は難しいことからも、サービスの力は大きな集客要素になっていることでしょう。

 では、競争の原点である価格はどうか。マスコミでは盛んに『牛丼が250円の「松屋」「すき家」に対して270円の吉野家が苦戦』と喧伝していますが、実情は、どのチェーン店もセット販売が主流で、単品価格でお客様の数が違うと即断するのは危険です。いまや、従来の「早い、安い、うまい!」に、価格よりもむしろ商品ラインナップや顧客対象を重視したさらなるサービス力が、各社の売り上げの決め手となっていると判断します。

 さて、この牛丼戦争の先には何があるのか。おそらく牛丼そのものでは赤字、副商品のセットで収益を上げている現状から、これ以上の価格ダウンはアリ地獄ともいえます。
 100円マック、250円牛丼、顧客心理をしっかりつかんだテクニカルな組み合わせでビジネスを成り立たせる、しかし、この先には素材の質の低下しか見えてきません。この先の延長線上には、ビジネスの健全な発展が見えないことから、必ず「ゆり戻しのマーケティング戦略」が組まれると予測します。デフレの先には企業にも顧客にも繁栄はない、
 早く健全な経済社会に戻さなければならないことを実感した牛丼戦争の現場でした。

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